映り香
木古おうみ
映り香
私たち兄妹が幼い頃、祖父の法螺話の中で最も気に入っていたのは、死者が映る眼鏡の話だった。
私に戦艦大和に乗ったと嘯き、妹を妖怪話で怖がらせた、息をするように法螺を吹く祖父だった。
祖父は法螺を吹くとき、決まってにやにやと笑っていたが、その眼鏡の話をするときだけは静かな声だった。
べっ甲の縁の古風な丸眼鏡は、私が生まれる前に死んだ祖母の形見なのだという。
結婚して間もない頃、浅草の怪しい露店で買ったらしい。
祖父が覗くと、同じ艦に乗った今は亡き戦友の凛々しい姿が映り、その場で買い取ったのだという。
私も妹も信じてはいなかったが、祖父の話は面白く、会うたびに新しい話をせがんだ。
妻を殺した男が眼鏡を覗いて気絶した話。子を亡くした母が百円札を握って毎年命日にレンズを覗きに訪れた話。
そんな祖父もいつしか衰え、あまり話をしなくなった。
祖父は見るたびに安楽椅子に腰掛け、眼鏡を覗きながら、虚空に向けて笑ったり泣いたりするようになった。
父母はそれが老いだと言った。私は祖父が呆けたのだとわかったが、妹は本当に死んだ祖母と話しているのだと思っていた。
だから、祖父は亡くなる直前に妹に眼鏡を譲ったのだろう。
祖父は息を引き取る直前、眼鏡を外して、妹に渡した。私がもういらないのかと問うと、もう眼鏡がなくても祖母が見えるのだと微笑んだ。
「そんなこともあったね」
妹はレンズの奥の目を細めて笑う。いつしか妹も眼鏡をかけるようになった。
そんなに目が悪かったかと聞くと、
「だってもう年だもの」
と、眉を下げた。
確かに妹は老けた。私の手には皺ひとつないのに、妹の手は古い和紙のようだ。私の額に落ちる髪は黒いが、妹は白髪の方が多い。
知らないうちに苦労をさせたらしい。
ちゃんと寝ているか、飯は食っているかと問うと、妹は眼鏡を外して目蓋を拭った。
「兄さんったらいつもそればかりなんだから」
べっ甲の縁の眼鏡の向こうに、妹の目尻の皺が滲んで見えた。
映り香 木古おうみ @kipplemaker
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