とんぼのめがねを透かしてみれば

陽澄すずめ

とんぼのめがねを透かしてみれば

——とんぼのめがねは みずいろめがね

——あおいおそらを とんだから とんだから


 メガネの向こうで、まだ見なれない通学路がにじんでいる。

 すっきりと晴れていた青空は、いつのまにか雲がふえていた。


——とんぼのめがねは ぴかぴかめがね

——おてんとさまを みてたから みてたから


 ふわふわ浮かぶ雲のあいだを、たいようがゆっくりおりていく。つよい光がメガネをすかして、目がチカチカした。

 はやく帰らなきゃ。

 でも。

 まだ、帰りたくない。

 ランドセルが、ずっしり重くなる。


 あたらしい学校は、なんだかいじわるな子がおおくて、よそから来たボクは仲間はずれにされていた。

 おかあさんのあたらしい仕事は、夕方から夜中まで。ボクが帰るとすぐに出かけてしまう。きっとボクといっしょにいたくないんだ。


 学校でも家でも、ボクはひとりぼっちだった。


 家に帰りたくない。

 学校に行きたくない。


——とんぼのめがねは あかいろめがね

——ゆうやけぐもを とんだから……


 お空の雲は、夕やけ色にそまっていた。

 夜が来なかったらいいのに。

 明日が来なかったらいいのに。


——……とんだから……


 たいようが、ピカッと赤く光った。

 ランドセルが、ひゅっと軽くなった。


 気がつくと、あたり一面、真っ赤だった。

 時間がとまったんだとわかった。

 赤い空があるだけで、たいようはどこかへ消えてしまった。赤い雲もうごきをとめている。


 ああ、よかった。

 この帰り道にはもともと誰もいなかったんだから、わざわざひとりぼっちだなんて思わなくたっていい。

 ボクはいつまでもここにいられる。


 それから、どれだけ歩いただろう。

 ボクは頭がふわふわしていて、夢のなかにいるみたいだった。

 前のほうから、誰かが歩いてきた。高校生くらいのおにいさんだ。


「やあ、こんにちは」

「こんにちは」

「君はまだ帰らないの?」

「うん……」


 おこられるんじゃないかと思った。

 だけど、おにいさんはやさしくわらった。


「じゃあ、少し話をしようか」


 そばにあった公園のベンチに、ふたりですわった。


「『とんぼのめがね』を歌ってたね」

「きいてたの?」

「うん。君の心が歌ってたから」


 どういう意味だろう?


「とんぼのめがねは、いろんな色に変わるよね。なんでだと思う?」

「ボクしってるよ。水色は、青い空をとんだから。ぴかぴかなのはおてんとさまの色だし、赤色は夕やけの色だよね」

「うん、その通り。周りの色に染まってしまうんだ」


 ボクの赤色メガネをとおして、赤色にそまったおにいさんは言う。


「でも、青い空は『水色』、夕焼けの茜色は『赤色』と、少しずつ違う。お天道さまだって『ぴかぴか』とは限らないよね」

「あっ……ほんとだ」

「周りの色を、自分の思い込みで見てしまうことがあるかもしれない。そういうのを『色眼鏡』っていうんだ」


 まわりの景色がぐらっとゆれた気がした。


「一度そのメガネを外してごらん?」


 ボクは言われたとおりにメガネをはずす。

 すると、きゅうに、あたりがまっくらになって——



 ■



 現実の階層に戻るなり、依頼人の女性は僕の隣に座った男の子の名を呼び、抱き締めた。


「ああ、良かった……戻ってこられたのね」

「えっと……おかあさん?」


 公園のベンチ。メガネをかけてランドセルを背負ったままの男の子は、きょとんとしている。

 彼の母親は、涙ぐみながら僕に頭を下げた。


「ありがとうございます。まさか本当にメガネのレンズのに吸い込まれていたなんて……」


 そうなのだ。

 メガネは、『眼の鏡』と書く。

 見たいように見た世界が鏡のように反射して、強い願望によって異界へと繋がってしまうケースがある。

 『鏡』という概念は、そういう不思議な力を持ち得る。


 この男の子は、下校中に

 ひとりぼっちの彼を気にして後ろからついてきていたクラスメイトの女の子が、道端に残されたメガネを拾った。

 女の子の話を聞いた母親が、怪異現象を専門に調査する事務所へ相談を持ち込み、そこで助手を務める僕が対応して、今に至る。


「寂しい思いをさせてごめんね。この街で二人で暮らしていくのに必死で、気づいてあげられなかった」

「おかあさん……」

「メガネを届けてくれた女の子にお礼を言いにいこうね。ずいぶん心配してたから、お友達になってくれるかも」

「えっ……」


 男の子は、わぁっと泣き出した。独りでいろいろ我慢していたのだろう。


 あの真っ赤な世界の中で彼の顔を覗き込んだ時、彼のメガネには僕の姿が映り込んでいた。

 今よりずっと幼くて、頼れる人が周りにいなかった、子供のころの僕が。

 彼も、昔の僕と同じような心境だったのかもしれない。


 これから先、彼はいろいろな環境に飛び込んでいくだろう。その度に多かれ少なかれ、周りの影響を受けるはずだ。

 そんな時でも、頼れる誰かが傍にいるなら、ちゃんと自分の視界を保っていられる。


 仲良く手を繋いで帰っていく母子の背中を見送った。きっと、もう大丈夫だ。

 空は綺麗な夕焼け色に染まっている。明日は良い天気に違いない。



—了—

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