終章 最後の戦い

「く……か……ッ、黒耀、貴様……!!」


 背後から太刀で、人間部分の胸を貫かれた道震は、血を吐いて身をよじる。


 氷の下に消え去ったと思われていた黒耀は、今や道震の雪虫の下半身の背中に足をかけ、腰に佩いた太刀を抜き放って、道震を刺し貫いている。

 どうして、この黒耀という男は、いつも自分の予想を超えていくのだ、と道震は歯噛みする。

 自分の期待を裏切り、自分が欲しかったものをいち早く手に入れて見せびらかすような。

 自分を真っ先に助けるべきなのに、黒耀はその輝かしい人生に夢中で、道震のことなど見向きもしない。


 許せない。

 殺してやる。


 何度も抱いた殺意が改めて噴き上がって来たその時。

 黒曜の太刀が道震の胸から引き抜かれ、そのまま横薙ぎに振るわれて、道震の首を刎ね飛ばしたのである。



◇◆◇



「……また、虚空の位相が変わったな……」


 黒曜がこぼした独り言は、ざわざわと満ちる、竹の葉のざわめきに吸い込まれていく。

 彼はぐるりと周囲を見回す。

 一面の竹林である。

 どちらを見ても、竹の鮮烈な緑が、無限に続いているように見える。

 もし、黒耀に水墨画の心得があったなら、夢中で整ったその竹を描きたい衝動に駆られるだろう、端正な竹林であるが、この場所が見た目ほど穏やかな訳はない。


 ざわざわと、竹が鳴る。


「……さて、三人が、逆巻丸を始末してくれるまでどのくらいだ」


『お前、俺がそんな悠長に待っていると思うかよ!?それに、あの三人を相手取っても、逆巻丸は負けてねえぞ。援軍はいくらでもいる』


 いきなり、竹の葉のざわめきの合間から、道震の太い嘲り声が響き渡る。

 黒曜は身構える。

 周囲は相変わらず無限に重なる竹の幹と枝葉の重なりで、道震自身の姿は見えない、のだが。


 しゅん。


 軽い音がしたかと思った矢先、咄嗟に避けた黒耀の黒い直垂の袖を、何か細長いものが切り裂く。


 黒曜ははっと目を見開く。

 袖を通り過ぎて地面に突き刺さったそれは、優雅な竹の葉だ。

 地面に半ばめり込んでいるところからして、ただの葉では有り得ない。

 さながらクナイのように、葉の両側が刃となっているのだ。


 空を切る音がして、無数の葉の刃が、黒耀に向かって降り注いで来る。

 さながら、刃の雨。

 黒曜は広範囲が巻き込まれると判断し、咒もなく聖なる暗黒を呼び出す。


 輝く闇に、葉の刃の雨が飲み込まれて消えて行く。


『黒耀よ、お前が強いのはわかった。なら、それなりの対応をするまでだ』


 げらげら笑う、道震の声だけが竹林に響く。


 黒曜の足元から、槍のように竹の幹が急成長してくる。

 タケノコであるのは一瞬、最初から全体が鉄の槍の硬度を持っている。


「くっ!!」


 飛び退った黒耀の脚を、竹槍が掠める。


「……オン・マリシエイ・ソワカ」


 黒曜が摩利支天咒を唱える。

 と、黒耀の姿が、まるで陽炎のようにゆらめき、その場から消えたのである。


『摩利支天咒か。卑怯だぞ黒耀。正々堂々と戦ったらどうなのだ』


 どの口がそう言うのかという身勝手な理屈をまくしたて、道震は唸る。


 刃の雨を降らせて一帯を薙ぎ払い、無数の竹槍を一帯に生じさせて、黒耀に偶然当たるのを期待している風だが、黒耀に命中した様子は一切ない。

 次第に、美しかった竹林は、元の姿を留めなくなっていく。

 葉の刃と竹槍自身が、元の竹林を浸蝕していくのだ。

 道震の唸り声が響く。

 痛みを感じている獣のように唸り、舌打ちまで聞こえてくる。


『黒耀!! 出て来い、勝負しろ!!』


 ……反応はない。


 ついに、道震は痺れを切らせる。

 絶叫と共に、竹林全体が揺れる。

 竹林一帯が、大きく揺らぎ、地面が盛り上がって二つに折りたたまれ、巨大な地震が起こる。

 はるか彼方で、巨人の道震が、地面と一体化した下半身をとんでもなく巨大なミミズのようにうねらせる。


『黒耀、どうだ、これでしまいだな!!』


 大きく哄笑を上げた道震に対して。


「……オン・マカキャラヤ・ソワカ」


 黒曜の真言が、はっきり聞こえたのだ。

 ぶわりと、新たに生じた夜空のように広がるきらめく闇が、巨人の道震の全身を飲み込む。

 大地も、彼が頭をもたげていた天空も崩壊する。

 大音声と共に、この世界に開いた大きな穴のような暗黒に、道震はこの世界もろとも飲み込まれていく。


 そこで、ようやく黒耀は姿を現す。

 輝く闇の上に立ち、天空を見上げ……


「黒耀!!」


 彼を呼ぶ声が聞こえたのは、その時である。



◇◆◇


「いた!! 黒耀さんですよ!!」


 紫乃若宮が帆を張った弁財天の船の上から、身を乗り出す。


 眼下には、島ごと崩壊していく、邪神の本拠がある。

 その片隅に、黒耀を見つけたのだ。


「さあ、黒耀阿闍梨!!」


 綾風姫が翼を駆って、黒耀の伸ばした手を掴みあげる。

 そのまま、彼を抱えるようにして、船に戻る。


「どっちも上手く行ったな!! さあ、さっさとずらかるぞ!!」


 白蛇御前が、甲板に降りたった黒耀の背中をばんと叩く。

 眼下では、大穴の中に崩れていく土砂の山のような邪神島が見えている。

 轟音と共に崩壊する島の領域から、霊衛衆四人を乗せた聖なる船は、輝かしい朝陽に向かい脱出したのであった。



◇◆◇


「……助かった。そちらも上手く行ったようだな」


 江の島に降り立った四人は、ぐったりと足を投げ出し、浜に座っている。

 朝日にきらめく海が眩しい。

 黒曜が珍しく口数が多い。


「……幸い、道震は討ち取ることができた。島が崩壊したということは、逆巻丸も始末できたようだな」


「まー、炎を噴かれた時にはたまげたが。あたしらにかかればな」


 白蛇御前が軽い笑い声を上げる。


「ようやく、北条時実様の仇を討てましたね。少し休んだら、御所に報告に参りましょう」


 あ、干し柿まだありますけど、召し上がります? といつになく軽い綾風姫。


「……これで、ようやくあいつらの勢力をだいぶ削げましたよ~~~、よかった~~~、あんな汚らわしい連中となるべく関わらないことに越したことはないですからね~~~」


 紫乃若宮は心底安堵したようだが、ふと黒耀を見据える。


「あ、でも、大丈夫ですか、黒耀さん。幼馴染みというか、そういう感じの奴だったんでしょ、道震って」


 流石にやられてないです……?

 紫乃若宮がじっと黒耀を案じると。


「……大事ない」


 黒耀は、穏やかに笑って、霊衛衆たちを見やる。


「……友なら、ここにおるからな」




霊衛衆遺文 【完】

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霊衛衆遺文 大久保珠恵 @Tamae_OKUBO

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