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  • 面構えへの応援コメント

    お疲れ様です。

    私が医学部を受験した時も、仮面浪人(大学院生ですが)という形で、研究室の論文抄読会や、アルバイトに時間を割きながら、頑張って勉強をしたことを覚えています。

    相当強いモチベーションがないと、宅浪は続かないと思います。

    モチベーションを高めて、集中して勉強、頑張ってください。応援しています。

    作者からの返信

    コメント+応援有難うございます。

    ちょうど去年の10月中頃に、同じく浪人確定の友人に「俺宅浪するんだよね」とその場の流れで言ったら「お前マジ!?」とドン引かれた経験があります。今思うとあれが、宅浪が浪人と比べて圧倒的にキツイという事実に気づいた最初の体験でした。遅すぎる……ナムサンッ!!

    ただ、自分は他の受験生と比べるとかなり恵まれていると思います。そもそも世の中大半の家庭ではただ飯ぐらいの浪人なんてさせてもらえないでしょうし……。アルバイトもやらずに家へ置いてもらえる家庭となると更に一握りに限られるのは間違いありません()

    浪人をさせて頂ける家庭に生まれたという天運を持って、今日という今日を大切に「勉強していきたい」と思います(笑)


  • 編集済

    赤ずきんと僕と正義感への応援コメント

    いわゆる「昔話」、西洋、東洋を問わず、結末が残酷なものって結構多いですね。私が子供のころ好きだった「オオカミと七匹の子ヤギ」では、満腹で寝ているオオカミのおなかをさばいて、子ヤギを助けるところまではいいのですが、そのあと、おなかに石を詰め込んでおなかを閉じ、水を飲もうとしたオオカミが石の重さでブクブクと沈み、溺死してしまう、という、今考えるとひどい話です。肉食ゆえ、動物を食べざるを得ない宿命を持ったオオカミが、自ら生きるために食事をした報いが「溺死」とは、残酷です。

    日本の昔ばなしでも「カチカチ山」は、原典では、おじいさんに捕まえられたタヌキがおばあさんに懇願して縄をほどいてもらうと、逆におばあさんを鍋で煮込み、おばあさんに化けたタヌキがそれをお爺さんに食べさせる、という残酷な話ですが、今の絵本では、おばあさんに怪我をさせた、くらいでごまかしています。その割にはタヌキは、「カチカチ山」で、背中にしょった薪に火を付けられ、ひどいやけどにはトウガラシを塗られ、最後は泥舟でブクブク…、という、これまたひどい話です。

    「ハーメルンの笛吹き男」は「実話説」もあるほどで、結構ダークなエンディングだと思います。

    それでもこのような話が伝えられている、という事は、その残酷性も含めて、何らかの意味があるのかもしれない、と思ったりします。

    もう亡くなられて20年以上経つかと思いますが、世代的には第一次ベビーブーマーの最後の方の方で、劇作家、作家、エッセイストの「中島 らも」という人がいます。私は個人的にこの人のエッセイが好きですが、その中で、

    「子供は、『ドンブラコ、と流れてきた桃をおばあさんが切ったら、中から真っ二つになった桃太郎が出てきました』という創作をするほど、無邪気で残酷だ」

    という文章があったことを覚えています。「昔話の残酷性」は「子供たちの無邪気な残酷さ」と表裏一体のものなのかもしれませんね。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。

    なるほど、確かに、子どもの頃の私は、本文中にもあったように赤ずきんやお婆さんが犠牲になる展開にショックを受けていましたが、その一方で、狼は犠牲になっても何の問題も無いと思っていました。狼が卑怯な手段で人を騙したのは間違いありませんが、それはそれとして、です。

    話が飛躍しますが、どうも世間ではこの正義感を拡大解釈している人が多い、と感じました。

    ネットの些細な誹謗中傷から、紛争問題に至るまで、全ての行動の根本には行き過ぎた正義感があるのだと思います。「こいつは絶対におかしい、だから訂正してやる‼」「頭のおかしいやつから自分たちを守らなきゃ‼」こうした急すぎる思い込みが対立を生んでいるのだなぁ……と。

    相手を一方的に悪だと決めつけ、容赦なく死に追い込む、正義感とはこういう危うさも秘めているものなのでしょう。信じ込むのではなく、上手く付き合っていきたいものです。

    童話から教訓が今も得られるあたり、私もまだ「子供」なのだ、と気付かされました。

    編集済
  • POWERRRRRRRR!!!!!への応援コメント

    「若さ」をとてもうらやましく思いました。

    昨年、筋肉をつける(高齢になると、筋肉が衰える「サルコペニア」という状態になりやすい)目的と、ダイエット目的で、半年ほど毎日筋トレを行ないましたが、
    毎日続けていても、腕立て伏せ(多分、上腕三頭筋を鍛えるやり方と、肩回りや大胸筋を鍛えるやり方)では、20回が限界で、それを超えると、「手がプルプル」ではなくて、上体を持ち上げることそのものができませんでした。

