第27話 お昼間、一枚のシーツにて(前)
斉賀は疲れてくると決まって、持留を抱きしめる時の感覚を思い出した。
去年と同様、年が明けてから春休みに入るまでの間が、怒涛と言える忙しさだった。加えて、持留は派遣のアルバイトも始めたようで、会えない日が続いた。会えないから抱いた彼の体温を反芻することで、疲れを紛らわしていた。
休日に居酒屋で彼が働く日には、夜、上がる時間に迎えに行って、少しの間だけ一緒に過ごした。ラーメンを食べに行ったり近くの公園でブランコに乗って話したり、ささやかで平凡なことばかりだったが大切な時間だった。
夜に会う時も、持留が家に泊まることは一度もなかった。勇気が出ず、斉賀からは誘うことができなかったし、アルバイトで疲れていても、彼は決して自分から泊まりたい、とは言わなかった。遠慮がちでもどかしいが、そんなところも彼の良いところだと知っている。
キスをしたり、体に触れたりしてみたいけれど、いつならいいのかどうやってしたらいいのか。斉賀は
例えば別れ際に玄関で彼を抱きしめる時、今いい雰囲気なんじゃないかと、キスをするべきところなんじゃないかと、唇を見つめてもあと一歩が踏み出せなかった。
持留はおそらく経験豊富だ。だから、そこに頼ってしまおうとしている自分がいた。彼が先に進まないのなら、まだそのタイミングではないのだろう。
試験が終わり、春休みに入る。課題も試験勉強も手放して一息つくが、就職活動がいよいよ本番を迎えようとしていた。斉賀は学校推薦の求人に応募しており、来月頭には選考のための面接があった。卒業研究も始まるため、できればここで決めてしまいたい。
試験が終わった翌日、持留と会う約束をしていた。この日は彼も終日空いており、一日中一緒にいられる。前の夜からわくわくして、部屋に丁寧に掃除機をかけた。
お昼ご飯の前に待ち合わせて、持留が行ってみたいと話した、斉賀の家の近くにあるカフェに徒歩で行った。まだまだ寒いので、防寒着を羽織った。揃えたわけではないけれど、同じような見た目の黒のダウンジャケット。ふかふかの襟が口元まで来て暖かい。
食事をとる前に彼の懐事情が気になり、それとなく聞くと、
「僕がアルバイトめっちゃしてるのは永一郎と気兼ねなく遊ぶためだから」
と笑ってみせた。久しぶりに会う彼、明るい時間に見るのは一ヶ月ぶりかもしれない。心労は計り知れないのに、その疲れを見せない彼は強い人だった。
昼間を過ごす彼を眺める。カフェでパスタの味を選ぶ時に、真剣に悩む表情。散歩している犬を見つけて、飼い主に気づかれないようにこっそり犬いる、と耳打ちしてくれる仕草。何やら可愛らしい花をつける木を仰いで、真っ直ぐ見つめる横顔も。持留は何をしてもどうしようもなく愛らしい。
「可愛いお花だね、梅かな」
あなたの方が、と言おうとしたが気恥ずかしくて、言葉にはならなかった。
普段、車移動ばかりだからそもそも徒歩が新鮮で、持留と一緒に見ると近所の景色も違って見える。
二人で橋の上から川を眺めた。持留と顔を見合わせて、しみじみ言った。
「なんか……これ、デートだな」
「デートだね」
なんだか面映い。だから、目を逸らして川に視線を落とした。欄干に置かれた持留の手に、自分の手を重ねてみると、彼は落ち着かなそうにこっそりと辺りを窺った。その仕草に、慌てて手を離した。
「人の目、気になるか。ごめん」
「いや、こっちこそごめん」
斉賀は、他人にとって自分たちなど眼中にないと考えるが、持留はそうではなかった。些細なことで人の目を気にするのは大変そうだ。
いつか、彼が何も気にしないくらいに開放される時が来たらいい。けれど、今は違うのだから無理強いはしないようにした。
「今はいいんだけど、いつか裕と手を繋いでデートしてみたい」
