眼鏡ザル
マツシタ コウキ
不思議なサル
「悩めるあなたに、この眼鏡を貸しましょう」
そう告げたのは、赤い丸眼鏡をかけたサル。ローテーブルに胡座をかいたまま、大きな欠伸をする。
「え…、はっ?」
返答に困っているのは、銀縁の丸眼鏡をかけた男。彼は松島という、今年で29歳を迎えるフリーターである。
--何これ?俺、疲れてんのかな。
「ほら、早く受け取ってください」
サルに促され、松島は困惑しながらも眼鏡を受け取る。
--どこにでもあるような眼鏡。それよりも…。
眼鏡からサルへと関心が向く。茶色の体毛にクリクリした目、そして異様に細長い指。その姿は、メガネザルにそっくりである。しかし、大きさは日本ザルくらいあり、迫力を与える。
--こんなのは夢だ。ここ最近、6連勤ばっかだしな。
「もしかして、現実でないと思ってるんですか?」
「…」
サルの言葉に、松島は何も答えない。ただ困惑する松島にサルは呆れ、大きなため息を吐く。
「やれやれ。あなたの手助けのために来たというのに」
「…どういうこと?」
松島が恐る恐る尋ねる。
「私はね、人々の悩みに寄り添う精霊の一人なんです」
「精霊…?」
「ええ。人は誰しも悩みを抱え、負のオーラを発するんです。あなたたちには見えませんけど」
「負のオーラ…」
「悩みの深刻度に比例し、大きくなります。あまり大きくなっちゃうと精神を病んで自殺、あるいは他人に危害を加えたりしちゃうんですよね。そこで、特に大きな人を見つけて駆け付けるんですよ。あなたのような人の元にね」
「それが、これだっていうの?」
松島の視線が赤い丸眼鏡へ向く。すると、サルは頷き、笑みを浮かべる。
「その眼鏡をかければ、他人からの好意が見えるんです」
「好意?」
「ええ。あなたへどれくらいの好意を抱いているのか、%表記でね」
「本当に、そんなことが?」
「試してごらんなさい。明日から仕事でしょう?」
「なんで知ってんの?」
「私は精霊なんですよ。全て、お見通しなんです。同級生の大半が結婚していく中、自分だけ未だにしてないどころか、付き合ったこともなくて焦っているということもね」
「なっ…」
松島は驚き、目を見開く。サルはクスリと笑うと、こう告げる。
「これで結婚相手を見つけましょう。あなたの幸せのために」
「…幸せのために、か」
「それもそうですが、大事なことがあります」
「何?」
「今から1ヶ月後に、必ず返すことです。でないと、恐ろしい罰を受けてもらいます」
「恐ろしい罰?」
サルの雰囲気に、松島は気圧される。
「それって、どんな罰?」
「それは言えません。ただ言えることは、欲に目が眩んではいけないということです。お先真っ暗になっちゃいますから」
「…分かったよ」
「1ヶ月にまた、ここに来ます。その時に、私へ返してください。それでは、よい幸福を」
そう告げると、サルは消えて行った。
一人残された松島は、眼鏡を見つめる。彼の目には、少しの不安と大きな期待が込められていた。
--これで、俺も…
その日の翌日から、松島は赤い丸眼鏡をかけるようになった。最初は半信半疑だったが、いざ試してみると、そんな気持ちは消え去っていた。そして、気になっている女性へ積極的なアプローチを開始する。
最初の数値は、5%未満。会話したことがないから仕方ない、松島はそう納得したものの、ショックを受けずにはいられなかった。
全く話したことのない異性の元へ行くだけでも勇気がいる。なかなか足が踏み出せずにいたが、松島は踏み切って行った。すると、数値は10%に上がり、笑顔を見せてくれた。それは彼に大きな幸福感をもたらした。
それからというもの、松島は好感度上げに奔走した。見かければ挨拶をし、他愛のない話に花を咲かせる。そして、忙しそうにしていれば、手伝いに行った。
日々の努力のおかげで、好感度の数値はみるみる上がって行った。そして、彼女が笑顔を向けてくれるようにもなった。
--やっと50%まで行った。返却まであと数日だけど、大丈夫なはずだ。
松島は期待に胸を躍らせる。近いうちに訪れるであろう幸せを信じて止まなかった。
それから1週間後。松島は千鳥足で夜道を歩いていた。
「何なんだよ、ちくしょう」
顔を真っ赤にし、文句を呟く。
昨日、職場で聞いた衝撃の話。それは、好意を寄せていた女性が、5日前に仕事を辞めたという内容であった。
「なんで何も言ってくれなかったんだよ。どうりで今週、1度も会わなかったわけだ。てか、あの数値でたらめじゃねぇかよ」
口からとめどなく溢れる不満。その時、彼の脳裏にサルの言葉が蘇る。
『今から1ヶ月後に、必ず返すことです』
「そういえば、今日が返却日だったな」
そう呟くと、テーブルにあるスマホを手に取る。電源ボタンを押すと、画面に"23:59"と表示された。
「もう1分もないじゃん。てか、こんなんじゃ諦め切れるかってーの」
松島は鼻で笑い飛ばす。そのまま千鳥足で歩き続ける、その時だった。
「約束、破っちゃいましたね」
「っ!」
松島は咄嗟に後ろに振り返ろうとする。次の瞬間、脱力感に襲われ、その場にへたり込む。
突然の事に酔いが覚め、パニックに陥る。すると、目の前にサルが現れた。
「お前!一体…」
「松島さん。約束は守らないとダメですよ」
サルは片手を上げ、松島の顔へと近づける。
「欲に目が眩んでいけない、そう言いましたよね?」
「おい…、何する気だ?」
「何って、これからあなたの目玉を頂くんですよ」
「っ!?嘘だろ?」
「これが嘘に見えますか?」
サルはそう告げると、松島の左目の寸前で手を止めた。その瞬間、松島は恐怖に飲み込まれ、目から涙が溢れてくる。
「待ってくれ!俺が悪かった!だから、どうか…」
「もう遅いんですよ」
サルが冷たく言い放つ。そして、松島の左目へ5本の指を突っ込んだ。その瞬間、彼の絶叫が響き渡った。
眼鏡ザル マツシタ コウキ @sarubobo6
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