    体勢維持(多分「プランク」というやつでしょうか?)も1分30秒くらいで、「血圧が上がりすぎている」ような感覚で挫折していました。

    齢50を超えると、筋トレも大仕事です。肉体を使う仕事につかなければ、多分40代で、「ラジオ体操」が結構な運動量だ、ということを実感するのではないか、と思います。

    作者からの返信

    私が行っている筋トレも滅茶苦茶ガバガバでして……

    つい最近まで「パンプアップ」(筋トレ直後に筋肉が膨らんで見えること)という現象についてあんまり良く分かっていなかったり、腕立て伏せは毎日せずとも3日間隔くらいでOKなことを知りませんでした。一応毎日やるように心掛けてますが……

    また、文章中では、いかに自身がストイックに毎日やってきたか、みたいな事をつらつら語っていますが、あれは嘘です。正直毎日全部はやれてません。普通に時間の関係上出来なかったり、そもそも筋トレをする事自体頭から吹き飛んだりしています。昨日もスクワットが億劫で結局出来ませんでした。

    数ヶ月後(になるであろう)大学生活さえも想像できない私には、40代という遥か先の未来についての想像は全く出来ません。しかし「健康は大事」くらいの事は私でも分かっているつもりです。40代になってもラジオ体操を余裕綽々で乗り切れるよう頑張ります!!




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  • その名は 「GAVV」への応援コメント

    「仮面ライダー」シリーズも、「ウルトラマン」シリーズもずいぶんと長くなりましたね。仮面ライダーは26作目になるのですか。まるで一つの「クラス」ですね。

    初代の仮面ライダーや、「仮面ライダーV3」は再放送で、リアルタイムなら「仮面ライダースーパーワン」が記憶に残っているくらいです。

    ウルトラマンシリーズも、1980年放送の「ウルトラマン80」くらいまでしか記憶にありません。

    どちらも長寿シリーズですが、今やおっさんとなってしまった私には、何が何だらさっぱり…、という気分です。

    作者からの返信

    私の父はリアタイ視聴が「仮面ライダーV3」、「帰りマン」世代ですが、昨年「仮面ライダーギーツ」のライダー一覧を見せた際に「30人もいんの!?多すぎてわけわからん……」と言われました。

    昔のライダーやウルトラマンは、一作品内に主役ヒーローが多くても二人までで、それ以上のヒーローは「多すぎて子供たちが覚えられないので出せない」という判定だったそうです。

    しかし、今や仮面ライダーにおいては一作品内に出るライダーが優に十人以上を超え、企業(主にバンダイ)はアイテムをとにかく大量に売りまくり、大人(や私)を喜ばせる事はあれど子供が純粋に喜べるような作品は少なくなってきたなー、と感じます。

    具体的には大人でも引くようなエゲつな〜い展開の数々、子供は絶対に見ないであろう大人向け作品からのニチアサへのライダー流用、1万円以上する主役級ライダーのベルト、などなど……。

    勿論、「金のなる木」である高年齢層の確保もブランドの維持には当然必要ですし、ライダーの鬱展開やグロ描写においてはそもそも「仮面ライダー1号」や「仮面ライダークウガ」の時点で既に見られる話ではあります。出てくるライダー全員が主役であることも減りましたし、それに子供はライダーがテレビの中で動いているだけで簡単に喜びます(体験談)。

    でもなぁ…、もう少し、どうにかならないかなぁ……と思ってしまう今日このごろです。



    ちなみに、二日前から新しいウルトラマン、「ウルトラマンアーク」が放送中です。ビジュアルだけでも確かめてみて下さい。きっと驚かれると思いますよ!!

