第28話 ハッピーバースデー
初めて行為をした後は、家で会う時には必ず触りあった。相変わらず頻繁に会えるわけではなかったから、たまゆらの至福だった。
三月には家の近くで花見をしたが、斉賀にとって桜は持留の引き立て役だった。彼の裸の方がきれいなのだから花見など、と持留ばかりを見て過ごした。
家に帰って彼の肌に花びらみたいにキスマークをつけた。彼は恥ずかしがったが日の光がカーテン越しに差し込む中情事に及んだ。花見の陽気は一片も持ち込まない部屋の中、彼を余す所なく眺めた。
「キスマークの付け方教えなきゃよかった」
事を終えた後、ベッドの上でシーツをおざなりにかけて、気だるい午後を過ごす。持留は鏡代わりにスマートフォンの画面に肌を映して、跡を指でなぞりながら頬を膨らませていた。その頬にキスを落として抱き寄せた。
「もっと色々教えてほしい」
ねだってみると、拗ねた顔のまま黙ってしまった。
「だめか」
「……だめじゃないけど」
こちらに体を向けて、斉賀の肩に顔を埋めた。
「成長著しくて怖い」
甘えた口調だった。それでも、本当に怯えているのではないかと確認したくなる。そのまま口に出すのは野暮で、頭を撫でて本心を探る。
「成長してるか? 」
「してるよ。初めてのとき、子鹿みたいに震えてたのに」
にやっとからかうみたいな笑顔を浮かべる。本当にその通りでむくれる気も起きない。
「確かにそうだったけど」
「だから今で十分でしょ」
言い聞かせるみたいに言われて、曖昧に頷いた。
「それとも……いれたい? 」
口にするのが恥ずかしかったのか、照れを隠すみたいにベッドに視線を逸らした。
斉賀はその言葉の意味が分かる。ほんの三ヶ月前までは知らなかったが、持留と付き合ってから男同士の性交渉のやり方を調べた。
「いれるって、お尻だよな」
「あ、知ってるのか」
「調べた」
持留の指先が斉賀の腹を撫でた。すりすりと腹筋の形を確かめるように往復する。彼は返事を待っている。
「挿れてみたい。でも」
指先が止まる。
「入れるところではないから、傷つきやすいって書いてあるの読んで……ちょっとするのが怖い。あと裕は、その。それでいいのか」
彼の臀部を撫でてみる。薄くて柔らかい肉が滑らかな皮膚に包まれて、この部分にしかない触り心地がある。
「僕は……お尻、結構好き……」
斉賀の肩に額を押し付けて、顔を隠してからそう言った。余裕のない告白に、胸の奥が熱くなる。こんな可愛い顔をして、とみだらなギャップにそそられた。
ベッドの上で恋人に向ける嗜虐心は回数を重ねる毎にはっきりと線を描く。持留はひどくされるのが好きだと薄々気づいていた。今日も、恥ずかしいと嫌がりながら、最中いつもより興奮している目つきをして反応が良かった。
強く抱き寄せて、耳たぶに口を寄せる。
「じゃあ今度、挿れさせて」
持留の耳の先がかっと赤くなったのが分かった。格好つけて言ったのにもかかわらず、強引な台詞だと頭が冷えて付け加えた。
「準備とか大変だろうし、裕の体に余裕がある時に。あ、痛くしないように気をつけるから。あと必要なものとかあったら買ってくる」
段々と声が小さくなる。決め台詞が決まらない。緩めた腕の中で、彼が吹き出すように笑った。
「僕の予定に余裕出たら、ラブホテル行こう? それでその時に、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げられて、斉賀も会釈を返した。
四月、学校推薦で受けた企業の内々定をもらい、斉賀は就職活動を早々に終了させた。合格率は比較的高いとは言え、絶対に通るわけではなかったから、結果の通知を受けた時には嬉しくて持留に一番に知らせた。
