本編

(音声スポット・福知山城の井戸)


 見よ坊主たちよ、あの荘厳な福知山城の天守閣を。

 わしがこの世を去ってから長い年月が経ったが、赤茶色の木材と白塗りの壁、さらに、後世の市民の名前が書かれた、つやのある瓦といい、あの時よりもさらに立派に仕上がっておるわい。暗闇の中で光に照らされた姿は大坂、姫路、安土、清州、どの城にも勝るとも劣らんものだとは思わぬか?

 ぬ、わしか?


 わしは今、およそ四百年前から、天よりある男の首を探しておる男じゃ。


 いつまで経っても見つからぬものだが、それでもわしのこれまでの全てを証明するためには、その人の首を探すしか方法は無いのだ。


 ……な、まさか、坊主。

 えらく勘が良いではないか。

 そうか、あの者、今日もか。

 意味が分からない、と言うような顔をしている隣の坊主。聞いて驚くな。


 今、お主の隣の坊主が視ておるのは、天守の屋根の上で踊っとる女じゃ。


 どうだ坊主、お主は“勘”が強いようじゃが、視ておるのは、白を基調とし、所々朱色や藍色の混じった黒い網模様の着物を着た女ではないか? 色が抜け落ちたように白い肌に、栗色の髪を結っている、くっきりとした鼻立ちの美人ではないか?

 なに、坊主、肌が透けているように見えるとな?

 それも当然。あの女はこの世のものではない。

 あの女は、それはそれは凄惨な過去を持つ、わしも直接ではないが、関係のある者なのじゃ。

 どれ、坊主。えらく目が揺れておるではないか。領地の没収を命じられた大名のようではないか。ふふふ。

 女の話、とくと聞かせてやろう……。




 女は、一五九〇年、ここ、福知山で生を受けた。子供は「たま」と名付けられた。当時は秀吉の家臣の統治の時代だった。

 家は菓子屋「紫苑庵」で、幼少の頃から父と母の傍で経営を見てきたことで、物のやりくりに長けた賢い女に育った。

 活発でよく動くが、人付き合いはあまり得意では無く、声は小さい。

 だが、顔は薄い乳白色で良く整っており、時には武家が訪ねてくるほどであったという。

 二十二歳で家を継ぎ、菓子作りに勤しむ毎日で、三十歳で、篠山藩から来た二つ上の百姓と結婚。丹波篠山の名産である栗や黒豆、小豆を手に入れ、「桔梗ききょう鳳蝶あげはちょう」と改名した店はさらに盛り上がりを見せることとなった。


 店の名前の由来の中でも、桔梗は、秀吉の家臣による統治の前に福知山を治め、治水工事を行うなどして町の仕組みを整えた明智光秀の家紋から。

 徳川の世となり、主君・織田信長を討った光秀は、徳川家康に伊賀越えという苦難を与えたとして、人々からの扱いはまさに悪魔というものだった。が、福知山の民は町を築いた光秀を尊敬しており、桔梗と、光秀の築いた福知山城が町の象徴として大切にされてきた。


 たまの父と母は、町の長だった隣人に連れられて、明智光秀との話し合いに参加した際、大層可愛がってもらい、たくさんのおもちゃをもらって、すっかり光秀を気に入ったのだという。

 それからの治水、また、楽市楽座などの政策で格段に商売はしやすくなり、店はよく繁盛した。

 光秀が本能寺の変を起こした後も、二人、そして民の光秀愛は変わらず。

 数年後、二人を中心として、後の「御霊会」となる、光秀を偲ぶ会を開催し始めた。

 その影響を大いに受けて、たまは民の中でも無類の光秀好きへと育った。

 店名を桔梗にしていることや、着物を桔梗をかたどったものにしていること、長女に、光秀の長女の名「倫子」の名を、長男には同じく光秀の長男の名、「十兵衛」を、次女には、光秀の三女である「珠子」の名を与えたというエピソードからもそれは窺うことが出来る。




 四十五年の人生の中で、たまはいくつか奇妙な経験をしているそうな。

 結婚から三カ月後、福知山に細川家の者だという武士が三人、やってきた。

「貴殿は、細川家と繋がりが少なからずあるということをその筋の方から聞いた。よって、細川家へ来ていただく」

 この時は、夫が追い払ったが、それから時々、たまは誰かに監視されているような気味悪さを覚えていたのだという。

 

 また、一カ月に一度ほど、おかしな夢を見るのだそうだ。

 それは、ふと目覚めると雨の降る霧がかかった藪の中にいて、ガサッ、ガサッと音がする。

 そしてふと振り返る。


「……ぎゃっ!」


 そこには、首の取れた馬に乗った武者がいる、と言うもので、いつもそこで目が覚めるのだという。

 その武者は漆で塗られたような漆黒の鎧に、水色の爽やかな、空をかたどった陣羽織を羽織っていた。

 大抵、その武者がゆっくりぬかるんだ地面を踏みしめていく後に、何かを包んだ白布を持った足軽が涙と鼻水をだらだら流しながら追いかけていくのだと――。


 また、一度、城の天守で幽霊が踊っているのを見たのだという。

 殿様らしき男とその妻、三人の男児と三人の女児が、ひらひらと、無垢な笑顔で踊っていたのを。

 光秀の霊かとも思ったが、光秀の産んだ女児は四人。何やら、一人足りないのだ……。



 ぬ?

 坊主、どうした。

 ここまで語った話があまりにも感動的だったか。

 ぬ、何。

 聞こえる?

 何が?

 向こうの方?

 広小路?

 ――ま、まさか、坊主、お主、そこまで“勘”が強いか。

 御霊神社から、何が聞こえる?

