第4話

 そんなこんなで、独房から出て、ますます孤独になったポポが、最近になって唯一やる気を出せたのが、新しく従事させられた刑務作業「ぬいぐるみ製造」だったのだった。

 作業台の上に並べられた材料を眺めながら、ポポは久しぶりに、かつてレレとおもちゃの剣を製造した楽しい日々のことを思い出していた。

『子どもが喜ぶもんを作んなきゃ、だめだろうがよ』

 それは、この長い刑務所生活の中で、ポポの心を動かした数少ない言葉の一つだった。

(子どもが喜ぶぬいぐるみ。私が子どもだった頃、欲しかっただろうぬいぐるみ。それを、作るんだ)

 最初の1週間の間、ポポはイメージトレーニングに時間を費やした。

 周りでは、同じように、どんなぬいぐるみを作るか囚人たちが無邪気に話し合っていた。

「お前は何のぬいぐるみを作る?」

「俺はバオバブの木のぬいぐるみかな。昔、太陽系第三惑星の遺跡の絵本で見たんだけど、かわいいよな」

「太陽系第三惑星の動物なら、やっぱりホルスタイン牛だろ! 僕は超イケてるホルスタインのぬいぐるみを量産して、大儲けしてやるぜ!」

「やっぱホルスタインだよな。俺も、子どもの頃、近所のブルジョアのぼんぼんがホルスタイン牛のぬいぐるみ自慢してきたの、めちゃくちゃうらやましかったもん……」

「なあ、ホモ・サピエンスはどう?」

「キッッッッッモ! ホモ・サピエンスのぬいぐるみとか、誰が欲しいんだよ」

 ポポはその会話には混ざらなかったが、内心、同意していた。

 囚人の中には、ポポと同じように貧しい幼少期を過ごし、ポポと同じようにホルスタイン牛のぬいぐるみに憧れていたという者が多かったようだた。それはここ50年ほど刑務所の中で孤独を抱えてきたポポにとって、慰めになった。

(よし……作ろう。幼い頃の私が本当に欲しかった、ホルスタイン牛のぬいぐるみを……今、どこかにいる、かつての私のような子どものために……!)

 ホルスタイン牛のぬいぐるみについては、ポポの頭の中に、ひとつ、明確なイメージがあった。

 幼い頃、父と訪れた、近所の小さなお祭り。そこには沢山の屋台が並んでいて、ホルスタイン牛のぬいぐるみもそこにあった。

 じっと見つめていたらそれに気づいた父がポポに尋ねたのだ。

「ポポ、あのぬいぐるみが欲しいのかい?」

 ポポは咄嗟に、へそから粘液を噴射して否定した。

 ポポにはぬいぐるみの値段の相場はよくわからないから、その屋台に並んでいたホルスタイン牛が、いわゆる「お祭り価格」というやつでお高めなのか、それともホルスタイン牛というのは格安のおもちゃ屋さんのジャンク品でもそれぐらいの値段がするのか、判別ができなかった。しかしいずれにせよ、ポポ家の家計でそんなものを購入すると、手痛い出費になることだけはわかったのだ。

「い、いらないよ!」

 必死になってポポは言った。

「あんな牛のぬいぐるみなんて、良い歳してかっこ悪いや!」

 父がそのとき一瞬だけ、きゅっと体を凝結させたのを覚えている。

 察しの悪いポポは、そのときは何も気づいていなかったが、今になって、あれは父がポポの遠慮に気づいて居心地が悪くなっていたのだとわかった。

(刑務作業で作られたおもちゃは、世に格安の値段で販売されるって聞いたことがある。あのときの、あの屋台のぬいぐるみみたいなのを私が作れば、私みたいな子や、そのお父さんが、悲しい思いをせずに済むかもしれない)

 だからポポは、記憶の中の、あのお祭りの屋台のホルスタイン牛を必死に思い出して、布と糸と綿で忠実に再現しようとした。

 それからポポは、寂しかったあの頃の記憶を牛のように反芻した。

(ともだちが欲しかったな。一緒にホルスタイン牛のぬいぐるみで遊べるような)

 ぬいぐるみで友達と遊ぶとしたら、どんなだろう。全く同じぬいぐるみではなくて、色違いの、それぞれひとりひとつの唯一のぬいぐるみを持っていた方が、遊びやすいかもしれない。

