第4話

昔、東日本大震災時に原発の放射能が漏れ、避難指示が出ていても中々避難できずに現地に残ろうとした方達がかなりいた時のニュースを見て書いた物を思い出して載せました。



2011年03月26日 16:19全体に公開


記事 『20km圏内に数人 滞在意思固く』



以下はフィクションであり、実際の状況とは違います。


被災地の一日も早い復興と、どうか避難してくださいと願いを込めて書きました。


いささか不謹慎ととられてもしょうがありませんが(汗)


被災された皆様が一日も早く元気な笑顔になれますように、また亡くなられた方々に深く哀悼の意を表させていただきます。





『花咲き誇る庭』



「長部(おさべ)さん、どうしても避難しないのですか?」


放射線防護服を着た男は透明のフェイスプレート越しに悲痛な表情を浮かべて庄太郎を見つめた。


間口の広い玄関で防護服の男達の前に立った庄太郎は哀しげな微笑みを浮かべて首を振った。


「私はもう80を過ぎているし、家内もボケが進んでいるし……それに、ここを終の住まいと決めているから……本当に申し訳ありません」


庄太郎は深々と頭を下げた。


「私らは、ここ以外に生きて行けませんから……あなた達も放射能で危険ですから早く逃げて下さい」


「でも、しかし…」


「こんな年寄りの為に危ない所を来て頂いてありがとうございました。

さぁ、早くお逃げなさい」


なおも庄太郎に翻意を促そうとした男の防護服の袖を、もう一人の防護服を着た男が引っ張った。


男は腕に巻いたインジケータをチラリと見た。


活動限界が残り少ない事をインジケータの針が示していた。


「長部さん、本当に…」


庄太郎は寂しげな微笑みを返して、また頭を下げた。


男は玄関を出て見送りに出た庄太郎のヒョロリとした身体を何度も振り返りながら応急的に放射線防御を施した車に乗り込んだ、山あいの小さな集落に残っているのは庄太郎と妻のイネだけになった。


「庄太郎さん!庄太郎さん!」


車を見送る庄太郎の背後、庭に面した部屋からイネが呼ぶ声がした。


イネは認知症がかなり進み、若い時の様に庄太郎の名前で話しかける。


「なんだい?イネさん?」


庄太郎は玄関を閉めて、イネがいる部屋に入った。


脚がすっかり萎えてしまい、車椅子に座ったイネが微笑みを浮かべて庄太郎を見た。


暖房が切れた寒い部屋でイネは車椅子に毛布をかけセーターを重ね着していた。


認知症が進んだイネは記憶の時系列があちこちに飛び、現在地震の後に来た津波の影響で原子力発電所から放射性物質が漏れだした事も、この集落に避難指示が出ている事も、そして、このままここに居ると致命的な披曝をする事も理解していなかった。


