第26話 二人の終末を

 記念日は一二月一三日。クリスマス前、浮かれたムードで恋人を作るみたいな、そんな時期に斉賀と付き合い始めた。毎日連絡を交わすようになり――と言ってもこの習慣は恋人同士だからという甘い理由より、持留がどこかに消えてしまうかもという斉賀の不安を解消するための意味合いが強いかもしれない――段々と付き合っていることを実感し始めた頃、景色全てが鮮やかに美しく、目に映るようになった。

 些細な嫌なことは気にならなかった。学費や生活費など将来の不安さえも、幾分和らいだ。

 今後大学に通うか否か、その分のお金はどうするか、という話し合いを親たちと続けていた時は本当に参ってしまい、何もかもどうでもいいと充電器を買いに行く気力すらなかった。

 辛い現実を乗り越えられるほどの幸せは、斉賀がいなければ決してあり得なかった。一週間休んだ大学はどうにも行きづらかったけれど、めげずに行く力をくれたのは、その幸せな気持ち。そして、心配して何度も連絡をしてくれていた野々垣や春野のおかげだった。

 付き合う前と付き合ってから、表面的に大きく変わったことはなかった。斉賀も持留も、誰にも交際し始めたことを言わなかった。斉賀は山口に惚気けたいようだったが、持留が渋ったら理解してくれた。

 持留は幼い頃、想いを寄せていた男の子に

「男なのに女みたいで気持ちが悪い」

 と言われたことがある。その言葉は未だに心に刺さったまま。今この現代、良識を身に着けた仲間内で、カミングアウトをしても嫌な目に遭うことはないと客観的には分かるけれど、それでも過去の経験から言ってはいけないように感じてしまう。

 知人に付き合ったことを話すか否かと相談をしていた時に、斉賀が怖い顔をして聞いてきた。

「俺のこと、人がいる時だけ斉賀って呼ぶのなんで。春野のことは下の名前で呼ぶのに」

 聞きながら、段々と悲しそうな顔になっていった。確かに、彼のことを人前と二人きりのときで呼び分けている自覚はあった。

「えっと……みんなが名字で呼ぶ人を一人だけ名前で呼ぶのが、なんか浮いてる感じして恥ずかしくて」

「俺は裕のこと裕って呼ぶのに」

「なんか、好きな気持ちばれちゃう気がして、下の名前は呼べなかった」

 斉賀は全く納得していなかったが、正真正銘の本心だった。持留は目立たぬように、人に合わせてしまうところがある。

「これからは、いつも名前で呼んでほしい」

 真剣に言われて、頷いた。急に呼び方変えるの恥ずかしいなあ、付き合ってるってアピールしてるみたいかなあ、なんてうじうじした心配があったけれど、約束を守らなければ彼を蔑ろにしていることになる。咄嗟に名字で呼ばないように何度も頭の中で、シミュレーションした。

 斉賀を交えて第三者と話すことはなく、シミュレーションは役に立たぬ間に、クリスマスがやってくる。

 今年のクリスマスは平日だったけれど、授業後、一緒にファミレスで食事をしてから、斉賀の家で過ごした。彼が、小さいけどと謙遜した庭は、大型犬が駆け回っても楽しめそうなくらいには広かった。芝生は枯れており、花壇らしきところには何もなくて、いつかこの庭を世話できたならと空想した。

 斉賀はいつになく表情豊かに、祖母の残した一軒家を事細かに案内してくれた。リビングの他に寝室と斉賀の部屋があり、それに加えて二つも空き部屋があった。余った部屋は扇風機や掃除機、それからいくつかの段ボールが床に点在するように置かれていて、倉庫と化している。

 斉賀は自分自身の部屋を覗いた時に、思い出を話してくれた。

「前も言ったことあるけど、俺、三人兄弟の一番下で。一番上の兄が家出るまで自分の部屋もらえなかったんだよ」

「そうだったんだ。何歳くらいまで? 」

「小六くらいまで。それでも、まあ仕方ないかと思って我慢してたんだけど。ばあちゃんが余ってるから自分の部屋にしていいよって一部屋自由に使わせてくれて。嬉しかったな」

