タナカさんはバッドラックとダンスっちまった

結局俺の手元には5万円しか残らなかった。

そしてこの5万円もやがては馬券アプリのカードの支払いに消えることになると思うと、何だか釈然としない。

――ええい。今更考えても無駄だ。明日の儲けに期待しよう。何せ2,000万だ。2,000万。

俺は基本的に、超が付くほど楽天的なのだ(別名、能天気とも言う)。


翌日、待ちに待った知らせが、蔵之介から届いた。

「タナカ様。お喜び下さい。大儲けでございます」

電話口の蔵之介の声が踊っている。

「大儲けって、どれくらい?」


「実は、夢の新薬開発の情報がありました、中小製薬会社に、お預かりした50万円を投資しましたところ」

「ところ」

「なんと、午前中の取引でストップ高の株価急上昇」

「急上昇」

意味は全く分からんが、雰囲気に乗ってオウム返し。


「こんなことはバブル期にもなかった、異常事態でございます」

「異常事態。で、いくら儲かったの?」

「落ち着いてお聞き下さい」

俺はあまりの期待に、ゴクリと生唾を呑み込む。

「何と、お預かりした50万円が、5,000万円に膨らみました。おめでとうございます!」


5,000万。やったあああ!!!遂に俺の時代がやって来たぞっと。

「ありがとう。蔵之介さんを信じてよかったよ」

「そう言っていただけると、私としましても感無量でございます」

電話を切った俺は、まさに夢心地だった。

取り敢えずフェラーリでも買うか。

今まで軽自動車すら持ったことのない俺は、そんなことを夢想しながら、冷蔵庫から缶ビールを取り出し、1人勝利の祝杯をあげるのだった。


翌日の昼過ぎ。

蔵之介からの電話を取った俺は、またもや期待に胸を膨らませる。

今度は何だ?

しかし電話口の蔵之介の声は暗かった。

「タナカ様。大変残念なお知らせがあります」

何?とても嫌な予感がした。

そしてそれは的中する。


「昨日の製薬会社の株でございますが。昨夜遅く厚生労働省から、申請データ捏造の発表がありまして」

「ありまして」

「今朝一番から売り注文が殺到し」

「殺到し」

「大暴落いたしました」

「大暴落!?」

俺は何が起こっているのか理解できず、ただ蔵之介の言葉をオウム返ししていた。


「で、どうなったの?」

「タナカ様がご購入された株は、最早紙くず同然となりまして。売りに出しても値が付かない状態でございます」

「は?」

「ですので、昨日の5,000万はパーということで」

「パー?」

「はい、パーでございます」


その時俺は、急に我に返った。

「ちょっと待ってよ。昨日5,000万になった時点で、株売ってなかったの?」

「もちろんでございます。私共がお客様の大切な株式を、勝手に売りに出すなど企業倫理上、あり得ない行為であります」

「いや、意味分かんないんだけど。蔵之介さん、ちゃんと利益が出るように、売り買いしてもらわなきゃ駄目じゃん」

「タナカ様。昨日ご署名いただいた同意説明文書の第25条にありますように、弊社ではお客様に代わって株式の買い取りは致しますが、売りにつきましてはお客様のご指示に従う方針となっております」

