殿下、こちらが最高の「楽しい」でございます。

 ボトルシップ。なんて単語が一行目でふとイメージされました。運ぶものつながりでもありますし、瓶の中に入ってますしね。いくら手を伸ばしたって、瓶の外側には出られない。自分が目的の駅で降りようと思わない限りは。
 そんな朝に、まさかの光景。ペンギンが電車に乗っている……だと……。様々な「人間」を載せている方舟に突如として乗り合わせたペンギン。氷河にでも座礁したのか、なんて突拍子もないことを考えてしまいました。夢か現か。デバイスは、正常。ならば、これは紛れもない事実で、しかし幻覚の可能性も捨てきれない……? 惰性で生きているだけの自分に、まさか刺激を与えようとして何者かが差し向けた刺客(視覚)か……? だからこそ、目を離せないし自分にしか見えないのなら、強引にそう解釈することもできなくはないのでしょうか。
 拘束か、弛緩か。まるで、結束バンドのように、自由自在に締め付けられる様は人間社会の縮図そのもののようで、実に嘆かわしいことに、決してそこに思考を逃がす隙間など存在しないんですよね。……電車とホームの間にすら、隙間はあるというのに。
 次の駅が降りる駅だったなら、どれほど救われたか。が、ペンギンとの珍道中はまだまだ続きます。珍道中なんて気楽なものでもないですね……。思考の隙間をかいくぐり、何とか休みの言い訳をひねりだせたのは、苦し紛れながらもどうにか弛緩するタイミング訪れたことを喜ぶべきだと思います。ペンギンという存在と、ペンギンという問題を抱えながら、交番へ駆け込んでも。見えない存在を拾得物として持ってこられても……という感じですよね。私が当事者なら、(物理的に)頭をひねっているでしょう……と思ったら、このペンギン……喋るぞ! キング(王)ペンギンの名を冠するだけあって、威風堂々とした口調でございますね、ペンギン様。
「……いや、締まらぬ顔というか私の頭がおかしいのかもしれなくて、もしかすると頭のねじが緩んでしまったかもしれないので、病院にいって締めてもらおうとするところです」なんて、返しをしたくなりました。思考も、ペンギンからも。やはり、逃げ場はないのですね……。
 ブラックアウトした視界が再び開けると、自分の異常性に逃げていく人たち。あぁ、待って下さい。これには、日本海溝よりも深いわけがあるんです……なんて言葉は当然のように届かず、代わりに聞く耳を持つのは目の前のペンギン様、もといペンギン殿下で。そして、ペンギン殿下の城へと続く門探しの旅が始まり……。って痛い! ペンギン殿下の突っ込み、下手すると人間よりも手痛いかもしれませんね。殿下、無礼を承知で申し上げますが、臣下に対しあまりにもむごい仕打ちではありませんか。これでは臣下も離れていこうというものでございます。とか具申したら、どうなるのか非常に気になりました。
 日々を惰性で過ごす自分にとっては、行く当てなどあろうはずもなく。溺れるものは藁をも掴むとも言いますが、藁をつかんだところで今は何一つ笑えないですよね。せめてその藁が(きっかけという意味での)火種にでもなってくれれば良いのでしょうけれど。
 そんな折、不意に決まった行先。……殿下、どうされました? 足元が震えているようですが? あぁ、天敵ですがあれはスクリーンの中での話です。間違ってもスクリーンから飛び出したりしないからご安心を。(私は殿下が現実世界に飛び出してきていることに、心臓が飛び出しそうでしたが)という独白は飲み込みました。
 すごく人並みにエンジョイされている殿下。まぁ映画の内容は、アレでしたからやはり、足元はおぼつかないですよね……。
 水族館で展示……というよりは投影されているのは、映像のペンギンで。殿下は紛い物と表現していますが、臣下からすればあなたも……おっと口が滑りました。滑るのは氷の上だけで十分ですよね。まるで一っ風呂浴びてきたかのような満足感の殿下。そこで感じる小さな違和感。子供達には見えていた……。
 公園で臣下を諭す、殿下。それはまるで殿下の王たる真価を発揮しているような、そんな勇ましさのようなものを感じました。臣下の海に殿下がいるから、臣下にのみ殿下が見える。自分の中の閉塞的な海の中に漂っている殿下。
 なるほど……閉塞的な海では、何もかもをシャットアウトしてしまって、どんどんと深い闇へと落ちて行ってしまう。誰にも見つけられず、孤独という海に溺れながら、あるいは孤独という石を抱きながら、海底へと沈んでいく。
 その重さを、壁をなくすことでぷかぷかと浮上することができ、他社との境界線がなくなることで、生き辛さからも解放されるということを臣下に説きたかったのですね。
 そのための門戸だった。
 後退などしていないのです。それまでの閉塞的な思考の自分とは交代したでしょうけれど。だからこそ、ホームに落ちそうになった時、手を引いて止めてもらえたし、その他大勢の視線に気づくことができたのだから。
 思考に溺れるのではなく、「水」の中で「弱い」自分を肯定するのではなく。否、肯定したとしても。それを補って余りある「楽しい」という海で満たせば、きっとまた必ず殿下は臣下の前に現れるでしょう。今は、緊張で足元を満たしている海が、頭まですっぽりと「楽しい」で覆われる頃には。