応援コメント

赤ずきんと僕と正義感」への応援コメント


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    いわゆる「昔話」、西洋、東洋を問わず、結末が残酷なものって結構多いですね。私が子供のころ好きだった「オオカミと七匹の子ヤギ」では、満腹で寝ているオオカミのおなかをさばいて、子ヤギを助けるところまではいいのですが、そのあと、おなかに石を詰め込んでおなかを閉じ、水を飲もうとしたオオカミが石の重さでブクブクと沈み、溺死してしまう、という、今考えるとひどい話です。肉食ゆえ、動物を食べざるを得ない宿命を持ったオオカミが、自ら生きるために食事をした報いが「溺死」とは、残酷です。

    日本の昔ばなしでも「カチカチ山」は、原典では、おじいさんに捕まえられたタヌキがおばあさんに懇願して縄をほどいてもらうと、逆におばあさんを鍋で煮込み、おばあさんに化けたタヌキがそれをお爺さんに食べさせる、という残酷な話ですが、今の絵本では、おばあさんに怪我をさせた、くらいでごまかしています。その割にはタヌキは、「カチカチ山」で、背中にしょった薪に火を付けられ、ひどいやけどにはトウガラシを塗られ、最後は泥舟でブクブク…、という、これまたひどい話です。

    「ハーメルンの笛吹き男」は「実話説」もあるほどで、結構ダークなエンディングだと思います。

    それでもこのような話が伝えられている、という事は、その残酷性も含めて、何らかの意味があるのかもしれない、と思ったりします。

    もう亡くなられて20年以上経つかと思いますが、世代的には第一次ベビーブーマーの最後の方の方で、劇作家、作家、エッセイストの「中島 らも」という人がいます。私は個人的にこの人のエッセイが好きですが、その中で、

    「子供は、『ドンブラコ、と流れてきた桃をおばあさんが切ったら、中から真っ二つになった桃太郎が出てきました』という創作をするほど、無邪気で残酷だ」

    という文章があったことを覚えています。「昔話の残酷性」は「子供たちの無邪気な残酷さ」と表裏一体のものなのかもしれませんね。

    作者からの返信

    コメント有難うございます。

    なるほど、確かに、子どもの頃の私は、本文中にもあったように赤ずきんやお婆さんが犠牲になる展開にショックを受けていましたが、その一方で、狼は犠牲になっても何の問題も無いと思っていました。狼が卑怯な手段で人を騙したのは間違いありませんが、それはそれとして、です。

    話が飛躍しますが、どうも世間ではこの正義感を拡大解釈している人が多い、と感じました。

    ネットの些細な誹謗中傷から、紛争問題に至るまで、全ての行動の根本には行き過ぎた正義感があるのだと思います。「こいつは絶対におかしい、だから訂正してやる‼」「頭のおかしいやつから自分たちを守らなきゃ‼」こうした急すぎる思い込みが対立を生んでいるのだなぁ……と。

    相手を一方的に悪だと決めつけ、容赦なく死に追い込む、正義感とはこういう危うさも秘めているものなのでしょう。信じ込むのではなく、上手く付き合っていきたいものです。

    童話から教訓が今も得られるあたり、私もまだ「子供」なのだ、と気付かされました。

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