ついで

sorarion914

相部屋希望

「貴方は信じるかな?」

 そう言って老人は俺に笑いかけた。


 数日前に盲腸炎を起こした俺は、手術を終えて現在入院中。

 本当は個室に入りたかったのだが、あいにく今は空きがないというので仕方なく相部屋にしている。

 4人部屋だが、いるのは俺と横の爺さんだけ。

 俺は、ニヤニヤと楽しそうに笑う爺さんを横目に見て苦笑いした。

「信じるって……何をです?」

 そう聞くと、爺さんはベッドのリクライニングを少し起こしてこちらに体を向けた。

 肝炎か何かを患っているようだが、至って元気な爺さんだった。

 もう何度も入退院を繰り返しているとかで、入院生活も慣れたものだ。

 ベッド周りの備品も充実していて、ここでの生活を満喫しているようにも見える。

 早く家に帰りたい自分からすれば信じられないことだ。

 せめて個室ならまだいいが……見ず知らずの人と同室というのは気を遣う。


「この病院の、ある場所にある鏡の前で股眼鏡をすると、が見えるのさ」

「マタメガネ?……なんですか、マタメガネって?」

 そう聞かれて爺さんはベッドから立ち上がると、俺のベッドの前に立って背を向けた。そして身をかがめると、股の間からじっとこちらを覗き見る。

「こうやって覗き込むのさ」

 爺さんはそう言うと、再びベッドに横になりニヤニヤ笑いかけてくる。

「なんだ。股覗きのことですか……」

 意外と元気な爺さんの動きに、俺は呆れて肩を竦めた。

 この爺さん。本当に入院の必要があるのだろうか?

 今の俺より元気そうだ。

「この病棟の4階にある、一番北側の階段の踊り場だ」

「そんなの、誰から聞いたんです?」

「長くいると色々知るのさ」

「……」

 眉唾ものだな――と、俺は思った。

 退屈な入院生活に刺激を与えるために、誰かが思いついたデマだろう。

 学校の怪談じゃあるまいし……今時そんな話、小学生でも信じない。

 でも俺は、その退屈しのぎに付き合う様に頷いて言った。

「へぇ……それで?アナタはそれを見たんですか?」

「あの世をかい?」

「えぇ」

 爺さんは笑っただけで答えなかった。

 ちょうど午後の回診が来たのだ。

 体温と血圧を測定し、薬を処方される。

 爺さんはされるがまま、ベッドの上でじっとしていた。

 看護師が、俺の視線に気づいて互いの間にあった間仕切りカーテンを引いた。

 爺さんの姿が見えなくなる。

 カーテンで仕切られる直前に、爺さんが何かを耳打ちされていたように感じたが―――爺さんは寝てしまったのか。それっきり、カーテンが開けられることはなく、話しかけてくることもなかった。



 その日の夕食前に、俺は個室に空きが出来たと知らされて、相部屋から移された。

 隣のカーテンは引かれたまま、爺さんとは別れの挨拶もできずに退室することになってしまったが、まぁいい。退院する時に挨拶に来よう――



 そう思っての残りの入院生活を静かに過ごそうと思っていたのだが――



 入院して6日目。

 予想より回復が早く、俺は暇つぶしに院内にある売店へ買い物に行くついでにふと、いつぞや爺さんから聞いた股眼鏡の話を思い出した。

(確か、この病棟の4階北側の階段踊り場って言ってたな……)

 散歩がてら行ってみようと思い、病棟の一番端。北側の階段まで廊下を歩いた。

 4階は主に検査室が多い。

 用のない入院患者や面会者が訪れることはあまりないエリアだった。

 階段ホールを覗く。どことなく薄暗い。

 非常時以外はエレベーターを使うことが多いのだ。

(この階には踊り場に鏡なんてないな)

 俺はゆっくりと手すりを掴んで階段を上った。自分がいる2階から4階まで。

 途中3階を通過するが、ここにも鏡はなかった。

(4階にだけ鏡があるのか?)

 それもなんだか意味深だな……そう思って4階についたが、鏡などどこにもない。

「あれ?なんだよ……」


 鏡なんて無いじゃん――


(かな?)


 俺は周囲を見回してため息をついた。

 新入りの若造だと、からかわれたのだろうか?

 だとしたら……と思い、俺は苦笑した。


(あの爺さん。俺がここまで見に来たと知ったら大笑いするだろうな)

 退院の挨拶をする時、この事は黙っていよう――そう思って帰ろうとした時だった。

 4階から屋上へ続く階段の先に、鏡が見えた。

「あ!」

 そこは、厳密には4階の踊り場ではないが、確かに、そこにだけ、大きな鏡が掛けてある。

「―――」

 俺は吸い寄せられるように鏡に向かった。




 そして。



 おもむろに鏡に背を向けると、ゆっくり身をかがめて―――股の間から鏡を覗き込んだ。





 ――――――――――――――――――――


 コール音がして、看護師が応答した。

「はい?どうされました?」

「すみません……お願いがあるんです。部屋を――相部屋に戻してもらえませんか?」

「何かありましたか?」

「いいえ……特には」

 俺はそう答えた後、「できれば、個室に移る前にいた部屋に戻りたいんですけど」と告げる。

 そして、しばらく間を置いた後――俺は思い切って聞いた。


「ついでにお聞きしたいんですが……僕の隣にいたあのお爺さん――今、どうされてますか?」




 もしあれがの姿なら。






 寂しそうな顔をして微笑みかけてきた爺さんは果たして、今もにいるだろうか?











 それとも――――……











 完

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