楽しいお祓い ~幽霊さん、構わないから好きなだけ私に憑いててね♪~
蝉の弟子
第1話 通学路の幽霊
(やっと解放された……)
僕は中学校から逃げるようにして、家路についたところだった。
もっとも、家に帰ったって親からはひたすら”勉強しろ”と言われるだけで、なにも解放された訳ではないのだが、少なくとも一人になれる空間と現実から逃避できるゲームに集中できるだけ楽しみはあるし、僕を馬鹿にする同級生もいない。
金曜の夕方とはいえ、日曜の夜には塾があるから実質他の生徒よりも半日短い開放時間。それが僕にはとてつもなく待ち遠しかったのだ。
(早く帰りたい……)
意味もなく地面に書かれた白線に乗り、重いカバンを背負って駆け足で通学路をひたすら進む。わずか十分ほどのこの時間が、今の僕には果てしない永遠にすら感じられる。
(あっ!)
目の前の角から、小さな足が覗くのを見て、僕は慌てて足を止める。余りにも先を急ぎ過ぎて、危うく誰かにぶつかるところだった。
「お兄ちゃん!」
道路にほぼ垂直に下げていた顔を上げると、その角には小学生の男の子が立っていた。今しがた僕とぶつかりそうになったというのに、この子はまるで僕の事を気にしている様子がない。なぜなら、しきりに後ろの方ばかりを気にしているからだ。
「お兄ちゃん、あれ見える?!」
その小学生は、そう言って通りの向こうの電柱を指さしている。
(あれって、なに?)
僕は思わず言われるままに、そこを見てしまった。
(!!)
その電柱の陰には、一人の女の子が立っていた。その子は、なぜか照り付ける夕日に赤く染まっていなかい。目に見える周囲の景色のことごとく全てが赤く染まっているのに、その子だけがひたすらに黒かった。
「見えないよ! 何の事だい!」
僕は思わずそう叫んで男の子の方に振り返ったが、もうそこには誰もいなかった。
横目で電柱の方にチラリと目をやると、やはり女の子がこちらを見つめている。
歳は先ほどの小学生と同じくらい、日の光を無視したかのように暗く影のように映るその姿は、普通の子供ではない事が一目で分かり、直感的に見てはいけない類のそれである事を僕に知らせていた。
(ひぃっ)
僕は中学校に向かって、逆走していた。少しでもその女の子から離れたかったのだ。
(確か、あの電柱の先の曲がり角で交通事故があったんだっけ?)
50メートルほど先の人通りの多い道を目指して逃げながら、僕はその事を思い出していた。
もうあの道を通るのは諦めるべきだろう。あの少女がずっとそこに立っているのなら、少し遠回りになるが、これからは別の道を使って中学校に通うことになりそうだ。
* * *
「ただいまー」
「おかえり」
家に帰ると、母さんは茶の間でTVを見ていた。
僕は母さんと目を合わせないように、二階へ駆けあがる。どうせあの人は、口を開けば”勉強しろ”、”塾へ行け”としか言わないし、TVに夢中で僕の顔すら見ていない。
(さぁ、昨日の冒険の続きだ……)
僕は、自室のPC(パソコン)の電源を入れる。勉強用にと買ってもらった代物だが、ハッキリ言って僕はゲームのためにしか使っていない。オフィスだのなんだのという、使い方を覚えても詰まらないソフトを弄る気にはなれないし、やっと一人になれた時間ですらストレスを貯めるのはごめんだ。
ゲームが製作ができるようなプログラムには興味はあるが、そんな事を僕の親が許してくれる筈もない。あの人達は、ビジネスマンが利用する程度の知識にしか興味がないのだ。
「早くしてくれよ……」
僕がいつもやってるオンラインRPGは、起動するのに時間が掛かる。これはこのゲームのせいではなく、僕のPCの性能がイマイチなせいだ。
もともと学習用に買ってもらったものなので、最新ゲームをするには性能が足りないなのだ。そのためグラフィックを設定で数段落としてプレイしているのだが、時折処理落ちに悩まされる事がある。
「さぁて、今日のデイリークエストは何かな……」
ようやく画面に表示された自慢のアバターを見て、僕は思わずそう呟く……、その時だった。
(誰かに見られてる?)
そんな気配を感じ、僕は部屋のドアの方を慌てて振り返った。僕の部屋に鍵はない。もし、ドアを開けられて母さんに入って来られたら、何を言われるか知れたものではない。ゲームをしてた事がバレれば、PCを取り上げられる可能性だってあるのだ。
(気のせいか……)
母さんがこの部屋に来る前には、必ず階段を駆け上がる音がする。けれど、閉まったままドアの外からは一階のTVの音が僅かに漏れるばかりで、そんな音はまるでしていなかったのだ。
「脅かしやがって」
恐らくTVの音が、ドアの外に誰かいるかのように錯覚させたのだろう。そう結論付けて、再びゲームに集中しようとした、その時だった。
(押入れが空いている……)
いつも、ピッチリ閉めたままにしている筈の部屋の押入れが、僅かに空いていたのだ。
あの中には親の荷物がギュウギュウ詰めにされていて、僕の物は何一つ入っていない。季節の変わり目に、衣類や布団を出し入れする事があるくらいなのだが、今は秋に入ってしばらくたっている。あの押入れが空ける用事など、ない筈だった。
(おかしいな……)
僕はなぜかその押入れが気になって仕方なくなり、ゲームのステータス画面を開いたまま、戸を閉じに行こうとした。
「ひっ!」
まともに叫ぶ事もできなかった。押し入れの中から目が……、下校時に見た不気味な少女の顔が、そこから覗いていたからだ……。
『やっぱり、見えていたんだ……』
僕が押入れを覗くと同時に、その少女の姿はかき消すように見えなくなり、僕の耳元でその声だけが囁いていた。
* * *
僕が両親にその事を相談できたのは、その次の週の土曜の夜だった。
「僕の部屋に幽霊が出るんだ! 本当に女の子の姿を見たんだ!」
あれ以来、僕は自分の部屋で何度も少女の霊に遭遇していた。
ある時は部屋の隅から、ある時は窓の外から、ある時は机の下から、気が付くとあの少女は僕を見ている、覗いている。
一人になれる、安心できる僕だけの空間は、あの女の子のせいで恐怖の時間を過ごす部屋へと変貌を遂げていた。
寝ている時に天井に爛々と目を輝かせた顔があった時などは、恐ろしくてトイレに行く事すらできなくなってしまったほどだ。
「なにを言ってるの康太? そんな事まで言って勉強から逃げたいの?
