第3話 闇の冬三郎(とうざぶろう)

「え? ご病気で……はい、はい、そうですか……霞=冬三郎さん……。はい……よろしくお願いします」


 その日、電話に出た母さんは浮かぬ顔だった。今日の夕方にお祓いに来てくれる筈だった金剛大寺お坊さんが、急病で来れなくなったという連絡を受けたからだ。

 代わりに、そのお坊さん以上の力を持つ霊能者を呼んでくれると言うのだから何も問題はないのだが、母さんは権威主義者なのだ。いくら腕が確かだろうが、権威の後ろ盾のある人間に来てもらった方が安心するのだ。

 母さんはいつもそうだ。権威ある人間の言う事に従うばかりで自分では判断しようとしないし、僕の気持ちも聞かない。その人物が昨日と違う事を言い出したとしても、権威ある学者ならば疑いの目で見ようともしない。TVの言う事を良く聞くのもそのためだ。だからいくら実力があろうとも、無名の霊能者ではこの人にとって期待外れもいいところなのだ。

 けれど、僕も別の理由で不安になり始めていた。


(病気になるタイミングが悪すぎるよ……。まさか、お坊さんまで僕に憑いている悪霊にたたられた訳じゃないよな……)


 僕は慌ててその考えを否定しようとしたが、むしろ考えれば考えるほど悪化していくばかりだった。



         *      *      *



 ピンポーン……


 玄関のベルが鳴ったのはちょうど16時、約束の時間ぴったりだった。母の開けた家のドアの向こうから姿を現したのは、気弱そうなスーツの若い男と、サングラスをかけた小学生くらいの男の子だった。


「霞=冬三郎さんですか?」


「あ、はい……そうです」


 気弱そうな男は、これまた自信なさげに答える。


「どうぞ、こちらに……」


 母の案内で茶の間に通された男は、キョロキョロと落ち着かない様子で部屋を見渡している。隣に座る少年が、落ち着きはらって微動だにしないのとは対照的だ。


「えー、本日はご利用ありがとうございます。料金は一万円、前払いでお願いします」


 開口一番いきなり金の話を始めた男に対し母さんは眉をひそめたが、おとなしく財布からお金を出した。いくら不信な男でも、金剛大寺からの紹介とあっては無下に扱う訳にもいかないんだろう。


「ありがとうございます。それでは、私はこれで……」


「ちょっと、どこへ行くんです? 除霊はどうしたんです!!」


 金を受け取るなり玄関に向かおうとする男を、母さんが呼び止める。


「除霊は、その子がやってくれます。私は単なるマネージャーですので……」


「え? 待って! 何を言ってるのよ!!」


 母さんの声を無視して、男はさっさと一人で玄関を開け、家を出て行ってしまう。


「ふざけるんじゃないわよ!」


 母さんは怒鳴って男を追いかけようとするが……


「少女の幽霊が出るのは二階の君の部屋だろう、一緒に来てくれよ康太君」


 そう言って僕の服を引っ張る少年の声で、母さんは男を追うのを止めた。

 男の連れていた少年はサングラス越しに僕を見上げ、二階へ上がる階段を指している。

 まだ、幽霊が出る場所も説明していないし、それが少女の霊である事もまだ話してはいないのに、少年は既に全てを知っているふうだった。


「まさか、君が……」


「ええ、霞=冬三郎は僕です」


 サングラスから覗くその少年の目は、少し笑っているようだった。


「さ、すぐに始めますよ」


 冬三郎は僕の服をぐいぐいと引っ張って、二階へ上がっていく。


「ちょっと待って、私も行くから」


 慌てて僕等の後を追い、階段を登ろうとする母さんの方を振り向き、冬三郎は掌でそれを制した。


「お母さん、それは危険です。霊に憑かれているのは康太君なのですから、除霊も僕と康太君の二人で行います。

 除霊が終わるまで部屋には入らないでください。下手をすれば命に関わります」


 小学生とは思えぬ落ち着いた声と、その気迫に押されて母さんは階段の途中で僕達を追いかけるのを諦め、すごすごと引き返す。


「まずは結界を貼るよ」


 部屋に入るなり冬三郎は、ドアと窓とカーテンを閉めて、最後に部屋の電気を消した。カーテン越しに僅かに漏れる夕日が唯一の光源となった僕の部屋は、途端に薄暗い闇に包まれる。冬三郎の方を見ると、サングラスを外して部屋の中央へと移動していた。


「うわあぁぁぁっ!!」


 部屋の壁を見た僕は、絶叫していた。そこには無数の目が貼りついていたのだ。いや、良く見ると壁だけではなく、床も天井も目で覆われている。

 部屋を包囲した目は果たしてどこを見ているのか、視線をあちこちに不規則に移動させている。


「目玉の結界が完成しているから、いくら大声を出しても、暴れても大丈夫だよ。

 もう部屋の外には、声も振動も漏れないし、出る事も外から入る事もできないからね」

 振り向いた冬三郎の顔からは、目が消えていた。


(っ!!)


