先輩を連れ去るバスを、わたしは見たくなかった【KAC20248】

天野橋立

本当のこと

 表の通りには、明るい春の光が降り注いで、時おり思い出したかのように桜の花びらが舞った。卒業証書の筒を手にした彩春先輩たちは、楽しげにしゃべりながらバスを待っている。

 わたしは息をひそめるように、古びた待合室のベンチに小さくなって、そのまぶしい眺めを見つめていた。


 村に一つしかない高校。卒業生を代表して、壇上で挨拶する彩春先輩のすらりとした姿は、少しだけ宙に浮かんでいるみたいに見えた。わたしと同じセーラー服なのに、その紺色にはずっと深い気品があった。先輩がキャンバスに描く、あの星空のように。

 下級生の女の子たちみんなの憧れだから、わたしはただの何分の一。だけど、わたしの気持ちはわたしだけのものだ。

 落ち着いて澄んだその声が、もう遠くに聞こえる。来月になれば、先輩は遥かな都会の人になる。その街は、きっと先輩に良く似合うだろう。


 遠くから、バスの音が聞こえてきた。ダム湖沿いを蛇行しながら、エンジンの音が大きくなって、また小さくなる。わたしが乗るのとは反対のほうへと向かうバス。先輩を乗せて、去って行くバス。

 先輩たちも気づいたみたいで、みんなダムのほうを見ている。なぜあんなに楽しそうなんだろう。これでもうお別れなのに。


 カバのような顔をした古いバスが、とうとう待合室の前に停まった。先輩たちの半分が乗り込んで、こちらに手を振る。待合室のみんなも振り返す。何分の一かのわたしも一緒に、足元に視線を落としたままで。

 短いクラクションと、辺りを震わすようなエンジンのうなり。黄色いバスは走り出して、谷川沿いの県道を去って行く。

 たまらず、わたしは通りに飛び出した。だけど、先輩が遠ざかるところを、どうしても見たくなかった。

 眼鏡を外した。道の真ん中に立った。黄色いかたまりが、かなたにぼんやりと小さくなっていった。

 ついにあふれ出した涙が、風景を洗って隠す。残された排気ガスのにおいだけが、本当のことを伝えていた。

(了)

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先輩を連れ去るバスを、わたしは見たくなかった【KAC20248】 天野橋立 @hashidateamano

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