三幕

すべての結末

 トイレ休憩以外のすべての時間を移動に費やし、

 空を飛んだ。


 ハルディンさんからもらった魔法の小物入れには、

 普通の食べ物以外にも貴重なものが入っていた。


 魔力を回復させる療養食だ。


 飽きないようにするためか、

 味付けも見た目も豊富な食事が、

 独り旅をなぐさめてくれた。


 無理をして飛び続けた成果はあった。


 レルパシアン大陸の端から、

 谷を越え、大森林を抜けた先に図書館は存在した。


「夕方になるまで頑張ったかいがあったな」


 飛行魔法の高度をゆるやかに下げていく。


 図書館というより城塞都市に近い。


 壁の材質は光沢があり、

 夕日を受けてあかね色に輝いている。


 巨大な壁の下に、申し訳程度の門があった。


 人の行き来は活発で、馬車も出入りしている。


 左手の魔法陣に組み込まれた翻訳魔法を発動させる。


 門番さんの近くまで降りていく。


「すみません、入ってもいいですか?」

「初めての方ですね。初回は身分証明証の提示が必要になります」

「身分証明証はないです。あの、同行していた人たちとはぐれてしまって」


 門番さんは事務的な表情を変えようとしない。


 泣き落としはだめか。


「勇者ヨノンさんって知ってますか? 魔女のハルディンさんは?」

「邪竜を倒した偉人の名前など、誰もが知っています」


 知り合いアピールもだめか。


 こうなったら奥の手だ。


 四次元カバンから、魔法の小物入れを取り出す。


「この中にハルディンさんの名刺が入っています。それで代わりになりませんか?」

「……拝借します」


 篭手につつまれた指が、

 小物入れを振ったり日にかざす。

「材質は本物のようですね。この十年で竜が討伐された回数は数え切れませんが、製品として市場に出回ることは、めったにありません」


 慎重にボタンが開けられ、

 中からハルディンさんの名刺が取り出される。

「其の名を示せ」

「へ、あ、アル・ディーバインです」

「あなたではありません」


 指し示されたのは名刺の方だった。


 名刺が空中に浮かびあがって金色に輝き始める。


 光が収まると、一枚の身分証明証があった。


「本物ですね。ハルディン様の物と確認できました」

 

 途中でなくさなくて、

 よかった。


「じゃあ、中に」

「他人の身分証明証を持っているだけの方を通すことはできません」


 うわぁ、仕事に対する責任感がすごい。


 門番だもんな。


「せめて御本人の証言があれば、魔法使い見習いという形で入っていただくことも――おや?」


 ハルディンさんの証明証が薄く光りだした。


『メッセージを起動します。この身分証明証を金髪の青年が持ってきたら、図書館に受け入れてあげてください。ジェルバ・ハルディンより。メッセージを終了します』


 証明証から光が消える。


 気まずい沈黙が俺たちの間を通り過ぎた。


「あいかわらず用意周到な方だ……。いいでしょう、仮の身分証明証を発行します」

「ありがとうございます!」


 日暮れ前には体を休めることができそうだ。


 リューディガーや村のみんなが心配だけど、

 図書館で待ち合わせた以上は動かないほうがいいだろう。


 魔法で飛べる場合の道程は、

 人それぞれになる。


 すれ違ったらシャレにならない。


 一日飛び続けたせいで体の節々が痛い。


 宿は無理にしても、雨風くらいはしのぎたかった。


「おまたせしました。こちらが仮の――」


 鼓膜を破るような爆音が大気を震わせる。


「なんだ、あれは!」


 門番さんが腰に下げていた角笛を鳴らす。


 角笛の音がそこかしこから響き渡った。


 周囲の人々が図書館へと逃げ込んでいく。

 振り返った先では、化け物が空を埋め尽くしていた。


 今朝の比ではない。


 化け物の中でも、ひときわ大きな個体が俺を見る。


 黒い群れの後ろから、

 馬のいななきが聞こえてきた。


「お兄さん、身分証明証だけください!」

「君も中へ!」

「知り合いが来てるんです!」


 ほとんど奪うように証明証を受け取る。


 地面を強く蹴って、空へと駆け出す。


 群れの一部に穴が開く。

 

