わたしの黒歴史

雨 杜和(あめ とわ)

わたしの黒歴史



 日々が何かの罰ゲームかと思いはじめている今日この頃。

「黒歴史放出祭」が、そろそろ締め切りと知った。


 書こうか、やめようか。


 ふんわりと悩んだ結果、わたしにとって、もっとも痛くはあったが、精神的には耐えられる黒歴史を書こうと思う。





 そう……、あれが起きたのは、コロナも収束に向けた、ある日のことだった。


 いつものように自宅待機をつづけ、つづけ、つづけ過ぎた結果!

 ものすごく気を許した状態で、階段を……、「ふん、ふん」って軽快なリズムで降りていった。


 いったい誰が、それを予想しただろう。

 はじまりが軽快であったがために、その後の結果は、少なくともわたしにとって、晴天の霹靂へきれき、驚天動地の事態になる。


 なんと階段を一段踏み外して、そっから落っこちたのだ。


 階段で転ぶ。

 そんな経験、小学生以来だった。


 いやもうね、自分で思っても見事であった。恥ずかしいから、あまり話したくないけど。

 なにがって、その時、自分のなかで浮かんだ名案や、自分の年齢や。その他、もろもろのことだ。


 左足がズルって滑り、それで、「おおぅ!」って、海外ドラマで端役のおばさんが叫ぶような声あげながら、お尻からドッシン、と。


 その反動ですべった足が上にはねあがって、見事に90度上空。

 その時、着用していたのは、部屋着のワンピースで。


 わたし、転びながらも、足!

 そこ上がりすぎって、勇敢にも注文つけてた。



 まあね、人生で、もっとも言うことを聞かない相手が自分の身体と感情という不幸に、これまで何度も、それこそ何百回も困惑してきた。


 そこ、足! って他人に言えば、彼、彼女らは少し躊躇ちゅうちょしたり抑制したりするものだ。


 わたしの言葉を一番聞かないのは、わたしだとわかった。


 ともかく……


 頭より足が上にあるって、鉄棒の逆上がり以外にゃ、あってはならんことだ。これだけは、はっきりしておきたい。


 世のためにも、ここは注意喚起しておきたい。


 足は頭より下!




 さて、階段を落ちるとき、わたしが短いあいだに考えたことは、あまりに多い。


 まず、最初に危機意識。

 この勢いですべって転べば、足が前に勢いよく振り上がったまま、ブーメランになって、強く勢いよく後頭部をぶつけるってことだ。


 おお、それは、まずい!


 強く思った。


 いや、まずい! これはまずい! このスピードで頭を打ったら即死か? いや、たぶん即死だよ。


 その時、両手にトレイを持っていた。その上には食べ散らかした食料品が、つまり自宅待機用に集めたプリンの亡骸とか、チョコレートとか、コーヒーとかが、トレイと一緒に舞っている。


 階段、下から2段目だったけど、それでも頭を打ったら、かなりまずい。とっさにそれを想像した。




 んで、階段を落ちる瞬間。あの曲が頭に流れてきたのだ。


 わが小学校運動会のテーマ曲『天国と地獄』オッフェンバッハ作曲。


 🎵うちゃちゃちゃちゃらちゃら〜〜。


 これを聞くと、条件反射で物陰に隠れたくなるほどの運動音痴なわたしである。

 運動会における、まさに、天国のリレー選手と地獄の運動オンチのための曲。


 誰があれを流行らせたか知らないが、ある意味、センスはあることは認めよう。


 音楽が耳に流れ、不吉な予想以外考えられない瞬間。とっさに取ったわたしの行動は、自分を運動選手と勘違いさせようとしたことだ。


 体を丸めて柔道の受け身のような体勢をとって頭部を守る。お察しの良い方は、できると思われたかもしれない。


 ふふふ……、


 君はわたしを知らない。そして、なお悪いことに、わたしもわたし自身を知らなかった。


『とっさに、その場で、たとえば、足が90度あがって、すっ転んだら、肘を犠牲にして階段をおさえ、くるっと体勢を変え華麗に飛ぶ。

 次に、何事もなかったかのように、空中に飛んだ食物を、右、左、右、左と手で受け止め、バンと片膝をあげ、階下でフィニッシュ!』


 この時、絶望的な自分に課した課題は上記のようなものだった。


 二重カギ括弧で述べたような華麗なスポーツ選手になる夢、いや、想像は一瞬した。


 だけど、無理だ。

 せめて、頭を両手で抱える。

 どんなアホな運動神経でもってしても、これくらいなら、できそうだ。


 ね!


 それくらいなら、できるでしょ。

 できると思うでしょ。


 ここが、わたしが自分を知らないとこなんだな。

 頭で思っても、手足が全く自由に動かない。


 わたしが階段で転んだ瞬間、

 華麗なプロの着地から頭を手で押さえるというアマチュアレベルの対応まで、いろいろな可能性は確かにあった。


 そして、不幸なことに、すべてが実際には起きなかった。


 わたしは、ただ、すべって、転んで、尾てい骨をドンと打ち、そのまま階段下に、二段ころげ落ちて、大の字になる醜態を繰り広げたのだ。


 後頭部を打たなかったのは、単なる偶然による奇跡だった。

 それ以外のなにものでもなかった。




 自分の半生を顧みたとき、こうした偶然の奇跡という以外にはない幸運に支えられて、ここまで無事に来たと心から反省している。


 米国の貧民街に迷い込んだときも、台風後に取材で車を運転して、道が崩れていることも知らず迷い込んだときも、奇跡的に助かった。


 なぜ? と聞かれると、もう奇跡だったとしかいえない。



 さて、昔から厚労省では、「階段が古くて、手すりもなく、滑りやすい」の三拍子が揃うと事故が起きやすいと注意喚起している。


 役人たちよ。

 君たちの頭はボンクラか。


 あるいは、適当な事例を単純に印鑑押して、通しているのか!



 わたしはな、『階段が古くも、手すりも、滑り留めの』階段で、やっちまったんだ。


 だから、

 人差し指でチッチッチッと左右に振って、厚労省の標語を否定する権利はある。



 自宅の安全。けっして侮るべからず、手すり程度じゃ守れない。

 これは、独断と偏見だが、世の中には、わたしのような黒歴史を持つ者が多いと思う。表に出ていないだけだ。


 この際、はっきり伝えておく。

 どれほど安全対策しても……



「起きるときは起きる!」

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