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  • 従兄弟と私、価値観の差異への応援コメント

    私は第二次ベビーブーマーのピーク辺りに属しているので、私のころは「浪人」はごく普通のことでした。どこかで読んだことがありますが、私が浪人をしていた1990年は、浪人生が35万人ほどいたそうです。今は4万人程度、とのことなので、今では、「浪人」を選択することが、「浪人」してまで入学すべき価値のある大学、学部を目指している、と考えてもあながち間違いではないのだろうと思います。

    以前、「医学部医学科進学」以外を許されず、何浪もさせられた女性が、それを強いた母親を殺害した、という事件がありました。また、「9浪して早稲田大学に進学した」という人が最近話題になっています。

    私の個人的意見としては、「浪人」は「1浪まで」で留めておいた方がいいだろうと思っています。「就職のための切符」としての学歴を求めるなら、明らかに「多浪」の名門大学よりも、「現役」のNo.2大学出身生が有利です。それに、よほどレベルの低い大学でなければ、「大学」で学ぶ学問は明らかに高校までの学問の範囲を超えているからです。学問に対する姿勢や、学問の深さなど、もちろん自発的に深めていく必要はありますが、「高校」で求められるものと「大学」で求められるものは異なるからです。

    従兄弟さんとZenakさん、装いや価値観の変化はやはり従兄弟さんの「大学での生活」の影響は大きいと思います。個人的感想ですが、かなり自由な高校生活を送っていましたが、それでも、大学生活とは大きく違ったな、というのが私の実感です。

    私は、色々なことがあって、現役生から8年遅れて医学部に再入学しましたが、8年間(うち1年は浪人)の経験は大きかったと思います。大学院の博士課程を中退、というところまで大学生活を経験したことは、医学生生活で非常に大きなものでした。8浪、では得られなかったことだろうと思っています。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。

    多浪はやはり良くないですよね。医学部を目指していた人から聞いた事があるのですが、昔と違って今はそもそも大学側が多浪の人を敬遠すると聞いたことがあります。仮面浪人の場合にどうなるかは知りませんが。

    ただ、私は多浪するという行為自体が「馬鹿」「悪手」だとは思いません。あくまでも、時と場合や本人の気質に依ると。

    勉強に関わらず何かに費やした時間に価値を見いだせるのは、結局未来の自分だけなのだと思います。何かに打ち込んでいる時はその努力がどう反映されるかなんて分かりません。その時は、来たるべき日に備えて、ただ我武者羅にやっていくしか道はないのでしょう。

    また、仮に過去の時間を無駄にしてしまったとしても、それを「無益」で終わらせるかどうかも未来の自分に掛かっていると思います。過去を教訓に未来へ活かそうと一生懸命努力すれば、帳消しは無理にしても、過去の怠惰をプラマイゼロ位にする対価は得られる筈だからです。

    ただ、私自身は絶対に「多浪」はしません。未来の自分への負荷が余りにもデカすぎるので……。

    現在過去の怠惰を糧に人並みに頑張ってはおりますが、私は元々飽きっぽくダラダラした性格なので、頑張るにしてもこの一年が限界だと思います。理想を語るのは誰だって出来ますが、いざ実践しようとすると超絶難しいコトは身に沁みて理解しています。

    未来の自分がこの投稿を見て「こんなモンも書いたなぁ(笑)」で済ませられるように、憧れのキャンパスライフ()を夢見て努力していきます……

    編集済
  • 隔青之感への応援コメント

    自分がいたころには「連綿と続いていたはず」のものが、無くなってしまったのを見ると、ある種の喪失感が心に走ると思います。

    私の通っていた高校は、私で21期生でしたが、草創期の先輩方が勝ち取ってくれた「自由」のおかげで、行事以外は私服登校ができ、またそのころの先輩方の伝統で「クラス合宿」というものがありました。「クラス」単位で1泊2日の合宿ができたのです。「学年」という枠も外れているので、「何を学ぶか」「何をするか」という事も含めて、すべてクラスのメンバーとクラス担任で議論し、実施していました。「クラス合宿」を通じて、クラスの団結が強くなる、というものでした。

    何か事件があったわけではないのですが、高校3年の時に校長が変わり、理由は不明ですが、「クラス合宿」が禁止となりました。

    自分が生まれたころ辺りから行われていた、我が校ならではの行事がなくなったことを、大変悲しく思ったことを思い出しました。「俺たちの伝統だったのに」と悔しかったことを覚えています。

    半世紀ほど生きてみると、5期~21期なので、15年の歴史しかない、と言えばそうなのですが、18歳にとっての15年は、半世紀の中の15年とは重みが違います。そういった思い出も「アオハル」だなぁ、と今は思います。

    作者からの返信


    コメント有難うございます。

    「アオハル」……いい響きですね。何しろ通っていた所が男子校ゆえ、あまりそういった機会に恵まれなかったもので…(まぁアオハルをしっかり満喫できたかどうかは個人の問題でしたが)18年間生きていた中で、自身が慣れ親しんだ伝統が消えるというのは初めての経験でした。エッセイでの表現も誇張なしに、その日はかなりのショックを受けた事を記憶しています。