 白い天馬がこちらへ駆け寄ってくる。


「ヨノンさん! ハルディンさん!」

「アル! よかった、無事だったか」


 ヨノンさんもハルディンさんも血だらけだ。


 彼女はヨノンさんに抱きかかえられて目を閉じている。


 顔色がよくない。


「図書館へ避難しましょう」

「君とハルディンがな。彼女を頼む」

「ヨノンさんもです」


 ふたりともボロボロだ。


 今まで追手が来なかったのは、

 彼らが食い止めていてくれたおかげだろう。


「君はハルディンが目をかけた逸材だ。失うには惜しい」

「ひとりでは無理です」


 腕の中のハルディンさんが小さな声を出し、目を開ける。

「ごめんなさい、あたしまた気絶して……」

「起きたか。早く安全なところへ」


 ヨノンさんが紫色の光をまとうと、

 天馬が勢いよく走り出した。


 化け物の先頭集団が光につつまれ弾き飛ばされていく。


 俺とヨノンさんを見比べた彼女は、

 瞳を金色へと変えていく。


 俺に向かって「ありがとう、アル君」と言うと、

 よろめきながら立ち上がろうとする。


「無理ですよ。顔が真っ青だ」

「あの子ががんばってるのに、あたしだけ逃げるわけにはいかないわ」

「俺も残ります」


 どこか冷え冷えとした金の瞳と目が合う。


 彼女がほうきを作り出し、

 腰かけた。


 駆け足程度の速さで飛び始める。


 俺も追従する。


「なにか対抗策があるの?」

「それは」


 言いよどんだとき化け物がなにか叫んだ。


 少しだけリューディガーの声に似ている。


 左手の魔法陣に魔力を流す。


 もしかして。


 万に一つの可能性だが、

 なにもせず諦めたくなかった。


「俺は翻訳魔法を使います」

「……危なくなったら逃げてね」


 俺の熱意が伝わったのか、

 そうでないのかは分からない。


 だが同行を許可したと受け取る。


 許可されなくてもついていく。


 不安になるのは、もういやだった。


 転移したときのことを思い出す。


 リューディガーはずっと俺たちに翻訳魔法を使っていた。


 そして俺は、彼の言語をまだ翻訳していない。


 四次元カバンからタブレットを取り出す。

「ふたりとも意固地だな」


 距離を取ったヨノンさんを緑色の魔力がつつむ。


 傷を癒やし、愛馬とともに突撃していく彼はまさに勇者だった。


「ヨノン、あなたが私に似たんでしょう?」


 ハルディンさんは回復と攻撃を一手に担っていた。

 俺はといえば、二人の死角からやってくる化け物を魔力の盾で弾き返していた。


 魔力の無駄遣いはできない。


 だからといって顔見知りが傷つくのも見過ごしたくない。


 飛んで、攻撃をしのいで、

 とにかく化け物たちの声を解析にかける。


 リューディガーに似た声も集めるのを忘れない。


 解析が終わった。結果は――地球の共通語に近かった。


『間違えた、間違った。今度こそやり直す』

「うぉっ……」


 聞こえてきた声は、ノイズこそ走っているが俺の肉声だった。


 ときおりリューディガーが助けを求めてくる。


「リューディガー! どこだ!」

「アルぅ……」


 今にも泣き出しそうな細い声が、

 巨大な化け物から聞こえた。


 ハルディンさんとヨノンさんが俺を見る。


『今度こそ、姉さんに会う』


 化け物たちの攻撃は止み、

 俺を注視していた。


 心臓が痛いほど脈打つ。


「……話をしよう。間違えたって、なんのことだ」

『姉さんから逃げた。なにもかも放り出した。そして死んだ』


 昨日のことを思い出す。


 おなかが痛いとうそをついて、

 転移に失敗し、レルパシアン大陸にやってきた。


