図書館への道程

 耳をつんざくほど不愉快な音で飛び起きる。


「なんだぁ?」


 窓ガラスをたたく音も聞こえた。


 風が強いのかな。


 電気……。


 この世界に電気はないんだった。


 ハルディンさんから教わった魔法の基礎は「イメージすること」ひとつだけだ。


 制服を着ながら部屋が明るくなった想像をして、

 魔法のペンで空中に円を描く。


 円の内側が明るくなり、

 部屋が照らし出される。


 窓に映ったのは、赤黒い色をした、

 人に似たナニカだった。 


 よっつもある目は光を受けて輝いている。


 口は大きく裂けていて、

 ずらりと並んだ牙が見えた。


「うわああぁっ!」


 明るくしなければよかった!


 四次元カバンを抱えてドアのある方へ走る。


 ドアノブを回す。


 窓をたたく音がうるさい。

 近くで、遠くで、いくつもの悲鳴が聞こえた。


 ドアは開かない。


 窓が割れる音がした。


 振り向く。


 窓ガラスの隙間から不定形の粘ついた物がうごめいていた。


 ゆっくりと人の姿になり、

 ベッドに降り立つ。


 ベッドが赤黒い色に染まっていく。


 どこからか硫黄の臭いがした。


「■■■■■■■■」


 誰かが何かを叫んでいる。

 爆発音がして、少しだけ静かになった。


 警報はまだ止まない。


 ドアが激しくたたかれる。


 正体の分からない化け物が、

 ゆっくり近づいてくる。


 ひじから先は黒い。


 化け物が歩くたびに、

 手に生えた鋭いかぎ爪が高い音をたてた。


「■■■■■■」


 聞き覚えのある、低い声が何かを言っている。


 そうだ翻訳魔法だ。


 急いで左手の魔法陣に魔力を流す。


「ヨノンさん!」

「アル! ドアから離れろ!」

「窓から化け物が」

「俺が倒す!」

「ドアが開かないんです!」

「床に伏せろ!」


 腹の底から出された大声に、

 思わずしゃがみこむ。


 頭の上を強風が通り過ぎた。


 小さな痛みが耳や顔に発生する。


 重いものが床に当たる音と、

 カエルをつぶしたような声も聞こえた。


 光が差し込んできた方へ顔を向ける。


 ドアが中央よりやや上で切断され、

 吹き飛んでいた。


 化け物は目を回したのか、

 動かなくなっている。


「大丈夫か?」


 ドアの鍵を回し、ヨノンさんが声をかけてくる。


 ドアが開けられた。

 左側面の髪は結んでいない。

 俺の顔に刺さった木片を抜く動きに合わせて、

 青い髪がゆれる。


「細かい処置はあとでする。おいで」

「鍵、その、ごめんなさい」

「怖かっただろう。遅れてすまなかった」

「いいえ。ありがとうございます」

「ああ」


 警報はまだ止んでいない。


 悲鳴に泣き声が混じり始めた。


 足が震えてうまく立てない。


 彼が篭手におおわれた手を差し出してくる。


「さあ、ここを出るぞ」

「ハルディンさんたちは?」

「救助活動中だ。図書館で合流する約束をしている」


 手を引かれて廊下に出る。


 俺が追いつけるくらいの速さで、

 ヨノンさんが先導してくれた。


 宿の外壁は大きく崩れている。


 月明かりが静かに俺たちを照らす。


「ここから外へ出る」

「分かりました」


 いくつもの物音と怒号、

 そして炎が夜の村を彩っていた。


 地面が波打つようにゆれ始める。


 燃える炎に照らされた影は大きく、

 長い。


 前方から走ってくる、十五メートルほどの巨大な化け物が俺を見た。


 二対の目に見つめられ、

 言いようのない感覚が背筋を走り抜ける。


「対処する」


 冷たく言い放ったヨノンさんが駆けだす。


 振り下ろされたかぎ爪に白い光が走る。

 槍の穂先が吸い込まれるように腕を突きさした。

 命中したものの、

 やわらかく押し返されてしまった。


 血のひとつも流れていない。


 それどころか槍の穂先が溶けている。


「ふむ」


 槍を反転させると、石突で足をめった打ちにする。


 効いている様子はない。


 化け物の体から槍を模したトゲがいくつも生えてきた。


 ヨノンさんへ向けて不規則に発射される。


 そのうちひとつが俺へ向けられる。


「アル!」


 射線上に飛び出したヨノンさんが、くぐもった声とともによろめいた。


「ヨノン、離れて!」


 左側から聞き慣れた声がして、

 ヨノンさんが僕のところまで飛びすさってきた。


 地面に血が飛び散っている。


「雷鎚!」


 涼やかな声とともに、

 あたりがまぶしくなる。


 雷の落ちる音がした。


 化け物は遠くへ弾き飛ばされている。


 地面は大きくえぐれ、

 黒い煙が出ていた。


「ヨノン!」

「無事か、坊や!」


 左側からハルディンさんと村長さんが走ってきた。


