本編

※本編


 みなとみらい線の元町・中華街駅の1番出口から地上に出ると横断歩道をはさんだ目のまえには中華街の東門である朝陽門ちょうようもんが見える。


 信号は止まれの色。赤信号がもどかしい。


 うー、早くおばあちゃんに翠香園すいこうえん月餅げっぺいを食べさせてあげたいよー。なんて思いながら、まわりのいろんな人たちと一緒に信号を待つ。


 信号が赤から青に変わった。急げ。ぼくは一番でダッシュした。


「早くはやくー」


 朝陽門をくぐったぼくは、うしろを歩くママとおばあちゃんを呼んだ。まわりの観光客の人たちがこっちを見ている。二人は、ゆっくりと歩いてきていた。


「もう、そんなに急いでどうしたのー」


 ママに聞かれたからぼくは答えた。


「美味しい月餅屋さん! 早く行こうよ」


「あそこはお土産のお店だから、ごはんのあとでいいじゃない」


 ママはぼくを止めるけど、ぼくは早くおばあちゃんに美味しい月餅を食べさせてあげたかった。だって、まえにおばあちゃんが言っていたんだもん。


「ケーキよりも、お饅頭とかあんこが入ったお菓子の方が好きなの」


 だから、ぼくは早く月餅屋さんである翠香園に向かいたかった。たしか、まえに行ったときは、こっちの道を通ったよな。うっすらとした記憶をたよりに人ごみをかき分ける。八月の中華街はムンムンと蒸し暑く、いろんな食べものと油の混ざったような匂いが充満していた。


「ほら、急いでよー」


 ぼくは二人をうしろにおいてどんどん道を進んでいく。しばらく歩くと左手に「市場通り門いちばどおりもん」が見えてくる。その門をくぐって少し進めば、目的地の翠香園がある。


「こっちだよー」


 200メートルほどうしろを歩いている二人に手を振りながら市場通り門をくぐった。その瞬間、耳がキーンと鳴った。


「え?」


 まわりの人が消えてる。門をくぐるまえには門の先にたくさんの人がいたはずなのに、それがまったくいなくなっている。


「どういうこと?」


 わけがわからなかった。左右のお店に目をやった。どのお店もシャッターが降りていて、店員さんも誰もいない。それどころか、昼間だったはずなのに夜に変わっている。


「ヒヒヒヒ……ヒヒヒヒヒ……」


 奇妙な笑い声まで聞こえてきた。


「ちょっと、どうなってるの? ママー! おばあちゃーん!」


 ぼくは叫んだ。とうぜん、返事はない。振り返る。目のまえに中華服を着た路上人形が立っている。


「うぎゃああああ!」


 ぼくは走った。がむしゃらにきた道と反対に走った。うしろから中華人形が追ってきているような錯覚を覚えた。いや、本当に追ってきているのかもしれない。ヒタヒタという足音がついてきている。


 路地をいくつか曲がり、走り続ける。とにかく逃げなきゃ。知らずしらずのうちに細い方へ暗い方へと足を運んでいた。


 どれくらい走っただろうか。そろそろ大丈夫かなと思って足を止める。


「はあ、はあ、はあ……」


 肩で息をする。


「もう、追ってきてないよね?」


 おそるおそる振り返る。


「やあ」


「うぎゃああああああ!」


 背後にはなにかがいた。ぼくはその場でひっくり返る。腰が抜けて動けない。もうダメだ。さっきの中華人形に殺される。目をきつくつぶり、歯をガタガタと鳴らしていると再度声をかけられた。