 そう思ったポポは、ホルスタイン牛の斑紋の色を、色々な色の布で縫いつけた。赤、青、ピンク、グレー、メタリック……。

 新しいカラーバリエーションのホルスタイン牛が生まれる度に、ポポの脳内では、新しい友だちができて、ぬいぐるみ遊びを一緒にしている気分になれた――……



 だのに、どうしてポポは刑務官が、ポポのホルスタイン牛のぬいぐるみの出来映えに対してここまで怒っているのかわからなかった。

 叱責は続き、何も反論できず、ポポはまたも独房に入れられた。

 隣の独房には、おしゃべりな囚人がいた。

「お前さん、一体、また何をやらかしちゃったのよ」

 愉快そうに笑いながら、軽薄な声が聞いてくる。囚人番号666だか123456だかと名乗った隣人は、自分が何をしでかしたのかは語らないにも関わらず、ポポの今日のやらかしについては根ほり葉ほり聞いてきた。

「そりゃあお前さん、空気が読めなすぎだな」

「空気は読むものじゃなくて、咀嚼口で食べるものじゃないですか」

「バカ、比喩だよ比喩、相変わらずだな。今回の「先生」は、図鑑通りの配色のぬいぐるみじゃないと許せないタイプだって、考えりゃわかるだろ」

「ちょっと何言ってるかよくわかんないです……」

「まあ、わかんないから相も変わらずここにいんだろうな」

 隣人の姿は見えず、名前も知らず、声しか聞こえなかったが、なんだか嫌な感じはしないのが不思議だった。

「お前も俺も、明日、刑務作業に戻るだろ。その「先生」に、一泡吹かせてやろうぜ」

「泡は足の裏から染み出るもんじゃないんですか」

「いい加減にしろよお前」

 そんなわけで、隣人の指示に従い、ポポは独房から出たらまず、先生が愛読している「太陽系動物図鑑」を図書室から借りて、必要なページに描いてある動物の絵を脳内にコピーした。

「でも、こんな動物のぬいぐるみ、子どもに需要があるんですかね?」

「いいからいいから、とりあえず、図鑑の絵の通りに作れって」

 独房から出た後、何故か、隣人とは接触しないよう刑務官からきつく言いつけられたが、隣人は巧みに人目を避けてポポに様々な指示を出してきた。

「目標の個数まで、あとどれぐらいだ」

「明日中には、残りの300体が完成します」

「上等だ、じゃあ、言ったとおりに並べておけよ」

 そういうわけで、その日の作業時間の終わり頃、机の上に、10000体のポポの手作りのバッファローのぬいぐるみが並んだのだった。

「おい! こら! 囚人番号1000番!」

 ポポが、その番号が隣人を指していると気づいたのは、隣人が、何故か珍しく堂々とポポの隣に歩み寄って来ていて、刑務官がそれに対して怒鳴っていることがわかったからだった。

 何で刑務官が隣人に怒っているのかわからず、ポポは腰をぐるぐると970°ひねりながら、隣人に報告した。

「言われたとおり、1万体、作りましたよ」

「おう、確かに、1万体を越えるバッファローだな。だが、これはまだ完成じゃないぞ」

「えっ?」

「俺がこうして、お前の作品は初めて完成するんだ。よーく見てろ」

 隣人の3つの目がカッと開き、耳からガスが噴射し、口から粘液が出た。凄まじいエネルギーが全身からあふれているのがわかった。そして、それが、ポポの作ったバッファローのぬいぐるみに伝わっていく。

「――あ!」

 ポポは、生まれて初めて「物体」に「命」が込められる瞬間を目にした。

 それは感動的な光景だった。

 ただの繊維の固まりだったはずのぬいぐるみが、生き生きと意志を持って動き出す。

 彼らが、あっという間に、ひとつの意志――そう、すべてを破壊しながら突き進みたい、というひとつの意志を持って、動き出すのを、ポポは、はっきりと目にした。

 群になったバッファロー達は、作業所をめちゃくちゃにして、壁を突き破り、駆け抜けていく。

 突然のことに辺りは大パニックになった。悲鳴とガスと粘液が空間に充満する。その中で、隣人だけが、愉快そうに笑っている。

「おい、行くぞ、ポポ!」

「え、それは、私の名前――」

「こんな狭苦しいところにいつまでいるつもりだよ! 逃げるぞ!」

 隣人の8本の腕がこちらに伸びてきて――ポポの8本の腕と、しっかりと繋がれた。

 なんだろう、どうしてこのひとから懐かしいような雰囲気がするんだろう。この妙な安心感はなんだろう。

 わけが分からない気持ちと、不思議な高揚感に包まれながら、ポポはその手を繋ぎなおして一緒に走り出し、バッファローが破壊した壁の向こうへ飛び出した。

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