かたちある勇気

小林汐希

かたちある勇気



 向こうの方からだ。どぉん、どぉんと花火の上がる音。


 雲ひとつない澄んだ夜空に大輪の炎が華の如く瞬間的に咲き誇る。


 遠くから、ここまで響いて聞こえてくる囃子の音と人々の笑い声で出来た華やかな雑音が、私の居場所はあそこにはないんだと突きつけてくる。


 花火を写した目から流れる一筋の涙は七色に光りながら地に落ちていく。


 私が溶けていくのだと、そう思った。


 川村かわむら美里みさと、二十歳の大学2年生。


 ここまでの人生は、そこそこ人気もあったし、それなりにモテていたなんて自負もあったよ?


 でも、この夏になって、私が病院に入ってからというもの、それがうわべだけのものだったということに気付かされた。


 昨年までは、私もみんなと一緒にあのお囃子と音の中に行っていたのは覚えている。


 それなのに、今日までの一ヶ月、誰も来てくれることはなかったからね。


 両親は時々顔を出してくれるけど、それでも会話の端々に、それほど私に残された時間がないのだということを感じ取ってしまう。


「川村さん、こんな時間だけど面会希望の方がいるの。お通ししてもいい?」


 そんな夜の病室に看護師さんから来客だと告げられる。誰だろう……。こんなお祭りの日に……。


「はい。大丈夫です」


 入ってきたのは、意外にも男子。小早川こばやかわさとしくんと言ったっけ。


 高校の頃は学年の中でも目立たない、影キャラどころか、いつも仲間はずれにされてしまったり、邪険に扱われてしまっていた彼。


 今は同じ大学に通っていると知っている。


 高校では私と対極のポジションにいた彼。私の周りにいた子たちはそんな彼の悪口を言う子もいたけれど、彼にはなんの落ち度や悪気もない。


「彼に何かされたの? 無いのだったらそういう事は言わない。私はそういうのが一番嫌だから」


 だから、私は一切その会話の中に入ることはしなかった。


 同じ大学と言っても、専攻が違う彼が、どこからか、私のことを聞いて来たのだろう。


「どうしたの? こんな時間に……。それに今日はお祭りじゃない? 小早川くんだって、毎年一人で行っていたの、私何度か見かけたよ?」


 そんな彼がこの日のこの時間に病室で二人きりなんて……。


「川村さんは、ずっと何も言わないでくれたもんな」


「えっ?」


 小早川くんは言ってくれた。自分と対極にいた私だったけれど、周囲とは一線を引いていて、誰かを傷つけるような行動は一切していなかったこと。


 だからこそ、色々言われ続けても、私に心配をさせないように登校を続けたこと。


「懐かしいね……。でも、それも……、もうすぐ終わっちゃう話だよ。でも、そんなふうに見ていてくれたなら、少しは良いことできたかな……。ほら、今こうして病院に入ったら、誰も来てくれないもん。……笑っちゃうよね。……私ってどれだけうぬぼれていたんだろう。情けないって今頃気づいても遅いのに……」


 ベッドに座って、再び水滴が頬に溢れてしまう。今度は色もない。あのキラキラした光もない。


 まるで私の人生そのものみたい。輝いていた時もあったけれど、最後にはなんの色もなくなってしまうんだって。


「川村さんは一人じゃない」


「え?」


「今度は、僕が川村さんを一人にはしない」


 小早川くんは再び私を窓際に呼んで、窓の外の風景を一緒に見ながら、私の横ではっきりと言ったんだ。


「えっ……?」


「また、あの光の中に行けるようになるよ。だから、もう泣かないで?」


「どういう……こと?」


「こんな僕でも、川村さんの役に立てるってことが分かったから。その後のことは川村さんの気持ちでいいって思ってる。もし、一緒にって誘ってくれたら、嬉しいけどさ」


「小早川くん……。それ、本気で言ってるの? まさか……」


 彼はそれ以上何も言わなかった。でも、私の手の上に彼の手を重ねて頷いてくれたんだ。





 あれから十年が経った。


 あの時の彼は今の私の主人。


 まさか、骨髄移植で私の命を救ってくれることになるなんて、私だけでなく周りの誰が予想していただろう。


 ドナーとなれることの説明を受けていたのがあの日だったんだって。もちろんドナーにも拒否する権利は認められている。


 でも小早川くんは、患者が私だと知っても、「川村さんは僕にいつも一人じゃないって視線で言ってくれていたからね」と快諾したんだって。



 今度は自分があの病室の中で涙していたような人を助けたい。そんな思いで、それまでの薄っぺらい交友関係はみんな切り、大学も中退。もう一度必死に勉強をして、入り直した医学部を卒業して医者になった。


 彼はあのまま社会人になって会社勤めをしているけれど、もう一度人生をやり直すことに決めた私の話を聞いて、何も言わずにずっと見守っていてくれた。


 そんな彼が必然のように私の心の真ん中に座るようになって、デートなんかほんの数回だったと思う。でも、そんなものがなくても、お互いの気持ちは固まっていた。


 せっかくあなたに分けてもらった命だもの。


 今夜はあの時のお祭りの日。もちろん花火も打ち上がる。今年は偶然に二人ともお休みをいただけた。


 だから、浴衣を着て手を繋いで行こう。


 花火のどぉんどぉんという音は病室で聞いていたものとは比べ物にならないほど大きく体中に響く。


 私、戻ってきたよ。一番大切な人と一緒に。


「嘘ぉ、美里があの陰キャの小早川と? 似合わないわぁ」


 私たちがこんな経緯で一緒になったことはみんな知らない。たぶん知るつもりもなかったんだと思う。


 きっと私の存在は消されることになっていたのだから。だから今でもこんなふうに揶揄されることもある。そう、だって私は一度消えかけたのだから。


 そう思われるならそれでいい。


 隣にいてくれるこの人のおかげで私は命の火を灯し続けていられた。


「悪い? これでも私からプロポーズしたんだからね。今日は夫婦として来たんだから、もう邪魔しないで!」


 私の態度にかつてのたちは驚きつつも呆れて離れていく。


 それならそれでいいんだ。私はあの頃とは違う。ちゃんと何が一番大切なのか知ることができたんだもの。


「美里……、いいのかい?」


「何を心配してるの? 私のいる場所はここなの。今こうしていられるのはあなたのおかげなのよ? ずっと離れません」


 私は今日も、これからも彼の手を離すことはない。


「美里は強いな」


「ううん、悟さんほどじゃないよ。あの日の私は泣くことしかできなかったんだから」


 だって、彼の強さは言葉ではなく、行動で示してくれた本物の勇気だったのだからね。

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