 今度は悲鳴を上げる事もできなかった。霊能者と思っていた少年が、実は化け物だったなんて、思いもよらなかった。

 へたり込む僕の事を、冬三郎はニヤニヤしながら見下ろしている。


「目ぐらいで、驚かないでくれよ。その気になれば僕は、口や鼻だって消す事ができるんだぜ」


「な、何者なんだ……」


「化け物でも、妖怪でも、好きなように呼んでくれればいいさ」


 冬三郎の髪の毛が、わさわさと動いたかと思うと頭から外れ、独立した生物のように部屋の中を徘徊しはじめる。


「な……なにを……」


「探してるのさ、この部屋にいる女の子を……、ああ、そこに居たのか」


 髪の毛は、最初に僕が幽霊を目撃した押入れの前で動きを止めていた。押し入れの戸が、僅かに開き少女の目がそこから覗いている。


「やあ、はじめまして」


 冬三郎はさもそれが当たり前であるかのように、少女の霊に声をかける。


「君、僕の仲間にならないか? ここにいるより、ずっと楽しい場所があるんだ」


 その声に誘われたのか少女が押入れから、足を引きずるようにして出てくる。僕はもう、その光景を部屋の隅に縮こまって見ているしかなかった。


「さ、一緒に行こう」


 冬三郎の服の袖が、不自然に広がって少女の霊を包み込んだかと思うと、すぐに元に戻る。もう少女の姿はそこにはなかった。


「じょ……除霊してくれたの? もう呪いを払ってくれたの?」


 僕の声はかすれていた。


「君は三つ、大きな勘違いをしているよ」


 目も髪もない顔で、冬三郎がこちらを見る。周囲を見渡せば、部屋中に広かった無数の目も、今は僕を見ている。


「まず、この部屋に憑いていた女の子は、呪いを具現化するのに手を貸したけど、作った訳じゃないんだよ」


「じゃあ、呪いをかけた悪い霊が、この部屋にはまだいるの?」


「あはは」


 何がおかしかったのか、冬三郎が笑う


「呪っていたのは君自身じゃないか。だって君、両親の事も、自分の事も嫌いだろ?」


(!!)


 それは思いもしない言葉だった。確かに僕は父さんも母さんも大嫌いだ。心の中で呪っていなかった言えば嘘になる。自分の事だって、なんでこんなに駄目なのだろうと、なんでこんな情けない人間なんだと、そんな風に呪いこそすれ、好きになる事は決してなかった。


「女の子が憑いてるのがこの部屋でよかったな。もし、学校にまで君に着いていってたら大変な事になってたぜ。

 まぁ、君としてはそっちの方が好都合だったのかもしれないけどね。あの藤田とかいういじめっ子を呪い殺せたかもしれないんだし」


(なぜ、こいつは藤田の事まで知っているんだ? もしかして僕の心を読んでいるのだろうか、この化け物は……)


「ふふっ。でもまぁ、危いところだったね。あと数日遅れていたら、君は君自身を呪い殺していたよ」


 ジワリとした汗が、僕の背中を濡らしていく。玄関の前でどう自殺しようかと妄想に浸っていた事を思い出し、僕は血の気が引く思いを味わっていた。


(もしかして、少女の霊が僕に憑いたのも、僕が自分自身を呪っていたからなのか?)


 考えてみれば、通学路で少女の霊に初めて会った時、僕は自分の運命を呪っていた。希望の殆どない生活と、それに甘んじている自分自身を嫌い、そして呪い続けながら家に向かっていたのだ。

 その事に思い至り、言葉を失う僕にはおかまい無しで、冬三郎は話を先に進める。


「君の二つ目の勘違いは、僕が幽霊を連れてこの家から去れば、元の生活に戻れると思っている事さ」


「ど、どういう意味? だって、僕に憑りついてた霊はその女の子だけなんでしょ?

 他にもいるの?」


「今は何も憑いていないよ。でも君はもう、こちら側の世界に片足を突っ込んでいるんだ。

 まぁ、怖いならなるべく関わらないように気を付ける事だね、無駄な努力だとは思うけど」


「そ、そんな! 僕は一体どうなるんだ!」


「どうなるかは、すぐに分かるさ。それに君次第なんだよ、どう巻き込まれるのかは」


 ニヤニヤと楽しそうに語ったする冬三郎は、もうこれ以上僕に説明する気すらない様子だ。


「そして、三つ目。僕は君を助けに来たわけじゃなく、君に憑いてる女の子を迎えに来ただけって事さ。

 君も人間にしては面白いから、これから危なくなったら助ける事もやぶさかではないけどさ、それも僕を怒らせなければの話だぜ」


「怒らせるって?」


「僕の正体を言いふらさないでくれって事さ。

 僕は姿を変える事も、名前を変える事も出来るけど、今の姿も冬三郎って名前も気に入ってるんだよ。

 だから間違っても、部屋から出た途端に大騒ぎなんて真似はよしてくれよ」


 冬三郎は、ゆっくりと目も髪もない顔を僕に近づける。


「わかった! わかったよ!」


「ま、信用しても大丈夫かな」


 心の内を読んで安心したのか、すぐに冬三郎は僕から離れてくれた。


「じゃ、結界を解くよ」


 部屋をわしゃわしゃと徘徊していた髪は冬三郎の頭に戻り、冬三郎がサングラスを顔に戻すと同時に部屋を囲んでいた目が全て消え失せる。

 もう、この部屋には化け物も幽霊もおらず、僕とサングラスをかけた奇妙な少年がいるばかりだった。少女の霊がこの部屋にいた痕跡をあえて挙げるとするならば、開け放たれた押入れの戸くらいのものだった。



         *      *      *



「除霊は済みましたよ。康太君も女の子の霊が消えるところがハッキリ見えたそうですから、詳しくは彼から聞いてください」


 二階から降りた冬三郎は、母さんにそう一言告げて、さっさと玄関へと向かってしまう。


「本当に、本当に見えたの康太? 霊が消えるところを?! 間違いじゃないわよね? もういないのよね?!」


 必死に僕を問いただす母さんに頷きながらふと玄関の方をチラリと見ると、自動的に靴が宙に浮き、吸い込まれるように冬三郎の足に収まるところだった。

 冬三郎は目を丸くする僕を振り返る事もなく、何事もなかったかのようにそのまま玄関を出て行ってしまった。

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