第7話 武術の壺
胴着に着替えた僕達に穂波さんがまず手渡したのは、短刀を模した木剣だった。
「ここで教えてる古武道って、短剣だったんですか?」
「え? 鈴木は何も聞かずに弟子入りしたの?」
隣にいた健司君が、少し呆れたような声を出した。
「まぁ、古武術っていってもいろいろだからね、入る前のイメージと違うっていうのは分かるわよ。
うちで教えているのは、元々は剣術をベースにした武術なの。いわゆるお侍さんが、刀を抜いてどう戦うかってことを追求した技術ね。もちろん刀を持っていない時に戦う方法も伝わってるけど、あくまでベースにあるのは剣術なの。
でも、今じゃ刀を持って歩く訳にもいかないし、みんなが期待するような護身術としては非現実的なのよ。かといって、いきなり無手勝流から教えるのも問題があってね」
「はぁ……」
思わず生返事をしてしまった。僕はてっきり柔術や空手の様なものを教えてくれるとばかり思っていたからだ。
「素手で勝てるようになるのって、時間がかかるのよ。生半可に教えたって生兵法は大怪我の基っていうくらいでね。体力に勝る相手に勝てるようになるまで、個人差はあるけど数年単位の時間が要ると思った方がいいかしら。
でも、その間に護身術が必要になる場面に出くわしたら、どうしようもないでしょ。 そこで、短刀術って訳なのよ。
人が手っ取り早く強くなるには、武器を持つ事と、その使い方を覚える事。
刀と違って短刀なら、そこいらにある物で代用できるし、護身用のグッズで折り畳み式の警棒みたいなのもあるし、なにかと応用がきくのよ。うちには鉄扇なんかの扱い方も伝わってるから、刃物でなくても扱えるしね」
「なるほど……それで」
僕は改めて、その短い木剣を握り直した。
「握り方がちょっと違うわよ、鈴木君」
穂波さんの武術指導は、僕が気づいた時にはもうはじまっていた。
* * *
「ぇぃ」
「声が小さいぞ鈴木君! もっと大きな声で!」
「えええいっ」
僕は一生懸命声を張り上げた。けれど、普段大きな声を出す事などないため、なかなか上手くいかない。いや、そもそも僕は普段の生活での会話すらあまりしていないのだ。こんなに声を出す事など、一体何年ぶりだろう。
僕の声はまだまだか細くて、隣で木剣を振っている健司君の声とは、まるで比較にならなかった。
「あの、質問なんですが、この声を出すのって何かの役に立つんですか? 攻撃する前に大声を出して相手に知らせたら、逆に勘付かれてまずいと思うんですけど……」
喉が枯れそうだった僕は、この稽古が始まった時から疑問に思っていた事を口にしていた。
「分かってないなぁ、鈴木は。いいか、喧嘩なんて大声でもなんでも、相手をビビらせたら大抵勝てるものなんだぜ」
鈴木君が木剣を振るのを一時中断して、得意げに語る。どうやら彼は喧嘩の経験が豊富らしい。
「まぁ、だいたいは健司君の言った通りだけど、護身術としても声を出すのは重要なのよ。
例えば、痴漢に遭ったときなんかも、大声を張り上げれば大抵逃げていくものなの。イザという時に大声を出せるようにしといた方が、安全ってわけ。声を出すだけで助かるなら、何の危険もないしね」
穂波さんはそう言いながら僕の後ろに回って、背中を押した。
「ほら、背筋がまた曲がってる」
慌てて背を正す僕の顔を、穂波さんが覗き込む。
「いい、鈴木君。背筋を伸ばすのも、立派な護身なのよ。
気の弱い人や、しょっちゅう悩んでいる人なんかは、自然と背中がまるまってくるのよ。良く背を丸めてるとネガティブになるなんて言うけど、その逆も真なりで、背を曲げているせいでネガティブになってる人もいるの。
健康にも良くないし、周囲からも弱そうに見えるのよ。これも嫌な奴や、悪い霊を引き寄せる原因になるわよ」
「悪い霊?」
健司君が眉をひそめている。
「そっか、まだ言ってなかったっけ。
鈴木君は幽霊が見えるのよ。先週も私に骸骨が憑りついていたんだってさ」
「ええ、マジかよそれーー! それって、本物の霊能者って事かよ!!」
憧れの眼差しで健司君は僕を見るが、正直そんな良いものじゃない。幽霊が見えても追い払うだけの霊能力を持っている訳ではないのだから。
「ま、まぁ、霊能力と言っていいのか分からないけど……、僕のは。穂波さんに憑いていたドクロだって、自然に消えちゃったし……」
僕は迷いがちにそう答えるのが、精一杯だった。自分の能力に自信があるどころか、得体の知れないその力に振り回された経験しかなかったからだった。
ピピピピッ!
