第25話 Attendre et espérer

 桟橋に係留されていた軍艦が汽笛をあげ、大急ぎで出航していく。

 正一は動けなかった。

 残った魔力を総動員して傷口を修復するが、その動きは微々たるものだった。

 エウファミアは治癒の魔法を使えない。

 マリアナも無事だったが、全身が泥と埃にまみれていた。


「もう! エウフ。あんまりむちゃしたら、だめなんだよ!」


 マリアナの剣幕に、エウファミアはしゃがみ込んで頭を抱えた。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」


 マリアナはエウファミアを優しく抱きしめた。


「もうしない?」


「……わからない。マリアナはボクの友達だから、嘘はつけない」


 正一は言った。


「その時は、私が何とかしますよ」


 マリアナは呆れたような顔をしてため息をつくと、正一に人差し指を突きつけた。


「もう! もう! そうやってあまやかすから、エウフがこんなワガママな子になっちゃうのっ!」


「……しかし」


 マリアナは口を尖らせた。


「しょうがない。ショーンだって少しくらい、あまやかされてもいいよね」


 マリアナは座り込んだままの正一の頭を、両腕で包んだ。


「ああっ! ずるい!」


「ねえエウフ。ショーンごとわたしを吹きとばせる?」


「できないよう……」


「ね? 力でぜんぶ解決なんて、できないんだよ」


 マリアナの言うことは、的を射ていた。

 正一は立ち上がり、マリアナの頭を撫でてやった。


「そうですね。マリアナの言うとおりです」


「んふふ。これがわたしの必殺技グレート・ハグなんだ」


「ところでご存じですか? 技の名前を叫ぶのって、若い人だけなんですよ。なぜか大人になるとやらなくなります。なぜでしょうね」


「しらなーい」


 マリアナはなぜか嬉しそうだった。


 *


 神殿に戻ると、量子コンピューターは稼働を停止していた。

 高高度爆発によって発生した電磁パルスで回路が焼き切れ、すでにただの置物となっている。

 管理を頼んでいたベネディート師は、俯いて肩を落とした。


「修理には何年かかるかわかりませんな。それどころか、永遠に直せない可能性もございます」


「仕方がありません。ですが、未来の事などわからなくて当然です。そうは思いませんか」


「まあ、確かにおっしゃる通りですよ。動く動かないは二の次。これがここに『在る』ことこそが重要なのです。なにせ、神様ですから」


 ベネディート師は薄ら笑いを浮かべた。

 見渡せば、ホール一杯の人々が膝を付いて頭を垂れ、祈りを捧げていた。

 その光景は、動いていようと停まっていようと変わらない。


 *

 

 正一はエウファミアとマリアナを連れ、バボサに戻る船に乗った。

 マリアナはまるで船長にでもなったような表情で、上部甲板の中央で仁王立ちしている。

 やがて深く頷くと腰に左手を当て、右手は舳先の彼方を指さした。

 きっと、頭の中では海賊相手に大立ち回りしていることだろう。

 とても楽しそうな笑顔だ。

 正一とエウファミアは、弦側で遠ざかるカラコル島を眺めていた。


「ご主人さま」


「どうしました?」


 エウファミアは正一に、包装紙で包まれた棒状の物を握らせた。


「これ、ご主人さまにと思って。カラコルのお土産屋で買ったのです」


「開けてみても?」


「もちろんです」


 包みを開くと、乗馬用の鞭だった。


「ありがとうございます。最近は馬に乗ることも少なくなりましたからね。たまには面倒を見てやりませんと」


 なぜかエウファミアは口を尖らせた。


「馬なんてどうでもいいのです。ご主人さまの言いつけを無視した悪い奴隷には、おしおきが必要なのです」


 その時、酒瓶を抱えた大男が声を掛けてきた。


「なんだアンちゃん、奴隷の娘っこをせっかんして楽しんでるのか? 人間として最低だな、ヒック。死んだほうが世のためだぞ、ヒック。そもそもクォンタム教は身分制度を否定していてだな……」


 全くもって正論だったが、エウファミアはその男の襟首を掴んだ。


「ジャマをするなこのビア樽! サメのエサになりたいか!」


「ひぎいっ! しゅびばぜんっ!」


 ひどくドスの利いた声だった。

 男は酔いが一瞬で覚めたのか、真っ青になって逃げ出した。

 エウファミアがどんな顔をしていたのか、正一の位置からは見えなかった。


「どうぞ。覚悟はできているのです」


「……」


「早く、バチンと!」


 エウファミアは頬を染めながら、形のよい尻を揺らした。

 明らかに期待を込めた目をしている。

 反面正一はとても困っていたが、幸い突風で船が揺れたので、それに乗じて鞭を海に放り投げた。


「おおっと。しまったー、せっかくエウファミア様がくれたプレゼントをー。なんということだ、もったいないなー」


 この白々しい演技は一瞬で見破られたようで、エウファミアは肩を落とした。


「……仕方がないのです。これがボクのご主人さまなのですから」


 *


 レイナとマリアナは学院の寮に戻った。

 オクタビオは王都の屋敷と領地を行き来する暮らしを続けている。

 電信や発電所は再び混乱し、市民生活に大きな影響が出ていた。

 しかし、すぐに修復できるだろう。

 この世界には、地球が失った勢いというものがある。

 見上げる空は、地球と変わらず青い。

 正一は学院の屋上に上り、避雷針の点検をしていた。

 雷の正体が電気であることが明らかになり、落雷を避けるための工夫が発明されたことで高層建築が可能になったのだ。

 風で針が揺れるため、定期的な増し締めが必要であった。

 スパナを使い、しっかりと締め付けられているかを確認する。

 どこからともなく、下手くそなギターの音が聞こえてきた。

 マリアナだろう。

 だいぶん上達してきたようだ。

 地面に目をやると、弁当の包みを抱えたエウファミアが、学院の門をくぐろうとしていた。

 正一に気付いたのか、こちらを見上げて手を振っている。

 あの中身はサンドイッチかもしれない。

 あるいは、オニギリかもしれない。

 包みの中では両方が重なり合って同時に存在している。

 そして、観測した瞬間に結果に収斂するのだ。


「すべては確率的。気まぐれな、シュレーディンガーの猫、と」


 正一が工具をしまうと、後ろで老人の声がしたような気がした。

 しかし、そこには誰もいない。


「待て、しかして希望せよ。……か」


 昼休みを告げる鐘が鳴り響いた。


 

(了)

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幻影のニルヴァーナ ―召喚勇者と破壊の魔王、あとオッサン。― おこばち妙見 @otr2000

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