「きみ、迷子?」


「え?」


 ぼくはおそるおそる目を開ける。そこには、同い年くらいの男の子が立っていた。


「きみは……?」


 ぼくが言う。男の子は、不思議そうな顔をした。


「ぼくは沐宸ムーチェン。きみは?」


「ぼ、ぼくはトモキ」


「そっか、トモキ! どうしたの、こんなところで一人で」


 沐宸と名乗った男の子は、ぼくに優しく話してくれた。色白で短髪の男の子。おまけにちゃんと足もある。少なくとも、幽霊のたぐいではない。そんなふうにぼくは思った。


「ママやおばあちゃんとはぐれちゃったんだ」


「そうか、それは大変だったね」


「それより、どうして夜になったんだろう。ぼくがきたときはまだお昼だったのに。それに、さっきまでたくさんいた人たちがひとりもいないんだ」


 沐宸はあまり興味なさそうに言った。


「ここは、そういうところだからね」


 そういうところの意味はわからなかったけど、沐宸はとくに焦っているわけではなさそうだった。


「ぼく、翠香園に月餅を買いに行きたいんだけど、沐宸、場所知ってる?」


「ああ、そこならすぐ近くだから連れて行ってあげるよ」


 そう言って歩き始める。こんなところで、またひとりになりたくない。そう思ったぼくは、急いで立ちあがり沐宸のあとを追った。


「ねえ、どこまでいくの?」


 しばらく歩いてもまだまだ足を止める気がない沐宸に、ぼくはたずねた。


「さっき、すぐ近くって言っていたはずだけど……」


「うん。もうちょっと……」


 なんて言いながらも沐宸は、路地裏をさらに細くさらに暗い方へと進んでいく。


「ねえ、本当にこっちの道であってるの?」


 明らかに景色がおかしい。飲食店がないどころか、まわりはボロボロの家ばかりになっている。しかも、家の窓からなにかがこちらをのぞいている。


「なんか、ぼく、見られてる気がするんだけど……」


「うん。そうだろうね。みんな、きみを歓迎してるんだから」


「歓迎って、どういうこと?」


 沐宸は返事をしない。ぼくは足を止める。


「ねえ、どういうことか教えてよ」


 沐宸の背中に言った。


「もう、あとちょっとなんだから、静かにしてよ」


 沐宸はうんざりした様子で足を止める。


「あとちょっとってさっきから言ってるけど、こんなところにお店屋さんなんてないじゃん」


「うん、そうだね」


「そうだねって、いったいどういうことなのか教えてよ!」


 沐宸が振り向いた。


「きみはもう、ここの住人だってことだよ」


 その顔はさっきまでの人間の顔ではなかった。鼻は落ち、目玉が片方飛び出している。顔全体が溶けているようだった。


「ヒヒヒ……さあ、ぼくらと一緒に遊ぼう?」


 その沐宸の言葉でまわりの家から、ゾロゾロと子どもたちが出てきた。しかも、全員が沐宸のようにドロドロに顔を溶かしている。


「みんな、ここに迷いこんだ子たちなんだ。一人ぼっちでかわいそうだから、ぼくがここまで連れてきてあげたの。でもね、ここにきたら、もう二度と帰れなくなっちゃうから、みんなここで腐っていっちゃうんだよ」