誕生日も兼ねてお祝いをしたいと、彼の働く居酒屋に招いてもらい料理と酒をご馳走になった。店長の香坂を紹介してもらい、仕事の合間に色々と話した。香坂が恋人の惚気を言うから、斉賀も気兼ねなく持留の自慢をすることができた。
閉店後も店内で持留があがるのを持たせてもらっていたら、サプライズで彼からバースデーケーキを渡された。初めての経験で本当に驚いて、反応ができなかった。ぽかんとしたままろうそくを吹き消した後、じわじわと喜びが溢れた。香坂の目もはばからず、持留のことを抱きしめた。
五月、斉賀が卒業論文のテーマ決めで図書館と研究室に足繁く通い出した頃、家には持留のお泊りセットが置かれるようになった。
化粧水や持留用の歯ブラシが洗面台にちょこんとあるから、支度をする時には必ず彼のことを思い出す。
「初めてした時、正直僕、お肌カサカサだったよね? 」
という質問を事ある毎に受けていた。緊張しすぎて肌の調子を見る余裕はなかった、と言っても納得できないようで、唸っていた。あの時、化粧水買ってこなくていいって言っただろと、過去の発言に触れると、不貞腐れたみたいにそっぽを向いた。理不尽なところを見ても、斉賀しか知らない一面のような気がして、好きな気持ちが深まった。
持留の誕生日には一日一緒に過ごした。何をプレゼントするのか、悩みに悩んだ末、夕食を手作りした。斉賀は自炊を全くしない人間だった。せいぜいできるのは、やかんでカップ麺のお湯を沸かすくらい。
だから、台所をひっくり返しながら、なんとかかんとかハンバーグとビーフシチューを完成させた。悪いにもほどがある見た目なのに、持留は嬉しそうに食べて、手作りのご飯は久しぶりで美味しいと涙ぐんだ。胸が苦しいような、目を細めてしまうような感覚で、最終的には申し訳なくなる。
「もっとちゃんと美味しいもの作れるようにする」
「美味しいよ」
「いや、美味しくて健康にいいもの作りたい」
「お母さんみたい」
空になった皿を見ると、達成感のようなもので満ちた。持留にとって母のような存在になりたい、という口にすると冗談に聞こえてしまうような目標が心に強く残る。その晩は彼の寝顔がよりいっそう愛おしかった。
六月、持留は就活に苦戦していた。第一志望の企業で不採用になったが、学費を賄うためのアルバイトでスケジュールが圧迫されている彼には落ち込んでいる暇もないようだった。
『落ちちゃったけどがんばります』
と淡々と報告が入り、励ますためにできることはそうなかったし、彼はそんなものはなくとも日々をこなしていた。それでも斉賀は、持留が辛いのではないかと常に気がかりだった。
だから、希望していた職種で内々定が出たと聞いた時、斉賀の方が安心してしまった。
野々垣も就活が終了した、ということで、海水浴に行ったメンバーで久しぶりに集まってお祝いをした。大学の近くの居酒屋に集まり、祝杯を交わした。
野々垣は第一志望の企業から内々定が出ていた。大手の家電メーカーで、工学部から受けた友人は不採用だった。
「野々垣さんすごいな、そんな大手に受かるなんて」
「文系だからかな〜逆にね」
「明るいし仕事できそうだからだろ」
褒めると酒を煽りながら、野々垣は上機嫌に笑う。以前、自分のことを好きなのかも、なんて変に意識していた時期の距離はとっくの昔になくなっていた。ただの友人として気兼ねなく話せるのが嬉しい。
山口は大学院に進むため、院試を受ける。
「みくと離れたくなくてさ」
「もー、またすぐそんなこと人前で言う」
志望理由を聞いたら、ヘラヘラそんなことを言う。相変わらず仲がいいようだった。
試験は二ヶ月先だから、なんて余裕をぶっこいていて、野々垣に大丈夫なのかと心配されていた。しかし、山口はサボり癖があるだけで実際、斉賀よりも頭は良い。学業成績自体は悪いが。