    さて、今回のエッセイは殆ど事実に沿ったものですが、実をいうと、その後さらに私的に面白い発見がありました。くどくなると思い、エッセイには載せませんでしたが。

    時系列的には「白組」の存在を認知した翌日、ふと、私はある記憶を思い出したのです。


    自身がまだ小学5年生だった頃。授業の課題の一環で、同じ班のメンバーと共に、学校の資料を図書室で手当たり次第漁っていた時のこと。

    司書さんが我々の所にやってきて、表面の塗料が完全に剥げている古い写真アルバムを見せてくれました。どれも興味を引く写真ばかりで、夢中でページをめくっていると、その中で一際私の目を引くものがありました。

    屋上から校庭を写したと思われるその写真には、「赤・青・黄」の三色に加え、なんと「緑・白」の二色の団旗や生徒たちの群体が映り込んでいたのです。

    司書さんは、「今から30年くらい前にはこの学校には2000人近くの生徒がいて、運動会の組分けも5色あった」のだと教えてくれました。


    これを教えてもらった当時は、「へー昔はそんなにあったんだぁスゲー!!!」で終わってしまいましたが、今、こうして自身の体験を踏まえてみると、緑と白がリストラされた時の大先輩方の心情もきっとこんな感じだったのだろう、としみじみ思ってしまいました。

    ありきたりな感想ですが、歴史は繰り返すものなのだなぁ、と……。

    編集済
  • わおっ!”I am science.”なら”私=科学”となってしまいます。「私は理系です」なら、”I'm a science major."とか”I’m majoring in science."辺りが妥当だと思います。昔からの英語笑い話で、国際線の飛行機の中で、CAさんに"Coffee or tea?"と聞かれた人が"I am coffee."と答え、けげんな顔をされた、というものがあります。

    さて、私が医学部を受験した時もいわゆる旧課程と新課程の切り替わり期でした。当時はセンター試験でしたが、2年間の移行期間(旧課程と新課程の選択ができる)の2年目に受験しました。1年目は「旧課程」が易化していたので、「これはまずい」と思い、私は「新課程」で受験しました。これが大正解で、私が受けた年は、「新課程」が易化、「旧課程」が超難化していました。そういう点でも、前年の出題傾向、「課程」が変わるときは大切かもしれません。

    私も「数学のできない」理系の人間です。いわゆる「理科」と呼ばれる教科では、「分類学」「博物学」みたいな、動植物の名前や分類を覚えたり、星座を覚えたりするのは嫌いでしたが、それを除くと、色々な自然現象や、エンジニアリングなどは大好きでした。高校時代は「中原 中也」や「太宰 治」に傾倒していて、文学部に行こうとも思ったことがありますが、「理系に進んでも『詩』を書くことはできるが、文系に進んで『自然科学』を仕事にすることはできない」と思って理系を選択しました。大学に入学して、どこをどうして数学の単位を取ったのか、未だに思い出せません(笑)。

    遺伝というのは恐ろしいもので、子供たちも「数学の苦手な」理系人間です(笑)。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。


    そうですよね、流石に"I am science"はおかしいと薄々感じておりました。

    成程、”I am science major.”ですか。全く思いつかなかったなぁ……。英語の成績、今回はそんなに悪くはなかったんですけどね。どうやらあれは幻覚だったようです。以後、気をつけます。

    今回の新課程への切り替えで、僕の学校のみならず、受験界隈全体では、浪人生が激減するんじゃないか、なんて言われておりました。そしてその漁夫の利を狙い、東進などでは「周りが高偏差値帯の大学を渋る今年がチャンス‼‼」などと喧伝していたようです。

    ……まぁ、結果的にその目論見は外れたらしいのですが。僕の学校では、寧ろ例年よりも多くの浪人生を輩出しました()
    大衆の観測というものは、どの時代や社会でも当てにならないものです。


    ちなみに、僕はといえば、分類学や博物学などは、むしろ大の好物に当たります。元々生物学が好きで無理を押して理系に進んだようなものなので(笑)。それとは別に、こうして自身の思考を文字に起こすのも大好きです。

    ただ、そういう行為に興味を持ち始めたのはかな〜り最近です。1年半前の自分が、文章作成に勤しんでいる今の僕を見たら、びっくら仰天している事でしょう。まして、「浪人して日記っぽいのをカクヨムで書いてる」なんて知ったら、二つの意味で腰を抜かしてしまうに違いありません()


    という訳で、僕は中高の六年間でまっっっっっったく小説などを読んでいませんでした。もしあの時期に覚醒してもっと書に慣れ親しんでおけば……と、悔やんでも悔やみきれません。