イネの頭の中は主に太平洋戦争末期から戦後すぐの時代に生きていた。


「となり組の人達はお帰り?」


イネが庄太郎に訊ねた。


「ああ、疎開を薦められたけど、断ったよ」


「そうね、アメリカ軍が来ても爆弾を落とされても、私はこの家に居たいわ」


「そうだね、イネさん。

 寒くなったね。お茶を入れようか」


庄太郎はイネに優しく言ってからヤカンにミネラルウォーターとお茶っぱを入れてカセットコンロに火を点けた。


とうにガスも電気も水道も止まっていて、唯一火を使えるのはこのカセットコンロと残り少ない灯油が入った石油ストーブだけになってしまった。


「寒いわね~、庄太郎さんストーブつけません?」


イネが自分の肩をさすりながら言った。


「そうだね…でも夜はもっと寒くなるから今は我慢しようね」


庄太郎は残り少なく、おそらく一時間ほども持たないだろう石油ストーブを見て言うと、イネの肩に自分の上着をかけた。


「配給がまだ先だから、我慢しよう」


「欲しがりません!勝つまでは!そうね、我慢しましょう」


イネは小さく手を上げて笑いながら叫んだ。


「戦地の兵隊さんや空襲を受けてる東京の人たちに比べたら私達は恵まれているもの」


「そうだね」


庄太郎はイネに調子を会わせて言った。


こんなにボケが進んだイネを連れて避難をするなど、この頃自分自身物忘れがひどくなり、体も自由に動かなくなり始めた庄太郎には耐えられないことだった。


阪神大震災の時に避難所、そして仮設住宅に移って体調を壊し、孤独に死んでいった人たちの記事を読み、ぞっとした記憶が庄太郎の脳裏に蘇った。


一瞬、横浜に住んでいる息子夫婦のことが頭に浮かんだが、去年の秋に何泊か泊まりに行った時、夜中にトイレに起きた庄太郎は台所で18になる孫娘が「だっておばあちゃんって凄く臭いんだもの!」とイネが粗相をしてしまったことを息子の嫁に泣きながら不満をぶつけているのを聞いてしまった。


庄太郎は息子のところに身を寄せて嫁や孫に厭われるのを嫌った。


(この年になって身内に厭われながら生きて何になるんだ…それならここで静かに死んだほうが、長年住み慣れたこのうちで二人で死んだほうがずっと幸せだ…誰の足手まといにもならず、誰にも嫌われず…ここでイネと静かに最後を過ごしたほうが…)


庄太郎はイネにお茶を入れながら思った。


「あら、庄太郎さん、雪が降ってきた!」


イネが庭を見て声を上げた。


ちらほらと白い雪が舞い落ちたと思ったら、ボタ雪が勢いを増して降り出し、庭の根雪の上に積もっていった。


「こりゃあボタ雪だ~積もるなぁ~」


庄太郎は窓の外を見つめながら、この雪はどれくらいの放射能を含んでいるかと思った。


(いっそのこと死んでしまうくらいの放射能を浴びれば楽になるのに…)


「私はこの時期の雪が大好き!」


イネが降りしきる雪を見つめながら無邪気に言った。


「え?なんでだい?イネさん」


「だって春が近いんですもの!

 庄太郎さんが一所懸命に埋めた種や球根が芽を出して花を咲かせる時が近くなるでしょう?」


庄太郎はイネの言葉を聞いてはっとした。


そう、春になるとたくさんの花が咲くように庄太郎はせっせと庭にいろいろな花の種や球根を植え続けていた。


何年もそれを繰り返してゆくうちに庭で咲き乱れた花々が種を落とし、球根を分け、春に色とりどりの可憐な花が咲くようになったのだ。


「私は雪を見ると、この雪が最後かな?この雪が最後かな?最後の雪が降ったらこの庭にはたくさんお花がいっぱい、いっぱい咲く!って楽しみなのよ!」


イネがはしゃいだ声で言った。


「そうだね、春には花でこの庭がいっぱいになるね」


「私ももうこの年でしょ?

 だから、今年はあの花達に会えるかな?来年は会えるかな?っていつも思ってた。

 どうやら今年もあの花達に合えそうよ!

 生きていて良かった~!」


イネが庭を眺めてしみじみと言った。


庄太郎の目から涙がこぼれた。


もう二度とこの庭に花が咲き乱れるのを二人とも見ることが出来ないのだ。


生きて、この庭を、花咲き誇るこの庭を見ることは二度と…そして、放射能の影響で汚染された土壌に花が咲くかどうかさえも判らない。


一粒涙がこぼれたと思ったら次々と涙があふれて庄太郎の頬を濡らした。


「あら?庄太郎さん、何で泣いてるの?ふふふ、おかしい!」


庄太郎は腰を下ろしてイネの肩を抱いた。


「イネさん、ずっとずっとあなたの事が好きでしたよ。

 昔からずっと…これからもずっと…」


イネはやさしく庄太郎の頬の涙を指で拭った。


「庄太郎さん、ありがとう。

 私もずっと庄太郎さんの事…庄ちゃんの事ずっと好きよ。」


庄太郎がイネの肩を抱く手に力を込めた。


(もし放射能を被爆して苦しむくらいならいっそのこと…イネが苦しむのは見たくない…いっそ私の手でイネを楽に…)