「な、なんだよ、これ……」


 まわりの子どもたちが近づいてくる。


「ちょ、ちょっと……こないで……」


 ぼくはお願いする。でも、誰も足を止めてくれない。


「怖がらなくてもいいんだよ。大丈夫。きみもこうなっちゃうけど、死んだりはしないから。ここでぼくと一緒にずっと暮らしていけるんだから」


 先頭にいる沐宸が楽しそうに言う。


「い、嫌だ……」


 ぼくは頭が真っ白になっていた。


「でも、もう戻れないよ。さあ、おいで?」


「い、嫌だ……」


「わがまま言わないで?」


「や、やだよ……」


「わがまま言うなと言ってるだろおおおおお!」


 顔の崩れた沐宸が両手をまえに出しながら近づいてくる。ぼくはその手につかまれた。ぬるっとした沐宸の手が首にまとわりつく。


「うわあっ」


 その場で尻をついてしまう。ぼくのポケットからポチ袋が落ちた。


「ヒヒヒヒヒ……」


 沐宸が近づく。まずい。逃げなきゃ。落としたポチ袋を拾おうとした。慌ててとったので、なかからお守りが落ちる。お守りは一瞬、ピカっと光った。


「うぎゃっ」


 沐宸がたじろぐ。まわりの子どもたちも動きを止めた。


 今だ、と思った。ぼくは、慌てて立ちあがる。お守りを拾って、逆方向に走り出す。


「待てええええええ! トモキぃいいいいい!」


 うしろから沐宸の声が聞こえる。


「うわあああああ!」


 ぼくは必死で走った。民家の区画を抜け少しでも広い道へ明るい道へと目指す。すぐうしろには沐宸の気配がする。シャッターの閉まった商店の区画に戻ってきた。


「うがあっ」


 シャッターが破れ、なかから顔の溶けた大人たちが出てくる。


「うぎゃあああ!」


 左右からぼくに殺到してくる。捕まる。そう思った。その瞬間、足がもつれた。


「うぎゃっ」


 ぼくは倒れる。左右から襲いかかってきた大人たちがぼくのうえを通過して横に倒れる。ぼくはすぐに立ちあがる。一瞬、うしろを振り向いた。沐宸が両手をまえに伸ばしながら追ってきている。距離は5メートルと離れていない。


「うわあああああ!」


 ぼくはふたたび走り始める。沐宸の気配がすぐ近くまで迫ってきている。ぼくが走るスピードよりも、沐宸が追いかけるスピードの方が速い。


「助けてええええええ」


「待てえええええ」


 ぼくは必死で走った。だが、ぼくの足では沐宸を振り切れない。うしろとの距離はじょじょに近づいてきていた。4メートル、3メートル、2メートル。もうダメだ。そう思った。そのときだ。


 道の先に市場通り門が見えた。あれだ! あれをくぐれば、元の世界に戻れる。確信はなかったが、そのときのぼくはそう思った。それならば、諦めずに走り続けるしかない。


「うおおおお」


「いかせるかあああ!」


 すぐうしろで沐宸が両手をブンブンと振っているのがわかる。空気が当たり、指の先がわずかにふれる。


 門までの距離はあと20メートル……15メートル……10メートル……5メートル……だけど、そのあとが遠い。


「ヒヒヒ……トモキ! 一緒にあそぼオオオオオ」


 残り1メートルというところで、沐宸の手がぼくの肩に乗った。


「うわああああ」


 ぼくはまえに向かって倒れた。ぼくの身体が市場通り門を抜けた。


「ちいっ!」


 急に肩が軽くなる。その瞬間。耳に音が戻ってきた。うるさい蝉のうた、周囲の料理店の音、それに人々の話し声も。


「あれ?」


 ぼくは振り返る。そこには沐宸はいない。それどころか市場通り門の先の景色も先ほどの仄暗いものから、いつものものへと変わっていた。人だってうじゃうじゃいる。それに空も明るい。


「もう、そんなところでなにやってるの?」


 うしろから声が聞こえる。


「え?」


 振り返ると、ママとおばあちゃんが立っている。


「まったく走るから転んじゃうんでしょ」


 ママがあきれる。


「え? どういうこと?」


「トモキちゃん、元気なのはいいけど、怪我しないように気をつけてね。おばあちゃん心配だから、おこづかいと一緒にお守りをあげたんだから」


 そう言っておばあちゃんはぼくを抱き起こしてくれた。


「あれ? 沐宸は?」


「誰それ?」


 ママがあきれる。


「まさか、転んだひょうしに頭でも打ったわけじゃないでしょうね」


 もしかしたら、ぼくは今までなにか幻覚を見ていたのかもしれない。


「なんだ。よかった。ぼく、てっきり幽霊の世界に迷いこんだのかと思ったよ」


「もう、なに言ってるのよ。っていうか、トモキ……」


 不思議そうにママが言う。


「その肩、どうしたの? なんかぬるぬるした手型みたいなものがついてるけど」


「え?」


 ぼくが振り返り見あげた門には「死場しにば通り門」と書かれていた。


「トモキ……一緒に、遊ぼ?」


 通りの奥から、沐宸の声が聞こえた気がした。



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死場通り門 成星一 @naruseni

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