 俺はそのとき、出血多量で気を失いかけていた。


 助けてくれたのはリューディガーだ。


 彼が来なかったら俺はそのまま亡くなったということなのだろうか。


「君たちは幽霊になった俺なのか」

『そうだ』


 物理攻撃や魔法攻撃が効きにくかったのは、

 幽霊だったかららしい。


 魔法は効いてもよさそうなものだが。


『生きているお前がうらやましい。邪魔をしたお前がうとましい。だから取り込む』

「俺はなにも邪魔してない」


 幽霊の俺は、ぶっそうなかぎ爪の生えた手を握りしめる。


『お前が邪魔しなければ姉さんに会えた!』


 かぎ爪。


 あのときの手。


 頭の中でパズルが組み立てられていく。


「俺と姉さんを間違えてさらったのか?」

『違う! お前だ! お前が邪魔をしたんだ!』


 硫黄の匂いが鼻をつく。


 話にならない。


 わがままで、子供っぽい理屈だ。


 しつこく俺を狙っていたのも、

 逆恨みだった。


 リューディガーを捕まえたのは、

 なにか含むところがあったのだろう。


「姉さんに再会できれば、お前たちは成仏するのか?」

『会えるものならな』

「俺が会わせてやる」

『失敗したら取りついて殺す』

「分かった」


 一番大きな幽霊が、口に手を突っ込んだ。


 リューディガーが引きずり出される。

「アルーーッ!」


 赤く小さな竜が勢いよく胸に飛び込んでくる。


「リューディガー。大丈夫か?」

「怖かったよぉ」


 震える体を抱きしめてやる。


 けがはなさそうだ。

「俺がひどいことをして、ごめんな」

「アルは悪くないよ。僕が捕まっちゃったから……」


 彼はどれだけ心細かっただろう。


 自分の声もろくに聞こえず、

 散々振り回されて、どれほどつらかったか。


 それは幽霊の俺にも同じことが言えた。


 あの洞窟でさみしく死んでいったのだとしたら、

 後悔せずにいられただろうか。


「ねぇねぇ、アル、見て。幽霊たちがいなくなっていく」


 リューディガーの言葉に、

 思考の海から抜け出す。


 視界を埋め尽くすほどいた幽霊が、

 少しずつ溶けていく。


 融解したそばからオレンジ色の帯となって、

 俺の体へと溶け込み始めた。


『お前が死ぬまでに姉さんと会えなかったら、取りついて殺す。そしてまた繰り返す』


 耳元で念を押してささやいた幽霊が、

 一瞬だけ俺と同じ姿になる。


 数秒ののち、彼らはすべて俺の体内へと消えていった。


「最後にとんでもない発言していったな……」


 体から力が抜けて、ゆっくり落ちていく。


 緊張の糸が切れた。


 今更ひざが震えてきて、

 体勢を維持するのも難しい。


 ヨノンさんに受け止められる。


 ずり落ちそうになる体をハルディンさんが魔法で引き上げてくれた。


「大丈夫か、ふたりとも」

「はい、終わりました」

「よくがんばった。すごいぞ」


 槍だこのある大きな手が、

 俺とリューディガーを順になでていく。


「ヨノンだけずるい。あたしも」


 ハルディンさんにも、

 なでられた。


「ありがとうございます」


 地上から空気をゆるがす大歓声が聞こえてくる。


 これは結果的に都市を救ったことになるのだろうか。


「さあ、図書館に行きましょう。今夜はお祝いよ」

「できれば二日くらい寝たいですねぇ」

「俺もアルと同じ意見だ」


 すべてが終わって安心したのか、

 リューディガーは腕の中で寝息をたてている。

 確かめたいことや、

 やらなければならないことは山ほどある。

 でも今は早く眠りたかった。



 ◇◇◇◇◇◇◇◇



 俺がレルパシアン大陸に転移した激動の二日間から、

 十年の月日が流れた。

 