 女性の、声? 確かに、頼りなくてふるふると震える、一筋の白い糸のような高い声が聞こえるが……。


 ――ときは今?


 な、まさか。

 ま、まあ、いい。話の続きをしようではないか。

 あの声は、恐らくその悲惨な続きとも、関係がある故……。




「どうや、嬢ちゃん。あんた別嬪さんやしねぇ、大坂でも活躍できると思うんやけどねぇ?」

 と、五月二十四日、三角巾を頭に巻いた、歯の突き出た男性が大きな声でたまを口説いていた。無論、夫からたまを略奪しようというのではない。

「そう、栗の饅頭や。福知山から来たっていう人がくれたんやけどなぁ、そらぁ旨い。上手いこと焦げてなぁ、桔梗の形になぁ、地元愛が出ててなぁ、おん。栗も篠山のなんやろ? お公家さんにずっと献上されてたっていうなぁ。あ、もちろん他のお菓子も絶品や。大坂でも絶対売れるから、なぁ、頼む、一日だけでもいいから来てくれや」

 他の通行人も通っている広い路地で、そんな額を地面に擦り付けんばかりに土下座されるものだから仕方がない。

 たまは、大坂に菓子を売りに出向くこととなった。この時、たまは四十五歳だった。

 これが、悲劇の始まりだったのじゃ。


 大坂に出向いたたまを待ち構えていた者は、膨大な店と狭い道を埋め尽くす町民、そしてちらほら見受けられる侍だった。

 六月二日、たまは屋台を構え、菓子を売り出した。

 品目は、桔梗をかたどった栗饅頭、栗羊羹、小倉羊羹、黒豆の最中など十種類。

 大通りから分岐した小さな路地で売り出したが、あの商人はよほどの者なのか、菓子は飛ぶように売れた。

 それを見た侍もちらほらやってきては菓子を買っていく。

 そろそろ日も暮れようかと言う時、一人のえらく額にしわの寄った侍が屋台に入ってきた。

「……ぬ、おい、お主!」

 扇子を胸に突き付けられたたまは何事かと慌てふためいた。

「この桔梗の菓子、まさか明智光秀を……っ?」

「もちろんでございます」

 たまは、くわっと目を剥き出しにした侍を見て、力強く言った。


「おのれ、賊の崇拝者め、思い知れ!」


 たまは、その場で切り伏せられた。奇しくも、光秀が本能寺の変を起こした日と同じ日だった。

 菓子は血でドロドロになり、辺りは騒然として事の成り行きを見守る。

 後になって分かったことだが、その侍は織田家の血筋のものだったのだという。

 遺体は家族によって、福知山城が見えるようなところに納骨された。

 ――ただ、妙なことに、遺体の首から上だけがまだ見つかっていないそうな。




 坊主、そういうことじゃ。

 天守の上で舞い踊る女は、たま。

 ――実はわしは密かに、あの女を娘と繋がりのあるものではないかと睨んでおる。それも、かなり太い繋がりじゃ。

 そして、御霊神社の方から聞こえる詩も、恐らくたまのものじゃ。


 たまの首は一体どこに行ったのか知らぬが、素直に面白い話を聞いた、と言う風に満足顔の坊主らに一つまた、面白い話を教えてやろう。

 この福知山城はな、墓や寺など様々な場所から持ってきた石が使われておってな、それを野面積みという手法で組んで石垣にしておるのじゃ。この広い城の中にはただ一つ、蝶の形をした石がある。その石に二日月の夜、手を触れれば、もがき苦しんだ末、月に召されるのだという。

 月に召されるというのは、切り伏せられた後、民の間で語られた噂によれば、たまの首は鳳蝶になって、ひらひらと月に舞い上がっていったという伝説から来ておるのだそうだ。

 そのわけは、その蝶の形をした石が、『桔梗と鳳蝶』に飾られていた石だからだとか言われておるが、実際のところは良く分からん。


 ……ど、どうした坊主。頭が痛い? 男がそんなことで蹲るのではない。


 な、お主もか。な、お主も、お主も?

 どうした、皆、頭痛がするのか。


 ……何かが聞こえる?


 どれ。


「とき……ま」


 ん?


「ときは今」


 まさか、愛宕神社で詠んだ句か? ときは今、あめも下知る、五月哉、か?

 明智の祖、土岐が天下を知る五月、という意味なのじゃが……。


「ときは今、ふじの散りゆく……」


 ぬ?


「ときは今、ふじの散りゆく、世の中の、天も下知る」


 散りゆく、とは、三女・たまの辞世の詩と似ていないか?


「ときは今、ふじの散りゆく、世の中の、天も下知る、賊も志士なれ」


 賊も志士なれ、か。

 ……ふふっ、ふふふふふっ、ひひっ、いひはははっ、ふははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっははははははははははははっははははははははっはは。

 そうか、面白いではないか、たまよ。

 うひひっ。


 坊主、頭が痛むか。

 そうか。

 残念じゃな。

 お主ら、たまに祟られるようなことでもしたのではないか?

 神社を荒らしたり、したのではないか? 約束を破り、人を罵り、殴りつけたのではないか?

 そうかそうか。

 ふふふふふふふふ。

 敵は身の内にあり、ということじゃ小僧ども。

 苦しいか?

 そうか、苦しいか。

 痛むか、うひひひひひひひっ、そうか、痛むか。

 ならば、黙って頭を下げろ。


 お主らの首を、たまと、あの男の首の代わりとして、山崎の藪に晒してやる。


 わしの名? 知りたいか、ならば教えてやろう。

 わしは……。




(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ときは今、ふじの散りゆく、世の中の、 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