ときは今、ふじの散りゆく、世の中の、

DITinoue(上楽竜文)

プロローグ

 京都府福知山市。

 そこは、京都市に次ぐ京都府第二の主要都市で、緑に囲まれ、様々な施設が程よく整っている、爽やかなそよ風の吹く北の町である。

 そんな福知山市には、凶悪な鬼・酒吞童子にまつわる伝説や、福知山市の礎を築き上げた明智光秀にまつわる伝説も多々存在している。

 中でも、領主であった明智光秀はこの町に多くの痕跡を残している。たびたび氾濫していた川を治めた「明智藪」や、町のシンボル「福知山城」がその最たるものであろう。


 福知山城は、丹波を平定した光秀が、福知山を主君・織田信長から授かった際に、元々あった城を改築して建てたものである。

 城は長らく福知山の中心として栄えていたが、明治の廃城令以降、天守は失われ石垣だけが残る状態となった。

 しかし、昭和期になって、全国的には反逆者として知られる光秀を慕う数々の市民の寄付によって天守が再建され、現在に至る。

 

 福知山の民は、治水工事を行ったり、楽市楽座を設けたりと数々の政治的改革を行った光秀を大層慕っていた。本能寺の変を起こした後もそれは変わらず、江戸時代になると、明智光秀を神として祀る御霊神社で、藩主に頼み込んで、光秀の霊を鎮める「御霊会」を催していたそうだ。

 江戸時代の当時は、明智光秀をよく見る動きは少なく、主君に背いた逆賊として認知されていた。

 その中で、福知山の民は光秀を称えて神として祀った。

 それは何代も何代も続き、第二次世界大戦中の、逆賊・光秀の見方が最も厳しい時をも乗り越えて、今では光秀を主人公にした大河ドラマが作られるほどになったのである。


 そんな善良な民の中に、一人の女がいた。名前はたま。安土桃山時代後期から江戸時代初期まで、両親からたくさん話を聞いた「明智光秀」をよく慕っていた者の一人である。

 そのたまは菓子作りの仕事をしていたが、腕が買われて大坂に出てすぐ、織田氏の血を継ぐ侍によって殺された。

 原因は、たまが作った饅頭にあった。

 そのたまは今、光秀にどこかで巡り合うことを祈って、福知山城の天守閣で舞っているのだという――。




(この物語はフィクションです。たまという人間はあくまで作者が想像したキャラクターであることをご理解ください。恐らく、そんな女は誰も聞いたことがないでしょう。恐らく)

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