 今日、俺が幽霊に殺されるかどうかが決まる。


 図書館の門前には、ひとだかりができていて、

 少しだけ恥ずかしい。


 白衣のすそが風にふかれて足をたたいた。


「アル坊。土産だ、持っていけ」

「ありがとうございます。もう坊やじゃないですよ、町長さん」


 荒れ果てた村を活性化させたついでに、

 町へと成長させた元・村長さんは顔をしわくちゃにして笑う。


 受け取ったのは、魔法のポーチだ。


 三つもある。


 パヨヨポヨヨを始めとして、

 いろいろな料理が詰め込まれているに違いない。


「ディーバイン教授がいなくなると、さびしくなるわね」

「魔法のことを教えてくれて、ありがとうございました」


 ハルディンさんは目の色をさまざまに変えつつ、

 ほほ笑んだ。


 彼女の気分が文字通り目にあらわれると知ったのは、

 あの騒動のあとだ。


 ちょっとした特異体質らしい。


 種族が人間ではないと聞いたときは本当に驚いた。


 彼女は若々しいままだ。


「元気でな」


 ヨノンさんは困ったように笑った。


 武勇伝に事欠かない彼にも、

 心の機微はある。


 なにか考え込むしぐさをして、

 三編みを留めていた金具を手渡してくる。


 三編みが風に吹かれて、ほどけた。


「後継者ができたら譲ろうと思っていた」

「ありがとうございます。大切に使いますね」


 両手がふさがってきたので、

 断ってから四次元カバンに収納していく。


「アル、本当に帰っちゃうの?」


 俺を見下ろすほど成長したリューディガーが、

 体を丸まらせて鼻を押し付けてくる。


 さびしいときのクセだということは、

 この十年でよく分かっていた。


「ああ。幽霊の俺と約束したからな」


 逆鱗をさけて、やわらかい喉をかいてやる。


 彼は気持ちよさそうにのどを鳴らした。


 目には涙をためている。


「リューディガー。俺の親友。君は命の恩人だ」

「僕も助けてもらったもん。……ありがとう」


 前足で器用に抱き寄せられる。


 高い体温が心地よかった。


 俺も抱き返してやる。


 名残惜しいが、静かに体を離す。


 彼がいやいやをするように頭を振った。


 落ちてきた涙が俺の体をぬらしていく。


「アルぅ」

「リューディガー。強き者は?」

「施すべし……」


 最初に教えてくれた彼の家訓だ。


「そういうことだ」


 笛の音を思わせる鳴き声が青い空に響いて、

 俺の服を乾かしていく。


「ありがとう、リューディガー」

「どういたしまして」

「……そろそろ行くよ」


 三人と一体から離れて、

 空中に魔法陣を描いた。


 オレンジ色の魔力がゆっくりと魔法陣を循環していく。

「それじゃあ、みんなも元気で。さようなら」


 送り出してくれる彼らの姿を目に焼き付ける。


 魔法陣がまばゆく光る。


 惑星間転移魔法は成功した。


 音も光も消える。


 視界が明滅し、明るくなった。


 目の前には記憶よりも色あせた自宅がある。


 庭の方で、布がはためく音がした。


 洗濯物が風に吹かれている。


「アル……?」


 くすんだ金髪の女性が、

 姉が、駆け寄ってくる。


「姉さん」

「本当にアルなの? ああ、神様!」


 幽霊でも見たんじゃないかというほど、

 目を見開いて、それから俺の胸に飛び込んでくる。


 幽霊といえば、彼らも成仏できたようだ。

 ずっと重かった肩が軽くなっている。


「ただいま」

「おかえりなさい。よく無事で……」


 それから先は言葉にならないのか、

 顔をおおって泣き始めた。


 昔の姉だったら、絶対に見せない態度だった。


「話をしよう、姉さん。伝えたいことが山ほどあるんだ」


 西暦二五一〇年、地球。


 日本は九州の片隅で俺たち姉弟は、ようやく向き合えた。

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魔法使いが生まれた日 灰色セム @haiiro_semu

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