    勉強に支障をきたさない程度に、現在も読書を続けています。大学を卒業する頃までには、一般的な読書家の人達に追いつけるといいなぁ……

  • ソロ花見(後編)への応援コメント

    私が「医師」になる過程の中で、一番難しかったのが「医学部医学科」に合格する、という事だったと、今でも思っています。今でも、「合格」は奇跡だと思っていますし、母校には足を向けて眠れません(笑)。

    子供のころから、勉強はできた方ですが、運動や体育は目を覆いたくなるほどのできなさっぷりでした。跳び箱は飛べない。逆上がりはできない。50mを真剣に走っても11秒くらいかかる(小学生で、速い子なら7秒台で走ります)、球技なんてチームの「お荷物」扱いでした。

    小学校、中学校、そしてある程度は高校でも、スポーツのできるやつは女子に人気です。という事は逆に私は「冴えない君」代表みたいなものでした。

    そんなわけで、小学生くらいから、「できるやつは遊んでてもできる。できない奴はどんなに頑張ってもできない」と思っていました。「結果=才能×努力」だ、と思っていました。

    そういう点で、自分に「できないこと」がたくさんあったからか、自分は少なくとも「傲慢で嫌なやつ」ではなかっただろう、と思っています。

    体育祭で、ほかのランナーが全員ゴールしているのに、自分は半周以上も遅れていて、放送席から「最後のランナー、頑張って走ってください。みんな応援してください」と言われ、心の底から「俺、誰も見てなくても全力で走るから、どうか俺のことを見ずに放っておいてくれ!」と、公開処刑された経験があるから、「できなくても頑張っている奴」を見ると、心から「頑張れ!」と応援してしまいます。

    作者からの返信

    本話の「鈴木」の性格やバックグラウンドは自身が今までに読んできた創作や関わってきた人達をモチーフにしました。要するにキメラですね。

    登場人物として物語に出すキッカケになったのは山線・川線氏のコメントがきっかけです。非常に身勝手極まりない話で申し訳ないのですが、創作のタネを早くも行き詰まっていた私に降らせてくれて本当に感謝しています。

    「鈴木」の直接的な人物像のモチーフとしては、高校の知り合い二人を参考にしています。性格は真反対ですが、どちらも根はいい奴で、何よりも絶対に上位校へ合格してやろうという意志と気概を持った好人物でした。

    後期試験後、片方が私と同じく浪人したと知り、更には卒業後の集まりにも出席しなかった為、心配で個人的に連絡を取ってみたのですが……、

    電話越しに小一時間会話し、いつも通りの調子でネタも交えながら楽しい時を過ごせました。本人曰く、「落ちたのは悔しいけどやるしかねぇ(意訳)」だそうです。「それだ!!!」と閃き、本話のオチに形を変えて採用することにしました。
    そのまま載せたらただの根性論になってしまうので……。

    編集済
  • はじめに(暫定)への応援コメント

    高校卒業後、1年間浪人生活を行ない(予備校に通いました)、大学院生時代に、「仮面浪人」をしました。

    高校卒業後の「浪人生」時代は、「何者でもない」という居心地の悪さが辛かったことを覚えています。

    「仮面浪人」時代は「仮面浪人」とはいえ、所属している研究室には毎日顔を出し、学術論文を読みながら、という「半分受験生、半分大学院生」でした。

    どうしても「医者」になりたい、と思って勉強していたので、そんな感じでしたが、何とか医学部に引っかかることができました。

    この時は、一応「大学院生」という身分だったので、高校卒業後の「何者でもない」感に苛まれることがなかったのは、よかったと思います。

    「宅浪」するなら、モチベーションを保ちつつ、毎日の課題を着実に進めていくことが大切だと思います。

    頑張ってください。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます!!

    やはり何事にもモチベーションは大切ですよね……。

    半強制的だった学校生活や日々の宿題は、寧ろありがたいものだったのだな、と今更ながら痛感しています。

    医学部、医学校に行った奴、それから目下浪人しながら目指している奴を何人か知っていますが、共通して思うのは、やはり「数年先を見据えて」行動できていた事だと思います。

    「数年先を見据えて」行動をするというのは、医者になるという「夢」が無いと出来ません。「夢」があるからこそ、高校生という余裕のない生活の中でモチベーションを保って行動できていたのでしょう。……中にはそんなものが無くてもどうこうなる天才もいますが。

    僕も「夢」を抱いていない訳ではありませんが、今思うと、それを求める心とビジョンが少し弱かったような気もします。

    天才ではないなりに、この一年は頑張らないといけませんね…