エピローグ
持留はリクルートスーツを着て、斉賀の運転する車の助手席に畏まって座っていた。
緊張のためか言葉少なになった彼は、何度も後部座席を確認し、菓子折りを見つめていた。
「和菓子でよかったかなあ」
「大丈夫だって。母も父も好きだ」
今日は、二人で斉賀の家族に挨拶をしにいく日だった。経緯は二ヶ月前に遡る。
◆
持留が無事に後期の学費の納入を終えてしばらく経った。目的を達成した彼はアルバイトに入る回数を随分減らして、穏やかな日々を過ごしていた。斉賀の家で共に過ごす時間も増えた。
そんなある日、リビングで寛いでいる時だった。斉賀と膝を突き合わせて、彼は真面目な顔で切り出した。
「永一郎と一緒に暮らしたいんだ。だからご両親に挨拶に行きたい。カミングアウトはしてもしなくてももちろん良い。ただこの家に住まわせてもらえるのなら、筋は通したくて」
斉賀は二つ返事で頷いた。一緒に住んだら助け合えることが増える、共に過ごせる時間が増える。持留と、祖母の思い出が詰まった家で暮らせるというのは幸福なことだった。
しかし、一つ迷いがある。
「カミングアウト……」
両親にゲイだと話す。考えると気恥ずかしく、どういう反応をするのか予想もつかなかった。
「裕は、どうしたいんだ」
「僕は……永一郎のご両親のことだから、永一郎に任せようと思う」
「……裕は親に言ってんのか」
「言ってる、というか中学生の頃にぽろっと話したことがある。けど、まあ真面目に取り合ってはない」
「そうか」
けろっと話してみせるが、そこに苦悩があったことは想像に難くない。
その日は返事を保留にして、時間を置いて考えた。
持留をただの友人だと紹介して、一緒に住み始めたとして。斉賀が三十代、四十代と歳を重ねた時に、結婚をしないのかという話題はいつか出てくるに違いない。持留と幸せに暮らしている時に、そんな話をされたら嫌な気持ちになる。その頃に事実を告げたとして、両親は持留と暮らす許可をしたことを後悔してしまうかもしれない。そんな未来は嫌だった。
持留を恋人として親に会わせて、一緒に暮らしたいと伝える。伝えて、その先は。
もちろんいい、と快く受け入れてもらえる想像もできる。それでは幸せになれないと訥々と説得する両親の姿も思い浮かぶ。ようはどうなるのか分からなかった。
斉賀は後悔すると思える道よりも、予想のつかない道を選ぶことにした。
結論、親に全てを話す選択をした。
そして、その結論を持留に言う前に、家族に話をすることにした。ネガティブな反応をするのであれば、そもそも彼を会わせたくなかった。
大切な話がある、と連絡をして皆の予定が合う時に家族を招集した。長兄は東京からオンラインで参加となった。
「改まってどうしたの」
時間を取らせるのも忍びなく、斉賀は事実だけを淡々と述べた。緊張や恐怖は押し殺して、平常心を装って口を開く。
自分はゲイで男性を好きになり、男の恋人がいる。その恋人と今後、祖母の遺してくれた家で一緒に暮らしたいと考えている。
皆、すぐには反応をしなかった。
「できたら、ばあちゃんの遺した家に住みたいけど、皆が嫌なら別のところで暮らす」
「いや、いいんだよ。住んでもらっていいんだけど、お母さんびっくりしてしまって」
悪い反応ではなかったが、まだ考えが落ち着いていないように見える。斉賀は一人ひとりの反応をつぶさに観察した。
「お父さんもびっくりした、そんな気配なかっただろ」
『お兄ちゃんも気づかなかった』
「まじ? 俺はそうなんじゃないかって薄々思ってたよ」
得意気に言ったのは次兄だった。
「なんでそう思ったんだよ」
「だってお前女に興味なかったじゃん。昔から」
「ああ、まあそうだな」
「でも、それだけで男を好きになるって話になるのは……」
そう言ったのは父だった。受け入れられていないのが伝わってくる。仕方ないと考えながら、否定をせずに聞いてほしかった自分にも気づく。
「恋人が……、ばあちゃんの家で一緒に住むんなら両親に一言挨拶させてほしいって言ってるんだ」
母も父もどこか現実味のないような顔でしきりに瞬きをしていた。
「なあ、家来るんならさ。俺ちょっとその子のこと口説いてみてもいい? 俺の魅力が通用するか試したい」