 彼女は寝るときは動きやすさ重視なのか、

 ズボンとブーツという活動的な格好をしていた。


 帽子は被っていない。


 長い髪をポニーテールにしている。


 村長さんは巨体に見合うだけの、

 大きな剣を背負っていた。


「ハルディン、この子を頼む」

「分かったわ」

「待ってください、ヨノンさんたちは? リューディガーだって見当たらない」

「あの子を見つけてから追いつく」

「なぁに、俺ァ元騎士団長だ。心配するな坊や」


 大剣を掲げた村長さんがせきこむ。


 遠くで子供の泣き声もする。


 ハルディンさんの魔法が俺たちの傷を癒やしていく。

 彼女が「さあ、早く」と俺の肩をたたいた。


「うわっ」


 体が水平に浮かび上がる。


 彼女に飛行魔法をかけられたらしい。


「待って、ふたりも……」


 ハルディンさんに手を引かれ、

 空へと避難する。


 自動車並みの速度で彼らから、

 どんどん遠ざかっていく。

 起き上がった化け物に、

 村長さんが吹き飛ばされたのが見えた。


 あとは光源から離れすぎたのか、

 見えなくなった。

「ヨノンさん、村長さん!」

「アル君。冷静になって」

「だって」

「だっても何もないわ。あなたの目的は地球に帰ることでしょう」

「そうですけど、でも」

「それだけ心配してもらえるなら、彼らも嬉しいでしょうね」


 のどが熱くなる。


 続く言葉が出ない。


 ハルディンさんが俺の手を強く握りしめた。


 冷たい風がほてった顔をなでていく。


「それでね、これからのことなんだけど――」


 あわい月明かりが雲にさえぎられた。


「うっ」


 ハルディンさんのうめき声が聞こえて、

 高度が少しだけ落ちた。


 なにかが顔をぬらした。


 この数十時間で、嫌というほど嗅いだ、

 血の臭いだ。


 幾筋もの光が通り過ぎていくたびに、

 彼女の飛び方は不安定になった。


 魔力を少し操作して後ろを見ることに成功する。


 雲が晴れて、化け物の群れが追ってきているのが見えた。


 背中には翼が生えている。


「ハルディンさん、後ろ!」

「アル君。あの塔が見えるわよね」


 強制的に前を向かされる。


 すごく遠いところに、

 天をつらぬく光のような物が見えた。


 ここからだと針のような細さだ。


「あそこが図書館よ。先に行ってちょうだい」

「先にって、ハルディンさんは」


 左手にぬれた感触がある。


 彼女の肩から流れ出る血が腕をつたって、

 地上へ落ちていった。


「休憩したら追いつくわ。図書館で会いましょう」


 彼女の声に快活さはなかった。


「空を飛ぶイメージを強く保って。いいわね?」

「あの。傷を治せば、一緒に」

「アル君」


 青ざめた顔で「またね」と笑いかけられて手が離される。


 景色が少しだけ止まって、

 勢いよく加速した。


 なにか魔法をかけてくれたらしい。


 後ろからハルディンさんの詠唱や爆発音がたくさん聞こえてくる。


 振り返れなかった。


 振り返ったら戻ってしまう。


 何もできないのに、駆け寄ってしまう。


 すがってしまう。


 それは足手まといのすることじゃなかった。


「くそっ……」


 昨日まで安全な地球にいたガキが、

 異世界での戦闘に参加できるはずがない。


 それところか付与された魔法の効果が切れないうちに飛行魔法を習得しないと死ぬ。


 家に帰るどころか、天に還ってしまう。


 高度が緩やかに下がっていった。


 下を見る。


 谷だった。


 冷や汗が吹き出すのを感じる。


「飛ぶ……。なんだろう。スノーボードですべってみようか」


 試しにスノーボード状に魔力を成形して、

 その上に立ってみる。


 水平になって飛ぶよりは、

 ずっと恐怖感が薄らいだ。


 できる限り下は見ないで、

 姿勢がまっすぐになるよう心がけてみる。


 少しずつ速度を上げていく。


 姉さんの重い荷物を部屋まで運んだときのことを思い出す。


 重心を落とすといいのかもしれない。


 スノーボードに乗るように、

 もっと体勢を整えてみる。


「おぉ、安定した」


 空の上でひとりごとを言うほど、

 むなしいこともない。


 小鳥でもいないかと思ったけど、

 雲ひとつも見当たらない。


 月がよく見える、いい天気だ。


 俺の心境は全然よくない。


 リューディガーともヨノンさんとも、

 ハルディンさんとも村長さんとも別れてしまった。


 さみしいし、とても不安になる。

 

 リューディガーは姿すら見かけなかったし、

 みんなはケガの具合が心配だ。


 森の端から太陽がのぼり、

 空がゆっくりと黄金色に染まっていく。


 夜明けだ。


 風が草木の匂いを運んでくる。

 

