りんごと寝言

真花

りんごと寝言

 日曜日の度にデートをしなくてはならない。いつからそう決まったのだろう。思い出せないのはきっと、最初は毎週のデートがしたかったからだ。今は違う。たまにしかない休日を束縛されて、僕を消耗させられている。平日は忙しくて会わないし、土曜日は死んだように寝ている。唯一の自由が土曜の夜だけで、日曜日はまるで二つ目の仕事をしているかのようだ。ミキはいつも僕の右側を歩く。ひょっとしたら同じことを思っているのかも知れないが、違ったら嫌な思いをしそうだから訊けない。スーパーを一緒に歩く家族ごっこも本当は嫌だ。だが、これもいつものことだから、こなすように店内を回る。ミキが果物コーナーに近付くのに、飼い犬のように付いて行く。

「りんご買う?」

 どっちでもよかった。どうでもよかった。僕はこんなことをしている場合じゃない。このままでは、仕事を生きるためにしているだけで人生が終わってしまう。僕が黙っていたら、ミキはりんごを一つ、僕が持ったカゴに入れた。カゴの中にはノンアルコールビールと、シャケと野菜、豆腐、しめじ。山になっているカゴの中にギリギリりんごが乗っかった。ミキがレジに進む。僕が追いかける。りんごが落ちた。

 ど、と鈍い音をして床に落ちたりんごが僕の前に跳ねて、足に当たって、まるで僕が蹴ったみたいに転がって行った。りんごはチューインガムの棚の下にぶつかって止まる。ミキがすぐにそれを拾う。りんごをじっと見て、レジに行った。僕もミキの後ろに並ぶ。

「りんごごめん」

 ミキは手に持ったりんごをもう一度、へこみや傷を確かめるように見てから、レジに置く。僕もカゴを置いて、店員はりんごの変形を無視してレジ打ちを進め、僕はエコバッグに全部を詰めた。りんごが一番下になった。店を出ると、またミキは僕の右を歩く。

「傷付けたら、責任を取らないといけないんだよ」

 僕はミキを傷付けたのだろうか。僕の毎週の摩耗は、責任を取る行動なのだろうか。そうだね、と僕は言って、そうなのかな、と胸の中で首を傾げた。それから僕達は黙ってミキのマンションに行った。もう殆どの週末がワンパターンで、会って、昼食を食べて、街を少し散策したらスーパーに寄って、ミキの部屋に行く。縛り付けられるような一日。空ばかり青い。僕はこの空を享受していない。

 部屋に入ったらセックスをする。心が欲望に光っていない状態で、決められた、予定されたセックスは、労役でしかない。ミキもそう思っているのではないか。だが、訊けない。僕は義務を果たすように前戯をして、権利を放棄するように腰を振る。それでも一定の結果にはなって、僕達は横並びに少し眠る。いつも少し眠る。まるで、余った時間を詰めるみたいだ。ミキは起き出して夕食の支度を始める。作ってくれと頼んだことは一度もないが、いつの間にかその動きが当たり前になっていた。僕はやってもらって悪い気持ちと、手伝っても大したことが出来ないし、邪魔、と前に言われたこともあって、身を持て余す。寝たふりをしたり、今日は、テレビを見ることにした。

 日曜夕方のテレビは最悪だ。番組が悪いんじゃない。明日が月曜日だからでもない。この束縛された一日に、さらに無為を僕に詰め込むような時間だからだ。だが他にやることは携帯をいじることくらいで、それはテレビを見ながらでも出来る。うんざりする時間がテレビと番組に付着して、それが毎週累積して今や、テレビをつけるとそのうんざりが胸の中にどちゃっと泥を撒き散らすように広がる。それなのに僕は今テレビをつけた。それしか行動の選択肢がなかった。

 画面の中のお祭り騒ぎが何であるかは関係なく、泥まみれの胸が時間と共に擦り減っていく。番組まで嫌いになってしまった。もしいつか日曜日を一人で過ごすなら、絶対にテレビは見まい。そう誓いながら、テレビを眺める。時間がシュレッダーにかけられていく。

「出来たよ」

 ミキに呼ばれて食卓に行く。これも家族ごっこだ。ノンアルコールビールを開ける。別に飲みたくない。ミキが勧めるから飲んでいる。ミキは飲まない。いただきます、と声を揃えて食べる。美味しいのだが、魚じゃなくて肉がよかった。ずーっと魚だ。健康のためらしいが、僕が好きなものを食べることも心の健康に必要なんじゃないだろうか。特に会話もない。一週間分の話題はデートの前半で消費し切ってしまう。だから毎回静かな食事になる。テレビは食事中は消すことになっている。ごはんを食べ終えたら、ミキがへこんだりんごとナイフを持って来た。

「食べるよね?」

 僕が頷くと、ミキはりんごの皮を剥き始めた。しゃらしゃらと裸になっていくりんご。僕はじっとそれを見ていた。二人とも言葉を発することなく、りんごが出来上がる。ミキは、切らずにりんごをしゃり、と噛んだ。ん、と僕に渡す。僕はへこんだところを食べた。ミキが薄く笑う。

「きっとそこを食べると思ったよ」

 僕はりんごをミキに渡す。ミキは食べずにりんごを持ったまま、小さく息を吐く。

「浮かない顔をしてるよね。どうしたの?」

 僕は咄嗟に自分の顔を手で触れる。りんごの汁がわずかに付いていただけだった。だが、僕がりんごのへこみを食べた事実もそこにはあって、それを思うと急に、誤魔化してばかりの日曜日に抵抗したくなった。ミキはへこみを食べなかった。僕は食べた。だから。

「また何者にもなれずに今日が終わる」

 僕は自分の言葉が、日曜日だけではなく平日も毎日実は感じていたものの結実だと分かった。口の中に残っている響きにまるで溺れるように、自分の吐いたものに自信を感じて、胸を開くように堂々とする。口許が少し緩んだ。

 ミキはりんごをテーブルの上に、だん、と音を立てて置いた。新しいへこみが出来たはずだ。殺意そのもののような目で僕を射る。僕は飼い犬のように縮こまる。自信は蒸発した。ミキがりんごを齧って、ぷ、と床に吐き出す。

「何者になるとか言うのは自由だけど、そのための努力をしてないならそれは寝言だから」

 ミキはりんごを僕に渡す。僕はミキの殺しそうな顔を見て、りんごを見る。もう一度ミキを見て、りんご、……僕は齧って、口の中のりんごをどうすればいいのか分からない。


(了)

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