母さん情けないわ!」
(……)
すんなり信じてくれるとは思わなかったが、こんな事までも僕の勉強嫌いのせいにされるとは思わなかった。だいたい、そこまで僕が勉強を嫌っているのを知っているのに、なんで中学受験などさせたのだろう?
僕が母さんに言われるまま中学受験を頑張ったのは、受験に成功すれば母さんの勉強地獄から解放されると思ったからだ。
そして、受験に失敗した時の母さんの様子から僕は悟った。どうせ受験に成功していたとしても、更に勉強ばかりさせられる毎日が続いたのだろうと。
そうでなければ、受験に失敗して疲れ果てていたあの時の僕に、もっと勉強しろなどと言える筈がないじゃないか。
「そんなのは康太の気の迷いだよ。どうしても気になるのなら神社にでも連れてくといい。
気休めにはなるだろう」
父さんは、仕事に夢中で家の事に興味はない。僕の事も母さんに任せっきりで、口を開く事があったとしても細かい小言ばかりだ。
それにもともと非科学的な事は信じない性質だし、父さんには期待も何もしていなかった。
しかし、その父さんの提案で近くの神社でお祓いをしてもらうという事になったのは、僕にとって幸運な事だった。
* * *
「鈴木、おまえ神社に何しに行ったんだ? 圭太が、神主さんにお前がお祓いして貰ってるのを見たって言ってたぜ」
僕の噂が、よりにもよって嫌な奴の耳に入ったものだ。週明けの中学校の教室で、僕は頭を抱えていた。
こいつの名前は”藤田=幸一”。僕の友達を自称しているが、僕を苛め、からかって楽しんでいるだけの最低野郎だ。
僕が中学受験に失敗して一番ガッカリしたのは、またこいつの同じ学校に通う羽目になった事だった。
「なんでもないよ……」
「なんでもないって事はないだろ? わざわざお祓いまでして貰うんだからよ」
藤田は、僕の机に腰かけている。僕のノートがアイツの尻の下敷きになり、プラスチックの筆箱も歪んでいるが、おかまいなしだ。
「幽霊を見たんだよ……」
僕は正直に白状する事にした。一刻も早く、藤田が僕から興味を失って離れてくれることを期待したからだ。
黙ったままだと、いつまでこいつが僕に付きまとうか分からない。それに藤田の取り巻き達が、さっきから僕の足を蹴ってきてうっとおしいのだ。
「幽霊?」
「こないだ通学路で交通事故に遭った人の霊だと思うよ。女の子の姿を見たんだ……僕の部屋にも来たよ……」
「へぇ、見かけによらず、お前って霊感あったんだな。ハハハハハハッ」
藤田は僕を馬鹿にしたように笑う。
「ま、俺は幽霊なんて信じていないし、馬鹿なお前がおかしくなったとしか思えないがな」
(僕より平均点が悪い癖に……)
僕は心の中で悪態をついたが、言葉にはできなかった。
「まぁ、しかし見ものだな。
それが嘘ならおまえがいつもよりもっとおかしくなったって事だし、本当だったら……」
藤田は可笑しそうに口元を歪める。
「おまえが呪い殺されるとこを見物できるかもしれねぇ」
(本当に最低だ、こいつは)
僕はそう思いながら目を伏せた。うっかりこいつ等を睨んで、また難癖をつけられるのが嫌だからだった。
* * *
神社でのお祓いから一週間が経ったが、お祓いの効き目はまるで感じられなかった。相変わらず少女の霊が、僕の部屋に現れたのだから。
想像できるかい? もう幽霊は出ないと思い込んでゲームをやってる最中に、ふと机の下を見たらあの少女の顔が覗いていたんだ。
”うわっ”と僕が叫んだ途端にその顔は消えてしまったが、その夜は胸を上に何かが乗っているような感覚に襲われて目を覚し、そのまま一睡もできなかた。
そして霊の影響は、ついに僕の両親にまで及び始めていた。
母さんは揚げ物中に大きな火傷を腕に負い、父さんは酔った拍子に転んで腕に怪我を負った。両方共、よくある事故に思えるのだが、二人共左腕の同じ位置に傷を負っているのは、不気味に感じられたのだろう。少女の霊の姿を一度も見た事のない両親も、遂に本気になってくれた。
「俺の知り合いが、よく効く霊能者を知っているのだそうだ。そいつに頼んでおいたから来週の土曜は開けといてくれ」
そう家族の前で言った父は、どこか他人事だった先週とはうって変わって真剣な眼差しだった。
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