庄太郎の手がそろそろとイネの首に近づいた。 


「あら!庄太郎さん!見てみて!あの人変な格好!」


イネの叫びに庄太郎は窓を見た。


先ほどの避難を勧めた放射能防護服を着た男が引き返してきて必死の形相で窓を叩いていた。


庄太郎はしばらく男を見ていたが、立ち上がって何度もお辞儀をしながら男に叫んだ。


「お願いします!私達も連れて行ってください!お願いします!」


男はフェイスプレート越しに笑顔を浮かべて頷き、庄太郎に向かって親指を立てた。


庄太郎はイネに向かい笑顔を浮かべた。


「イネさん、やっぱりしばらく疎開しよう。

 いや、横浜に庄治のところに行ってサクラを見ようよ!

 サクラが咲くのを見て元気をもらってから、またここに戻ってこよう!」


「横浜…庄治…さん?…サクラ?」


庄太郎はポケットから財布を出して一枚の写真を引っ張り出した。


横浜の公園で満開のサクラの下庄太郎たちの息子の庄治一家と笑顔で写っている写真を見てイネが微笑んだ。


「ああ!庄治のところね!あのサクラは見事だった!綺麗だったわねぇ!行きましょう!」


「うん!そうしよう!それじゃ!出かけるよ!」


「庄太郎さん!待って!お願い!この庭にあれをやって頂戴!

 無事に花が咲くように!」


「え?あれかい?」


庄太郎の顔が赤くなった。


外では男が急かすように窓を叩いた。


「よし!時間が無いから大急ぎでやるよ!」


庄太郎が庭に向かって両手を広げた。


「花よ咲け!花よ咲け!この庭いっぱいに咲き誇れ!

 赤にピンクに!青黄色!思い思いに咲き誇れ!

 寒さや悲しみ寂しさを!吹き飛ばして咲き誇れ!

 花よ咲け!咲き誇れ!」


イネがはしゃいだ笑い声を上げて拍手した。


庄太郎が庭に種や球根を植えるたびにこうやって庭に呪文を掛けたものだった。


イネがいつも苦笑を浮かべてそれを見ていたのだ。


「ほほほ!面白いわ!ほら!あの人達もやってくれてる!」


窓の外にいた防護服の男も庭に向かって両手を広げて花よ咲け!と叫んでいた。


「さぁ!イネさん!行くよ!」


庄太郎とイネは救助隊の助けを借りて車に乗り込んだ。


助手席に座った男が身を乗り出して後部席の庄太郎に言った。


「広島に原爆が落とされたときにアメリカの調査団がここには何十年も草木は生えないと言ってました。

 しかし、次の年には草が生えて花が咲いたそうです。

 きっとここも暖かくなれば花がいっぱい咲きますよ。

 花よ咲け!ですね!

 やっぱり引き返してきてよかった!

 自然は負けないんですよ!

 そして、私達人間もね!」


男は笑顔を浮かべて前を向いた。


ニコニコして男の話を聞いていたイネが怪訝そうな顔で庄太郎に小声で聞いた。


「庄太郎さん…原爆って何?」


「後でそのうちに教えてあげる」


庄太郎が苦笑を浮かべてイネに言い、その手を握った。


(そう、花は咲く…必ず咲く)


庄太郎は無人となった集落を見つめながら、自分に言い聞かすように言った。


「花よ咲け!咲き誇れ!」


(そう。必ずあの庭に花が咲き乱れる。そして私達もそれを見に帰ってこれるさ。生きてこそ。イネとともに生きよう)


庄太郎がもう一度言った。


「花よ咲け!咲き誇れ!」



避難状況報告 午後2時25分 S集落全員避難完了 …花よ咲け!咲き誇れ!


無線で報告を受けた指揮官は最後の言葉に首をかしげた。


しかし、やがて口元に微笑を浮かべた。


そして、小声でつぶやいた。


困難な状況を乗り切れるようにと、一刻も早く復興がなるようにと願いを込めて呟いた。



花よ咲け!咲き誇れ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

詩なのか何なのか…心の風景画みたいなもの とみき ウィズ @tomiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