持留はこくんと頷いて、小指と小指をくっつけるように欄干の上で手を近づけた。触れ合った肌がほのかに温かい。
ふいに水面に波紋が広がった。なんだ、と思う間に次から次に水面が波立ち、肌に冷たい雫が落ちる。雨が降っていると気づいた。
二人で、近くの雨宿りができそうな庇のある場所へ走った。雨足はその僅かな間に、強く太くなり、雨粒が地面を叩くどしゃどしゃという音が響く。
「最近、こういう急な雨多いよね」
「ああ、そうだな」
壁に張り付くようにして、雨を避けながら呆然と立ち尽くしていた。持留の髪の毛には雨粒が乗っていた。ハンカチを取り出して、その雫を拭う。目を瞑ってされるがままになってくれる。
「ありがとう。寒いね」
二人とも財布とスマートフォンくらいしか、あいにく持ち合わせていなかった。傘を持たない人々が、雨の中、全速力で駆けていくのを見ていた。
風邪をひいたらまずい。雨は止みそうにない。
空を見上げる斉賀の手のひらを持留が握った。彼の方を見ると、照れを誤魔化すみたいに笑っていた。
「人、いなくなったから。手繋いでもいい? 」
強く握り返すことで返事をした。指と指を組み合わせて絡ませるような握り方は、手のひらが余す所なく触れ合う。
しばらく待っても雨は上がらず、ますます勢いを増した。遠くで雷も鳴っている。
頷きあって、防寒着のパーカーを被る。待っていても埒が明かない。二人は雨の中を駆け出した。手は繋いだままだった。
冷たい雨に打たれながら、笑ってしまった。急な非日常でなんだか面白かった。眼鏡のレンズにも雨粒は等しく降りかかり、視界が歪む。斉賀は眼鏡を外して、片手に握った。
家にたどり着き、雨でぐしょ濡れになった防寒着を、玄関先で脱いだ。息が上がった二人とも髪の先から雨粒が滴るほどに濡れそぼっていた。握りあった手が悴んで、離すのがぎこちなかった。雨よけのついた屋外の物干しに、防寒着をハンガーにかけてぶら下げる。濡れて色の濃くなった二着のジャケットが並んだ。
玄関に入り、土間に止め処無く水滴を落としながら、どう処理したら早いかを考える。一旦濡れたまま部屋に上がるしかない、それでタオルを取ってきて……と段取りながらふと髪の毛が気になり、靴箱についている姿見を見た。
すると、斉賀のことを鏡越しに見つめていたらしい持留と目が合う。視線がバレたのが恥ずかしかったのか、彼は慌てて目をそらした。
振り返り、彼と向き合う。濡れてうねる髪の毛が恥ずかしかった。
「髪型変か? 」
「え、いや。かっこいいなって見ちゃった」
頬を染めて、そらした視線をこちらに戻した。好意的な反応にふっと心が緩む。
「なんか水も滴るいい男というか、本当にそんな感じで……かっこいい」
彼はうっとりした顔をしていて、それがやけに色っぽかった。夢を見ているようでありながら、こちらを捉えて離さない。
その表情や水を含んだ洋服が張り付いて線が分かる腰を見ていると、陰茎が芯を持った。辛抱たまらず、今まで我慢していたことがはち切れそうになる。持留のおでこに濡れて張り付いた毛束を指先で優しく払った。
「交代でシャワー浴びよう」
「うん」
頷きながら、彼の手のひらもこちらに伸びてきて斉賀の目にかかる髪の毛を払った。熱い視線を一身に浴びる。自分も同じ目をしているに違いない。
「それで、その。シャワー浴び終えたら」
そういうことに誘いたかった。続く言葉が出ない。
もじもじしていると、持留が笑みを見せた。艷やかさを剥ぎ取ったいつも通りの柔らかな笑顔で、斉賀の頬に手を添えた。
「一緒にベッド行こうって言って? 」
手引きされたような感覚で、素直にその言葉を繰り返す。
「一緒にベッド行こう」
「うん、行きたい」
経験豊富な先輩は心底嬉しそうに頷いた。それを異様にエロいと感じて、早く触りたいと自分の体が言っていた。