「おばあちゃん、永一郎のこと可愛かったんだろうね」

「そうだな……可愛がってくれてた」

 出会ったことのない彼の祖母がここに住んでいた。この家に積もった歴史の上に立っていると実感すると、彼の横顔がなんだか幼く見える。

「どっちか一部屋片付けるから、もし住みたいんなら裕の部屋も用意できる」

 斉賀が楽しみなのを隠せないみたいに、持留の手を握ってぶんぶんと振った。あまり見ない子どもっぽい仕草に、頬が緩んでしまう。笑顔を見合わせた。

 斉賀ガイドのルームツアーを終えてリビングで二人、ソファに並んで座ってホールケーキを食べた。お互いに食べさせ合って、肩を寄せて過ごした。

「クリームついてる」

 斉賀に唇をティッシュで拭われた時、優しそうな表情にときめいて、あそこが硬くなるのが分かった。鎮まれ鎮まれ、と心のなかで唱えながら、斉賀はどうなのだろうとケーキを食べる横顔を盗み見る。

 彼からの愛は、疑う余地なく伝わってくるが、自分のことを本当にそういう意味で好きなのかは未だ確信がなかった。

 出会ったら速攻ホテルに行って身体を求め合うような、即物的な関係しか知らないから、恋人同士というのは難しい。嫌な思いをさせたくないし、拒絶されたら立ち直れないかもしれない。

「裕は本当にかわいいな」

 そんな台詞をしきりに口にして顔を見つめて、髪の毛を手で梳くように撫でてくる。頬が赤くなるのを感じる。

「そんなことない」

「いや、どんな人より裕が一番かわいい。すぐに赤くなるのも」

 指先が耳に触れてくすぐったかった。性欲を含んだ視線は察知できるものだと、持留は知っている。言葉にするのは難しいけれど、瞳や唇を捉えて離さないような濡れた熱い視線がそうだ。

 斉賀は愛し気な、父性、いやもはや母性を含んだような視線を向けてくる。早くエロい目的で触りたい、触られたいと欲が疼くけれど、その視線には太刀打ちできず、持留はただ嬉しくて彼の手に擦り寄って微笑むだけだった。

 あまり遅くなっては翌日に響く、とホールケーキを食べ終えてすぐに斉賀が家まで車で送ってくれた。電車で帰ると言っても聞きやしない。

「車で送ったら少しでも長く一緒にいられるから」

 そんなことを言いながら手を握られるから、持留の強情なところは解けに解けて、腕を引かれるままに彼と共に帰った。



 斉賀は帰省をして、お正月は持留一人で過ごした。居酒屋のシフトに年末年始休まずに入り、空いた日にはおせちを製造する工場の短期アルバイトにも就労した。

 たまに彼が送ってくれるおせちやおそば、姪っ子のおもちゃの写真は、温かな家庭を感じさせて家族というものが羨ましくなった。

 アルバイトから帰宅して入浴後、立ち仕事で疲れ切った体で布団に包まりながら、送られてきた写真を見返し物思いに耽る。

 家族の温もりを知らないわけではなかったから、余計に身に沁みた。小さい頃は、おばあちゃんとお母さん、お父さんと一緒に年末の歌番組を観て、大人が夜ふかしする中、母の膝の上で眠っていた。遠い記憶だけれど覚えている。

 母は名字が変わってしまった。父にも何やら新しい家庭がありそうだ。

 幼い自分は想像もしていなかったであろう状況に、一周回って面白くなってしまい、一人で笑った。

 一人ぼっちの自分には、今のところ今後もそばにいてくれる予定の人は斉賀しかいなかった。

 ただ、死ぬまで一緒にいるのだと手放しで信じられるような楽観性はあいにく持ち合わせていなかったから、持留はしばしば二人の終わりを想像する。幸せすぎると忘れてしまうけれど、永遠はない。心構えができていない時に別れがきたら、いよいよ致命傷になる。

 斉賀が結婚して去っていくところ。斉賀が遠い地で就職して、福岡から出ていってしまうところ。子どもがほしいと言って、別れを告げられるところ。想像しておこうと思うのに、うまく頭の中で形にならない。

「永一郎」

 呼んで、目を瞑った。体の中を愛しさが駆け巡る。早く会いたい。もっと愛し合って、あわよくば体も触れ合って、彼に溺れてしまいたい。


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