エピローグ 俺の日記〜千崎靖人の本音〜
日記を書き始めたのは、日頃の苛立ちとか、思い通りにいかないこと、特に、自分の考えをまとめたかったのがきっかけだと思う。
何一つ隠さずに書いた。
この先読むことができないんじゃないかと思うほど、汚い字になったこともあるし、汚い言葉で書いてしまったこともある。
サッカーについては極めて真剣で、その分、中途半端な奴らや、情けない自分への怒りは、自分のことなのに驚いてしまうほどだった。
もっと冷静になりたくて、もっと優しくなりたくて、自分本位じゃなくて、人の為にもなりたかった。
高一の夏休み明け。
学校の廊下の床にてんとう虫がいて、外や家で見る時とは違い、あまりにもその存在の儚さを感じた。
何も考えずに廊下を走り、騒ぐ学生たちの姿が思い浮かんだからだろうか。
指にのせようとしても、うまくのってくれなかった。
変に力を入れて弱らせても困ると思って、壁に貼られたポスターを拝借した。
てんとう虫がポスターに乗るのを、ひたすら待つ。
すると突然、後ろから誰かが勢いよく走ってくる音がした。
てんとう虫の身の危険を案じた。
そのタイミングでようやく、てんとう虫がポスターにのってくれる。
立ち上がり、振り向くと、そこには多良さんがいた。
「あっ、その・・・」
どうしたのだろう。
一度も話したことがないのに。
間違いなく彼女は、俺を見ている。
「今、屈んでいたので、具合が悪いのかと思って・・・」
そういうことだったのか。
心配してくれていたのだ。
多良さんにてんとう虫を見せ、てんとう虫が飛び立つのを一緒に見守った。
笑顔の彼女を見て、勇気が湧く。
ポスターをもとに戻して、俺は言った。
「このポスターが剥がされない限りさ」
目が合うと、もっと勇気が湧いた。
不思議だった。
彼女から感じる優しさや、優しさゆえの不器用さが、頑張りたいという気持ちを掻き立てる。
俺は、多良さんと話すのが初めてで、だけど、多良さんのことが気になっていた。
高校に入ってすぐの時、部活をサボろうとして行った図書室。
彼女は読書をしていて、俺はその姿に、一目惚れしてしまったのだ。
でも、女子を可愛いと思うことは今までにもあったことで、ドキドキするのは思春期のせいだと思おうとした。
俺は適当に、読みやすそうな雑誌を手に取り、彼女から離れた場所に座った。
それでも、気になって見てしまっていると、彼女がさっきから、図書カウンターの方を何度も見ていることに気が付いた。
もしかして、図書委員に好きな人でもいるのだろうか。
不安が過ぎるのは、出会ったばかりなのにおかしいというのは分かっていた。
すると、図書委員の女子がカウンターの奥に入ったタイミングで、彼女が急に立ち上がり、本棚ではなく、ポスターが貼られた壁の前で止まった。
ポスターには、“図書室ではお静かに”と書かれていて、ポスターの右上の端が剥がれてきてしまっている。
おそらく、テープの粘着力が弱せいで剥がれてしまった部分を、彼女はもう一度付くように力を込めて押した。
そっと、彼女の手がポスターから離れる。
ポスターの右上の端は、綺麗に貼られた状態になった。
しかし、三秒も経たないうちに、ぺらっと、また剥がれてしまう。
俺は、声を掛けようかと思った。
図書委員の人に言えば、すぐに貼り直してくれるだろう。
もどかしいとまでは思わなかったけど、彼女は自分とは全然違うと思った。
ポスターが剥がれてるくらい、俺なら無視するだろう。
もし直そうとするにしても、すぐに人に声を掛けるだろう。
俺が声を掛けようとした時。
彼女は、カウンターの方に向かった。
そして、図書委員の女子が奥の部屋から出てくると、ようやく勇気を振り絞ったように小さく、
「あの・・・」
と声を掛ける。
「はい」
「あそこのポスターが剥がれてきていて・・・」
指さされた方のポスターを確認する。
「あっ。教えてくれてありがとうございます・・・あ、ありがとう。同じ学年だよね?」
「あ、うん。多良奈央子です。よろしくね」
そこで、彼女の名前を知った。
これから親しくなることが目に見えて分かるような空気感で、多良さんと図書委員の女子は言葉を交わしていた。
視線を感じたのか、ふと、多良さんがこっちを見た。
俺は、慌てて、読み始めてもいなかった雑誌に目を落とす。
誤魔化せていたのかは分からなかった。
その日の日記には、多良さんのことがメインに書かれている。
理由を言葉にするのは難しいけど、多良さんのことが気になる。
それに、明日は部活頑張ろうって思えた。
そういう締めくくりだった。
それから、彼女を見かければ、目で追ってしまう日々が続いてた中で、てんとう虫のお陰なのか、多良さんと話す機会が訪れたのだった。
「このポスターを見るたび、てんとう虫の役に立てた日のことを思い出してみるよ」
この瞬間を、自分だけじゃなくて、多良さんの記憶にも残したいと思ったのだと思う。
返答に困ることを言ってしまった。
それなのに彼女は、
「じゃあ私はてんとう虫を救った、そんなヒーローのことを思い出すね」
と言い、俺の心を癒やした。
この瞬間に、一目惚れの先の、完全な恋に移行したのだ。
嬉しくて、笑顔を隠せない。
クールなフリなんてできない。
「じゃあ俺も。ヒーローだって言ってくれた多良さんを思い出すよ」
多良さんともっと話したいと思い、でもなかなか声を掛けられず、日記には多良さんへの正直な気持ちが溢れ、ついに俺は行動に移すことになった。
図書室にも会いに行き、嫌われるのも覚悟するほど積極的にアピールした。
はっきり断られるまでは、諦めないと誓って。
「なあ、俺の日記読んでみないか?」
そんなことまで言ってしまった。
俺の本音を知ってほしいと思った。
でも、それよりも。
ただ、好きだった。
遠くからではなくて、近くで、恋したかっただけだ。
結局、俺の日記を見せることはなく、彼女と付き合うことになった。
彼女への想いはできるだけ、本人に伝える。
日記に書いている場合じゃない。
だって日記は、たとえ本音を書いたって、それが本人に伝わる保証なんてないものだから。
もしも私の日記を見せるなら あおなゆみ @kouteitakurou
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