地獄で輝く水色の手帳

柴村きりん

地獄で輝く水色の手帳

 家庭の事情で、私は幼いころから祖父母と三人で暮らしていた。そして、小学校に入学する頃に祖父が他界し、そのあとは祖母と二人きりで暮らすことになった。

 二人きりということは、私の面倒を見てくれるのは祖母しかいないので、いつでもどこでも祖母にくっついていた。

 祖母が電車に乗ってお出かけするとなれば、もちろんそれは、私にとってのお出かけでもあった。


 小学校低学年だった頃の、とある休日。

 その日も祖母に連れられ、早朝から各駅停車の鈍行に乗って出かけることになった。


 電車に乗って窓の外を見ていると、始めは電柱だらけの町だったのに、だんだんと緑色の畑が多くなり、そのうち、遠くの方に山も見えてきた。

 電車で出かけると祖母は決まって「次の次で降りるからね」と合図を出してくれていた。けれど、その日はなかなか合図が出てこない。

 私は少し心細くなり、隣に座っている祖母に聞いた。

「どこまで行くの?」

「里山のおばさんちだよ」

 そうは言われても、祖母には沢山の親戚や友達がいたので、その里山のおばさんがどの人なのか、私は会ったことがあるのか、全く見当がつかない。

 その辺をもう少し詳しく祖母に聞きたかったが、電車の中で喋ってばかりいるのは良くないと祖母に教わっていたので、そのまま、分からないままでいた。


 外の景色を見るのも飽きて、私は着ていたオーバーオールの胸当て部分のポケットに仕舞ってあった、手帳を取り出した。

 手帳の表面は水色でつるつるしていて、お洒落で大人っぽい。

 中のノートには、カレンダー、住所録、友達の誕生日や血液型、それとニックネームまで書けるページがあった。

 最後のページは自分のプロフィールが書けるようになっていて、そこがまだ途中だったので、手帳と一緒に持ってきていたミニボールペンで続きを書くことにした。


 しばらくして、ようやく祖母が合図を出した。

「次の次で降りるからね」

 私は手帳を元のように胸当てポケットに仕舞い、降りる準備をする。

 次の次の駅で電車を降りると、山がすぐそばにあった。

 改札を出てロータリーのバス停からバスに乗る。

 バスはくねくねとした道路を走り、どんどん山の中に入って行った。

 バスを降りると、目の前に大きな家があり、そこが里山のおばさんの家だった。


 大きな家の広い玄関を上がって、奥の奥の座敷の部屋に通されると、さっそく祖母とおばさんの賑やかなお喋りが始まった。

 その内容を聞いていると、どうやら私がもっと小さかった頃、一度この広い家に遊びに来ていて、おばさんにも会っているらしかったが、その事は全く覚えていなかった。

「手帳出してもいい?」

「いいよ」

 大人の中で退屈していた私は、祖母の許可をもらってまた水色の手帳で遊び始めた。

「きれいな手帳ね。誰に買ってもらったの?」

「おばあちゃんに買ってもらいました」

 おばさんの質問に、悠々と自慢げに答えられて、私はとても気分が良くなった。


 そうこうしているうちに昼の十二時になり、おばさんがお昼ご飯を用意してくれて三人で食べた。

 食べ終わったところで、小さな声で祖母に言う。

「トイレに行きたい」

 我慢していたのだ。言い出すタイミングが分からなくて、ずっと我慢していた。

 それを聞きつけたおばさんが「トイレはこっちだよ」と言いながら案内してくれて着いて行くと、そこにあったのは、便だった。


 怖い。

 入りたくない。

 したくない。

 でも、限界が近づいてきてるのがわかる。

 勇気を出して、なるべく穴は見ないようにして、便器の横に足を置いた。


 オーバーオールの肩ひもを下す。

 右を下ろして、左を下ろして。

 自然と胸当てが逆さまになる。

 ぼとっ。

 便器の下から音が聞こえた。

 恐る恐る、便器の穴の奥を覗く。

 穴の奥に見えたのは、地獄の中で輝く水色の手帳だった。


「おばあちゃん、大変! 落ちちゃった! 手帳が落ちちゃった! どうやったら取れる? 取りたい! 取って! どうしよう」

「バカだね。早くおしっこしておいで」

 血相を変えて悲鳴を上げ、泣きながら地獄の光景を訴える私に、容赦ない祖母の言葉。

「できない! 手帳があるからおしっこなんかできない!」

「もらしたら着替えはないんだよ、諦めな!」


 ここから先の記憶がない。


 輝く水色の手帳の上で、私は、しちゃったのか、しなかったのか。


 ずっとトイレを我慢していて限界だった。 

 おもらしをするわけにはいかなかった。

 もう、どうにもならない状況だった。

 だから、きっと。


 しちゃったんだろうな。



 

 【完】

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