きっと、要領よくこなして合格してしまうだろう。今までの試験でもそうだったのだ。
「斉賀さんはどこ就職するんですか? 」
河田に聞かれて、企業名を答えるが持留と山口以外、ぴんとは来ていないようだった。製鋼をおこなうメーカーと説明すると、河田はへーっと答える。興味がなさそうで斉賀は苦笑いした。
「もちさんは? 」
「僕も企業名言っても分かんないと思う。自費出版手がけてるような小さい出版社だよ」
「えっ! すごい! 」
「すごくないよ」
持留も苦笑いをした。
「OB訪問とか行っていいですか? 」
「えっ、いや、来年入社だからOB訪問には間に合わなくない? 」
「えっ、そうなんですか」
「うん」
「みくちゃん、ちゃんと就活スケジュール確認しときな。早めの準備が大事、まじで」
野々垣が先輩風を吹かせて言った。
「あと、お酒飲み過ぎちゃ駄目だよ」
「はーい」
先程から河田はビールを頼み続けていた。飲んでいる内に楽しくなってきたのか、だんだんジョッキを空けるペースが上がっている。
「みくちゃん、本当に酒癖悪いもん。いや、ほんと……大変だったよね、あの時」
持留と野々垣が頷き合うのを、首を傾げて見ていると、以前持留の働く居酒屋で山口と河田が酔っぱらい、大変面倒くさかったと説明を受けた。
「まじで石田さん神だった。また一緒に飲みたいけど、まだ広島にいらっしゃるのかな」
持留がこちらを気にして、視線を送ってきた。気にしていない、という気持ちで頷いたが伝わっただろうか。
「いやー最近連絡取ってないから分かんないなあ」
「そうなんですか? あんなにもちさんもちさんって感じだったのに」
「あの人誰にでもああなんだ」
一体どんな人なのだろうと気になる。しかし、ここで聞き出すのは気が引ける。過去のことなど気にしても仕方がないと、分かってはいるがやはり対抗意識を燃やしてしまう自分もいる。思い出には勝てないような気がしてしまう。
「まあ、もちさんは斉賀さん斉賀さん、って感じですもんね? 」
意味深な笑みを浮かべて、河田は上目遣いでこちらを見やる。斉賀は口に含んでいた酒を吐き出しそうになったが、持留は小首を傾げて顔色を変えずに対応した。
「それどういう意味? 」
「だって、いっつもいちゃいちゃしてるじゃないですか」
山口が笑いながら、付け加えた。
「いや、本当そうだよ。もちが選んだ眼鏡つけてるのラブラブ過ぎる」
男同士で仲が良いと、こうやって揶揄われることがあるのか、それとも本当に付き合っていることを知っているのか分からず、斉賀は地蔵になった。
「まあ仲良くはあるけどさ」
持留は満更でもなく答える。斉賀が愛を囁いたり触れたりすると、頬を染める彼が今は余裕綽々だ。どちらが演技なのか分からなくなり、まじまじと彼を見つめた。目が合うと、一瞬困った表情をしたが、すぐに引っ込めた。
「あ、そうだ。また皆で海行きませんか? もうすぐ夏ですし。楽しかったですし」
河田が無邪気に言って、野々垣も山口も賛成した。
「行きたいね。永一郎もいこうよ」
いつもの優しい笑みに、斉賀は微笑み返した。
「ああ、裕が行くんなら」
きゃーっと黄色い悲鳴をあげて河田は破顔した。野々垣は苦笑いをしながら、困った後輩のビールを水とすり替えた。河田の本心はよく分からないが、楽しそうで何よりだった。
思い出には勝てない、と考えてしまう自分をふと省みる。勝ち負け、なんてものはない。嫉妬に苛まれる夜が稀にあるのと同じで、彼の笑顔を見て自分も笑えれば、それだけでいいと心の底から思える瞬間もある。今がまさにそうだった。
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