バルサンお父さんコピペの話

坂本雅

第1話

「クラスの女の子の『学校来る前にバルサンしてきたんだけど部屋にお父さんいたかもしれない』って一言で教室が騒然としたことある」


 このコピペがいつどこで発生したかは知らないが、私はコレを見た瞬間ゾッとした。

 実際に言った覚えがあるからだ。

 当時のクラスメイトがある程度ボカして書いたのか、全く違う人がたまたま似たエピソードを持っていた偶然の一致なのか。

 真実は分からない。最初にインターネット上に書いたのが私ではないからだ。

 ただ、いい機会なので黒歴史としての禊を行いたい。

 

 まず、なぜバルサンを炊いたか。

 当時の私は小学生低学年で、母方の祖父母と暮らしていた。二階建ての古い長屋を借りていたが、そこは極めて老朽化しており、おおよそ人間の住むところではなかった。

 何しろGを見るのは日常茶飯事。風呂場にはナメクジが這い、急な階段をネズミが駆け降りていき、春には羽アリが姿を見せていた。

 よりにもよって階段が雨漏りをしていて高確率で滑り、打撲と擦り傷を作った。

 ついでに隣の家の老夫婦が野良猫に無責任な餌やりを行っており、玄関先やベランダで糞尿や爪研ぎの被害に遭っていた。

 いま振り返っても平成初期の日本国内とは思えない様相だ。

 そんな劣悪な環境下であったから、家族は平日に殺虫剤を撒くなどという行為に出たのだろう。

 焼け石に水でもやらないよりはマシなのだ。


 そして、大事な点がもう一つ。

 私は物心ついた頃から母子家庭だった。

 コピペと矛盾すると思われるだろうが、まぁ聞いてほしい。


 私は父親という概念を知らず、周囲の人やクラスメイトが話している内容も根本的には理解できていなかった。

 妻と子を置き去りに蒸発した父は、結局一度も姿を見せないままだった。

 母が届を出して正式に離婚した日も、私はなぜ急に苗字を変えなければならないのか分からなかった。

 何かが起きたのは明白なのに、詳しく伝えられることはなく、疑問だけが宙に浮いた。


 お父さんって何だろう。

 じいさんではない、何か得体のしれない男は小学生にとっては妖怪と同義であった。

 こちらに迷惑をかけてくる怪物の名前だった。

 しかし目に見えないものだとしても、バルサンで燻されれば家から出ていくかもしれない。

 短絡的な結論を出した子供は、真実と聞いた話と想像をごっちゃにして学校で喋った。


「来る前にバルサンしてきたんだけど、部屋にお父さんがいたかもしれない」


 コピペのように泣いていたかは覚えていない。なぜ、わざわざクラスメイトに言ったのかも。

 注目を集めたかったのか、慰めてほしかったのか、笑ってほしかったのか。

 ともかく私はそのフレーズを口に出し、周りは騒然としていた。


 その後どうしたのか。それこそ記憶にないのだが、虚言癖を疑われたのは間違いない。

 私の家庭に父など初めから存在しないのだから、霊感のある不気味なヤツだと思われた可能性もある。

 何にせよ、気持ちに整理がつけられず上手く言語化もできなかった子供の言葉だ。

 大人になるにつれて皆忘れる、他愛もない黒歴史だとみなしていた。

 まさか極めて類似したものがインターネットの掲示板(?)に書かれ、コピペとして残ろうとは夢にも思わなかった。時にはセリフBOTなどで改変したものも目にした。


 私の行動および発言が発祥かどうかは、本当に諸説あるのだが。

 仮にそうだとしたら、とんでもないインターネットタトゥーである。

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バルサンお父さんコピペの話 坂本雅 @sakamoto-miyabi

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