◆
先に持留を風呂場に行かせて、斉賀はざっくり体の水分を拭き取ってから洋服を着替えた。やれやれと眼鏡をかけた。
石油ストーブをつけて、部屋を温める。持留に貸す部屋着を見繕う。サイズは大丈夫だろうか。下着は自分のを貸す、で本当にいいのだろうか。心配しつつ、風呂の扉越しに聞くと、永一郎が貸してくれるなら履くと返事がある。
ストーブの前で火に炙られて待っていると、持留がリビングに入ってくる。乾かしたての髪の毛は、彼が動くたび羽毛のように毛先がふわふわ揺れていた。自分がいつも着ている部屋着の中で、まだマシなのを選んで着てもらった。上下黒のスウェット。少し大きいらしく、裾をまくり上げてズボンを履いていた。襟ぐりが自分が着るよりも広く見えて、そこから覗く鎖骨が気になる。
彼の無防備な着こなしを見ているとにやけてしまいそうになって、口元を隠した。好きな人が自分の洋服を着てくれるとこういう気持ちになるのか。新しい発見だった。
「あ、化粧水とか貸せるのないんだけど……大丈夫か、買ってこようか」
「ううん、大丈夫だよ。先、シャワー譲ってくれてありがとうね。風邪引いちゃうから、はやく入っておいでよ」
彼にストーブ前をゆずり、斉賀は風呂場へ向かった。温水を浴びると、冷えた体が急に温まって足先の皮膚が少し痛んだ。この後のことを考えると、ひどく緊張して浴び終える頃には心拍数がかなり上がっていた。
髪を乾かし、服を身に着ける。歯を磨いた方がいいのだろうかと、リビングで温まっている彼に声をかけに行く。
「歯磨きするか」
「したい……けど歯ブラシどうしよう」
「新品あるからそれを使おう」
「助かる。ありがとう。今度新しいの持ってくるね」
律儀な人だった。そんな物、いくらでもあげるのだけれど、断っても絶対に買ってくるから曖昧に頷いた。
洗面所前に並んで歯を磨く。ブラシが擦れる音が二人分響いた。濡れた洋服を洗濯機に入れて回した。
「コート乾くかなあ」
「今日は無理だろ。俺の貸すからそれ着て帰ったらいい」
「ん、いや。色々借りて悪いし大丈夫」
「それで風邪引いたら怒るぞ」
「怒るの? こらーって? 」
歯磨きを咥えて、ふふふと笑う。斉賀は口をゆすいでから、言い返した。
「高熱出してるときに説教しにいく」
持留もうがいをして、口を拭った。
「熱出しても会いに来てくれるの、優しいね」
「……話変わってるな。とにかく俺の上着着ていけよ」
軽口を叩きながら、斉賀は動きが固くなる。リビングに戻る彼についていきながら、落ち着かず無駄に部屋を見回してしまう。ヒーターの前に座った持留の、その横に座る。
距離が近い。彼の形の良い耳が目の前にあった。触りたい。けれど、どうすれば。
固まっていると、持留は隠すみたいに手を耳に被せた。
「……そんなに見つめられたら溶けちゃうかも」
恥ずかしそうだった。手首を掴んで耳からどけると、彼は扱われるまま手を降ろした。
斉賀の手は震えていた。持留にもそれが伝わったのか、触れ合う手に視線を落とした。その仕草で、自ずと伏せられる睫毛が悩ましく、今度はそこから目が離せない。
「お布団、連れてって」
首を傾げてねだる。ただ頷いて、手を引いて立ち上がった。リビングから壁を一枚隔てたところに、セミダブルのベッドを置いていた。本来、まだ明るい時間だが厚い雨雲がかかって、部屋は随分暗かった。
(注:この章には続きがあるのですが、カクヨムのレイティングに従い、非公開としております。次のエピソードにて、話が飛びますがご了承ください。続く内容をざっくり書いておくと、持留がリードしてラブラブ幸せエッチします。誘い受けは至高)
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