 彼らが無事でいますようにと、

 この美しい風景に祈ることしかできなかった。


 体は現金なもので、おなかの虫がキュウと鳴く。


 地球でいうなら朝の五時くらいだろうか。


「そういえば、ハルディンさんから食べ物用の小物入れをもらってたなぁ……」


 四次元カバンから、小物入れを取り出す。


 パヨヨポヨヨをひとつふたつと取り出し、

 かじりつく。


 地上に降りて味わっている時間が惜しい。


 みっつ、よっつ。


 速度は落とさずに食事にいそしむ。


 いつつ、むっつ。


 パヨヨポヨヨに少しだけ飽きたので、

 口直しにサラダを食べよう。


 これも手づかみだ。


 制服の袖口が汚れるのも気にせず、

 サラダをかみしめる。


 もう少し食べようとして、

 変な感触に気づいた。


 小物入れの中に、内ポケットがついている。


 金色のものが見えた。


 魔法で手をきれいにしてから、

 引き出してみる。


「カード? 名刺かな」


 翻訳魔法は文字も訳せる。


 左手に少しだけ魔力を流して、

 名刺の文字を読んでみる。


『ジェルバ・ハルディン』と、

 精密な字で記してあった。


 小物入れと同じく、金のウロコで縁取りがしてある。


 紙にウロコって圧着できるんだな。


 さすがレルパシアン大陸だ。


「無くさないように戻しておこう」


 元はハルディンさんからもらったものだ。


 名刺が入っていてもおかしくない。


 名刺を片付けた手でパヨヨポヨヨを取り出し、

 ほうばる。


 ずっとハルディンさんと呼んできたけど、

 もしかして名字だったかもしれない。


 いやでも彼女がハルディンだって名乗ってたしな。


 こっちでは日本式の姓名表記なんだろうか。


 俺が名乗るより前に、

 リューディガーが名前を呼んでいたことに気づく。


 洞窟から出た直後のやり取りを思い出した。

 レルパシアン大陸にやってきて、

 死にかけて、みんなと出会った。


 まだ一日もたっていない。


 リューディガーはパヨヨポヨヨが好きだった。


 よくかんだパヨヨポヨヨを飲み込む。


「リューディガーは無事だろうか」


 彼もいくつか魔法が使えるようだったが、

 回復魔法しか見ていない。


 あんなに幼い、それこそまだ飛べもしない竜を置き去りにしてきたという事実に、俺の心はようやく痛んだ。


 いつもそうだ。


 退屈な学園生活も嫌いな姉さんも、

 失ってから大切だったと気づく。


 肝心の図書館には、針から親指のサイズになるまで近づいていた。


 全容はまだ見えてこない。


 この距離であの大きさということは、

 すごく大きいんだろうな。


 異世界に戻る手段があるのなら、もしかして――。


「ふんばれ、俺」


 できれば昼間のうちに距離を稼いでおきたかった。


 あの化け物は朝日がのぼってからは、

 追ってくる気配がない。


 夜行性なのかもしれないし、

 陽の光に弱いのかもしれない。


 ヨノンさんやハルディンさんたちが、

 やっつけてくれた可能性もあるけど、

 楽観視はしないほうがいい。


 噴射する魔力を調節し、

 スピードを上げる。


 風が痛い。


 並行して防風魔法も作ってみる。


 大きなシャボン玉の中に入るイメージで、

 まわりを囲ってみる。


「おぉ、いい感じだ」


 少しずつ高度を落として、

 木よりも高い程度の位置にまで降りる。


 ずっと高いところにいるのは、

 まだ怖い。


 高度を維持していた分の魔力を、

 速度に回してみる。


 当たり前だが、速くなった。


 自分で魔法を操作するようになって分かったことが、

 ふたつだけある。


 魔法は想像力が大切だということ。


 もうひとつは、複数の魔法を並行して使うのは大変だということ。


 あのときハルディンさんが己を治療しなかったのも、

 そうだ。


 治療したくても、できなかった可能性が高い。


 自分が飛んで、俺も飛ばす。


 さらに俺へ加速魔法も付与する。


 そして空中にとどまって、

 迎撃をする。


「あの人は、とんでもないことをしていたんだな……」


 姉さんもそうだったのだろうか。


 自分ひとりが食べていくのも大変だろうに、

 俺を養っていた。


 両親の遺産があったとはいえ、

 九州魔法学園は名門校だ。


 俺の入学費用で消し飛んだかもしれない。


 腐らずに、もっと真面目に授業を受けるんだった。


 恥ずかしがったり、意地を張らずに頼ればよかった。


 俺は、姉ともっと向き合うべきだった。


「後悔してばかりだな」


 今ここにみんながいたら、

 なんと言ってくれただろう。


 リューディガーは元気づけてくれたかもしれない。


 ヨノンさんは静かに聞いてくれたかもしれない。


 ハルディンさんは俺を叱ってくれたかもしれない。


 どれも考えてもしかたないことだった。


 今は、ふたりが言っていた図書館に向かうしかない。


 地平線から全体の三割ほど顔を出した太陽が、

 俺を勇気づけるように世界を照らす。


 まだ遅くないと指し示すように、

 図書館が陽光を受けてきらめいた。


 ――どうか、みんなと再会できますように。

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