次兄が薄笑いを浮かべて、信じられないようなことを言った。
頭に血が上る感覚を覚えて、気持ちよりも先に体が動いた。横に座っていた野郎の襟ぐりを片手でつかんで強く引っ張った。無理やり立たせて、そのまま足をかけて投げ飛ばしてやろうとしたが、兄も柔道黒帯である。そう簡単には転がせない。ただ、勝てる気がした。いつの間にか逆転した身長差でこちらの方が目線が上だった。次兄が怯んでいるのが分かる。
母と父が寄ってきて二人の間に入った。関せず、襟ぐりを掴み続けた。
「冗談でも言っていいことと悪いことがある。俺の恋人だって紹介してるのに、なんでそんなことが許されると思うんだ? なあ」
殺気立った斉賀に、両親も次兄も黙した。気の迷いではないのだと伝わる気迫と芯から滲むような決意に満ちている。
「悪かった」
次兄が苦々しい顔で告げて、斉賀は投げ捨てるみたいに手を離す。しんとしたリビングで、その静寂を邪魔しない静かな声で母が言った。
「今度、永の恋人を連れてきて。今はお母さんもお父さんもいきなりで気持ちの整理がついてないけど、それまでには整えておくから」
斉賀は皆を一瞥した。
「裕……、俺の恋人は裕って名前で。もし裕に嫌な思いをさせるんなら、家を出て俺は家族の縁を切るつもりでいる。必要なら学費も返す」
恩を仇で返すような台詞に、言いながら目眩がしたがこうでもしないと、安心して彼を連れてくることができない。
空気が張り詰める中、オンライン越しで状況がよく分かっていないらしい長兄が呑気に声をあげた。
『えー、俺も永の恋人くんに会いたい! 退職してそっち帰ろうかな〜』
明るい声色に家族皆、救われたような心地になった。斉賀はやっと少しだけ笑って、画面に声をかけた。
「会ったらきっと好きになるよ、健兄も」
◆
そんな家族会議の一連の流れを話すと、持留は助手席で青い顔をした。
「ちょっと待って、そんな中僕、乗り込むの!? 」
「ああ、何かされたらすぐ言えよ。特に幸一郎っていうクソ兄貴には気をつけろ」
「なんでそんな喧嘩売っちゃうんだ、もう」
「だって、裕のことが大事だから」
「でも、おばあちゃんの家も家族のことも大事でしょ? 」
「それは、そうだけど」
心の底から持留の味方だということを伝えたかったのだが、怒られてしまい少しだけ斉賀は拗ねた。
「ちゃんと落ち着いて話さないと」
「いや、うーん。まあ確かに冷静ではなかったけど」
「永一郎みたいな良い子を育てたご両親なんだから……そんな喧嘩腰で話さなくても分かってくれるよ」
「でも」
持留が少しでも傷つくのなら、それはやっぱり駄目だと主張しようとして、横目で見た彼の厳しい顔に口を噤んだ。
「幸せな家族が、僕のせいで離れ離れになっちゃうのは嫌だよ」
斉賀のことを心配してくれているのが伝わる。考えが及ばない自分を反省して、素直に頷いた。
実家に到着して車から降り、二階建ての一軒家を二人で並んで眺めた。育った家に彼が来ているのは、不思議な光景だった。
持留は菓子折りを持って玄関の前に立った。緊張しているのが伝わり、背中を叩いた。
「わざわざこんなところまで、挨拶に来てくれてありがとうな」
「僕が来たかったんだ。将来、後悔しないために」
背筋が伸びるような台詞とは裏腹に自信なさげな佇まいだった。
「その、確かに家族も大切だから、さっき言われた通り冷静に話そうとは思うんだけど、一つだけ」
強張った面持ちでこちらを見つめる。不安そうな背を撫でる。
「裕は俺が選んだ人だから。家族も家も大事だけど、俺が自分でそばにいたいって選んだのは裕だけなんだ。もし家族に拒絶されたとしても、俺は裕を選び続けたい。だから、何も気にせず自然体でいてくれたらそれでいい」
彼は黙して、斉賀の言葉に耳を傾けていた。聞き終えると頷いて、決心がついたような凛とした表情を見せた。きれいな人がこういう顔をすると、格好がいい。
「ありがとう」
一度小さく息を吸って、彼がチャイムを押した。
きれいな友だちは 安座ぺん @menimega
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