「つまり?」

「つまり、昨日タナカ様より売り注文を頂きませんでしたので、株式はそのままでございます」

「何ですとお?!」

俺は絶句してしまった。


「私としましても、誠に残念でございます。つきましては、今回の取引の手数料」

「ちょっと待って。手数料とか取るの?」

「それは頂戴しませんと、弊社の経営が成り立たなくなってしまいますので。ただ、ご心配なく。現在残っている株式の売却益で、相殺できる見込みでございます」

「つまり、払わなくていいと」

「仰せの通りでございます」

俺は少しほっとした。


「タナカ様。今回はこのように残念な結果になってしまいましたが、一時とは言え、大変な儲けに繋がりましたので、これに懲りず、今後とも何卒ご贔屓に」

そう言って蔵之介は電話を切ってしまった。

俺は暫くの間、自分が一体どれだけ損をしたのか考えていた。


待てよ。

結局、俺って全然損してないんじゃ。

いや、蔵之介に預けた50万円があったか。

あれって、丸損だよな。

でも、元々あの50万も、競馬で当てた金だし。

結局チャラってことか。


そう考えて気が楽になった俺は、腹も減ってきたことだし、飯でも食いに行こうとマンションを出た。

すると五右衛門太郎神酒乃介(ごえもんたろうみきのすけ)(多分)が、神妙な顔つきで待ち構えている。

しまった。

こいつへの支払いがあったんだ。


焦った俺は、神酒乃介(多分)を無視して通り過ぎようとしたが、世の中そんなには甘くなかった。

「タナカ様」

神酒乃介(多分)は、速足で俺の前に回ると、満面の営業スマイルを浮かべる。

「グッドラック商会の、五右衛門太郎太郎神酒乃介でございます」

やっぱり。


神酒乃介は、俺の顔を上目づかいに覗き込みながら、とても残念そうな顔をする。

「この度は、大変でございましたねえ。ご同情申し上げます」

「ええ、ありがとうございます」

「このような状況で、このようなことを申し上げるのも心苦しいのですが」

だったら言わないで。

「『1日だけ投資で超高額配当が得られる』幸運の代金、500万円をお支払い願えませんでしょうか?」

やっぱりダメなのね。


「いやあ、悪いんだけどさ。正直500万なんて金、持ってないんだわ」

「何ですと?」

神酒乃介は途端に凶悪な表情になった。

「いやあ、ごめん。ごめん」

俺は何とか笑って誤魔化そうとする。

無理だと思うけど。

「それは大変困りましたね。契約はきちんと履行していただかないと」

やっぱり無理なのね。


「どうしてもお支払いいただけないのであれば、先日ご説明しましたように、商品の代金に相当する不運を、タナカ様に差し上げることになりますが、構いませんでしょうか?」

神酒乃介は、とても邪悪な表情で笑った。

俺はその顔を見て、正直ちびりそうなくらいビビったのだが、ないものは仕方がない。


「このような結果になって、とても残念です」

神酒乃介はそう言い捨てると、スタスタと歩き去って行った。

俺は500万円分の不運って、どんなもんなんだろうと考えながら、いつもの定食屋に向かった。


定食屋まで残り100mという所まで来た時、突然横の道から自転車が飛び出してくる。慌てて自転車を避けた俺は、何かにぶつかった。

「きゃあ」

がしゃん。

立て続けに悲鳴と音がして、驚いた俺が振り向くと、道に和服姿の老女が倒れている。

俺が自転車を避けた拍子にぶつかったようだ。


「大丈夫ですか?」

そう言いながら俺が老女を助け起こしているうちに、件の自転車は何事もなかったかのように走り去って行った。

「何てことするのよ」

老女は起き上がると、道に転がっている高そうな木製の箱を手に取る。

そして、これも高そうな紫のひもを解いて、中身を確認した。


「まあ、何ということでしょう」

どこかのテレビ番組で聞いた覚えのある台詞を吐きながら、老女は俺を睨んだ。

「あなたのせいで、家宝の壺が割れてしまったじゃないの」

老女はそう言いながら、俺に箱を突き付ける。

俺が箱の中を覗き込むと、中身は粉々に砕けていた。


「あなた一体どうしてくれるんですか!?」

怒りを顕わにする老女に俺は訊いた。

「ちなみに、その壺のお値段は?」

「500万円です」

きっぱりと言い切る声を聞きながら俺は思った。

グッドラック商会恐るべし。

速攻で来たじゃないか。


その後俺は警察に連れて行かれ、器物損壊ということで2時間余り拘束されて、取り調べを受ける羽目になった。

そして500万の損害賠償。

俺は田舎の親を拝み倒して、何とかお金を融通してもらい、賠償金を清算したのだった。


それから1か月程経った時。

例によってパチンコですった俺が、不貞腐れながら歩いていると、向こうにスーツ姿の見慣れた男が立っていた。

俺が無視して通り過ぎようとすると、その男がすかさず声をかけてくる。

「タナカ様、私グッドラック損保の五右衛門太郎権左衛門(ごえもんたろうごんざえもん)と申します」

え?権左衛門?

神酒乃介でも蔵之介でもないの?

しかも『のすけ』繋がりでもない?


「はあ」

俺が間の抜けた返事を返すと、権左衛門はすすっと俺に近づいて来て、2人の『のすけ』と共通の営業スマイルを向けた。

「タナカ様。この度は弟たちが大変ご迷惑をおかけしました」

ああ、あんたが長男なのね。


「そこで罪滅ぼしと申しましょうか。タナカ様に耳よりのお話をお持ちした次第でございます」

「耳よりの話?悪いけど、ちょっと五右衛門太郎兄弟は信用できないんだけど」

「タナカ様のお怒りもご尤もでございます。しかし私のお持ちしたお話は、タナカ様にとって不利益は一切ないものでございます」

「どんな話?」

俺は、つい話に乗ってしまう。


「私共グッドラック損保でご用意しております、『バッドラック帳消し保険』という商品に加入していただきますと、何と、先日タナカ様がご経験されたような不運が、すべて帳消しになるという仕組みになっております」

「どういうこと?」

「先日タナカ様は、老女にぶつかって壺を割ってしまい、500万円の損害賠償を請求されたと存じます。しかし、もしタナカ様が『バッドラック帳消し保険』に加入しておられたならば、弊社がその損害を保証するというシステムになっておるのでございます」


待てよ。と言うことは、俺がいくら失敗こいて損を出しても、保険から支払われるから、実質俺に損はないと。

そう言うことか。

俄然興味を覚えた俺は権左衛門に訊いた。

「それで、その『バッドラック帳消し保険』の掛け金は?」

「月々たったの1万円でございます」

安い!乗った!

そして俺は次の地獄へと落ちていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グッドラック商会 六散人 @ROKUSANJIN

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