その時、穂波さんのスマホが突然鳴り出した。楽しかったせいか、僕は時が経つのを忘れていたが、スマホのタイマーは確かに稽古終了の時刻を告げていた。
「基本の型は覚えてきたみたいだし、今日はこれくらいでいいかしらね」
スマホを止めた穂波さんは、僕の構えを見て頷く。
「ああ、それからこれだけは覚えといてね鈴木君。ここで習った技はあくまで護身用で、喧嘩のための道具じゃないってこと。
なるべく殺傷力のある技ははぶいているけど、それでも本気で使ったら怪我じゃ済まないと肝に銘じておいて。
そもそも、こういう技を使うような状況にならない事がなん理想だし、技そのものは基本使えないものと思っておいた方がいいわ」
「え? それじゃあ、覚える意味はどこに……?」
いつか藤田に反撃したいと思っていた僕は、その穂波さんの一言ではしごを外された気分だった。
「そうね、例えば壺って、壺そのものではなく、その壺によって出来た中の空間を使うじゃない。だからうちの武術は、壺なのよ。
ここで教えている古武術の技は主に相手を殺す事を目的とした技だから、一生涯使わないのが理想だけど、その技を習得する過程で得られた物は必ず役に立つ場面がある筈よ」
武術に触れるのが初めての僕には、穂波さんの言う事は少し難しく思えた。しかし、大きな声を出す事すらも護身に繋がるというのなら、それだけでも習う甲斐はあるのかもしれない。
「では、ご神体に礼!」
僕等三人が穂波さんの号令で神社の鏡に頭を下げた、その時だった。
「これ、どうしたの鈴木君!」
血相を変えた穂波さんが、僕の足をめくる。そこには藤田達に蹴られた痣が残っていた。
穂波さんは丁度僕の後ろに立っていたから、礼をして視線が下がった拍子に気づいたのだろう。
この一週間、僕は穂波さんに言われた事を守っていた。なるべく笑顔を作るようにして、口癖も悪いものは言わないように心がけた。
そしてそれは一定の効果を上げていたのだが、あくまで霊に対してのみだった。僕の周囲の霊達が、僕の方を見つめたり、僕の方に漂ってくる回数は目に見えて減っていたのだが、藤田達や母さんにはなんの効果もなかったのだ。
無論、藤田達が僕に振るう暴力にだって変化はない。あいつらはいつもバレないように、人目につかない箇所ばかりを蹴ったり殴ったりしてくるのだ。
「い、いえ、ちょっと転んじゃって……」
僕はとっさに誤魔化した。これは藤田達を庇っている訳ではない。これは保身だ。
僕がいじめられていると知られる事が嫌なのだ。いじめられるような人間だと知られ、扱われるのが怖いのだ。
「……」
穂波さんは少しの間だけ、僕の目を真剣にみつめて黙っていた。
「今日教えた技は基本使っちゃいけない技だけど、身の危険を感じた場合はその限りではないわ。ただし、鈴木君はまだ習い始めたばかりなんだし、逃げる事を一番に考えてね。
それから、常に心の中で”舐められちゃいけない””威張っちゃいけない”って唱えるようにしてみて」
「え?」
「心の中で唱えるだけで、自然と身について来るから大丈夫よ」
(??? 自己暗示のようなものかな?)
「お、いいねそれ! 俺もやってみよう!!」
隣で聞いていた健司君がはしゃいでいる。
「健司はやっちゃだめ! これは気弱な人用のおまじないなの!
暴れん坊がやったら、益々手が付けられなくなるわ!」
「ひっでーな穂波は~~」
その言葉とは裏腹に、健司君も穂波さんも互いにケラケラと可笑しそうに笑っていた。
* * *
「一緒に帰ろうぜ鈴木!」
健司君が、神社の石段を下りる僕に声をかけた。
「家どっち?」
「向こうの、ほら一つ向こうの駅から歩いて十分くらいのとこ」
だいたいの方向を指さす僕を見て、健司君が目を丸くした。
「随分遠くから来てるんだな、おまえ。てっきり近所に住んでるのかと思ってたよ。
電車?」
「ううん、歩き。せっかく古武術を習うんだし、少しでも体を鍛えようと思って」
「へぇ~~、偉いじゃん。おれもジョギングぐらいした方がいいかな」
少し太り気味の健司君は、そう言って自嘲気味に、そして照れを隠すように笑った。
「なぁ鈴木、霊の話をしてくれよ。見えるんだろ?」
「あ、うん……」
玉岩八幡の入り口の鳥居をくぐりながら、僕はちょっと離れた道を行くサラリーマンを指した。
「あの人に、蛇みたいな霊が憑いてるよ」
一週間前は、霊が見えている事を気づかれぬようビクビクしていたのだが、蛇の様なその霊は、僕をチラリと見ただけですぐにそっぽを向いてしまった。
以前出会った霊達は、例え見えないフリをしていたとしても僕をジロジロと見て来たものだが、ここ数日はこんな調子だった。
「へぇーー、俺には何も見えないけどな」
健司君が目を細めながら言う。
「見えない方がいいよ、おっかないだけだし、見えたところで僕にはどうしようもないんだし」
「それより、どうしたら霊が見えるのか教えてくれよ。どうやって鈴木はその力を手に入れたんだ?」
僕は精一杯の忠告をしたつもりだったが、健司君の耳には入ってくれなかったようだ。
「ああ、それは、えーっと、何週間か前に女の子の霊に憑りつかれてね、それでお祓いとかいろいろやってみたんだけど効果がまるでなくて……ああ、穂波さんと知り合う前の話ね。
で、そんな時に、変な化け物みたいな奴に出会って……」
(しまった! 冬三郎の事じゃないか、それ!)
「化け物?」
僕の話を聞いた健司君は、にわかに目を輝かせている。
(ま、いいか……)
もうお僕の中に冬三郎に対する恐怖はなかった。例え冬三郎がヘソを曲げて今後僕を悪霊から守らなくなったとしても、自力で跳ね除ける自信が今の僕にはあったし、冬三郎自身が僕を祟りに来たって、今なら跳ね除けられるんじゃないかとすら思えたからだ。
根拠はない。しかし、そんな自信が確かにあった。
それでも僕は念のため、冬三郎の名前は伏せ、のっぺらぼうの化け物が幽霊を連れて行ってしまうところを見たのだと、それ以来霊が見えるようになったのだと、それだけを健司君にところどころボカして説明しておいた。
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