二幕

翻訳魔法と食べニュケーション

 療養食を食べ終わるころには空が金色に染まっていた。


 体の震えや吐き気が止まって、

 魔力が満ちていくのを感じる。


 お姉さんはといえば、

 お兄さんと何か話して、

 去ってしまった。


 食器を片付けに行ったみたいだよ、

 そうリューディガーが通訳してくれる。


 そんな彼も散歩に行ってしまった。


 今はお兄さんとふたりきりだ。


 こんな時でも槍を手放さない彼は、

 警戒心が強いのかもしれない。


 ペガサスは、一声だけ鳴くとお兄さんの鎧に吸収されていった。


 異世界ってすごいな。


 会話も成り立たないし、

 やることがない。


「待てよ。今なら翻訳魔法が使えるかも」


 胸ポケットから魔法のペンを取り出し、

 計算式を地面に書きつけていく。


 魔法が使えるペンといっても、

 使うインク自体は俺の魔力だ。


 療養食の影響なのか、

 オレンジ色の光を帯びた文字になっている。


 地球ではこんな現象はなかった。


 幸い、ここは人の行き交う広場だ。


 参照する言葉を集めるのに事欠かない。


 タブレットとペンを無線接続し、

 音声を取得し、データベースと照合していく。


 検出された言語と地球の共通語を翻訳する。


 自動生成で魔法陣が描写されているのを待っていると、

 お兄さんが不思議そうにのぞきこんできた。


 保護したガキが急にしゃがみこんで地面に奇妙な文字列を書き始めたら、

 びっくりするよな。


 完成した魔法陣をタブレットに保存しておく。


 左手の甲にも書いておく。


 これに魔力を流せば翻訳魔法が使える……はずだ。


 たぶん。


「あの。俺の言葉、分かりますか?」

「話せるのか。それにしては口の動きと発話している言葉が違うな?」


 するどい。


 ここは変にごまかさないほうがいいだろう。


「体調が戻ったので翻訳魔法を使いました」

「そうか。竜のほかに翻訳魔法を使える知的生命体は初めて見た」


 立ち上がり、計算式を足で消しておく。


 近くのベンチに座ったお兄さんが「座るといい」と隣を指し示した。

 ベンチは石造りで、どす黒く汚れている。


 近くのベンチには、全身をカラフルな絵の具で汚した人がいびきをかいて寝ている。

 あまり汚さないように、端に座った。


「ありがとうございます。お名前をお伺いしても?」

「俺はヨノン。職業は勇者だ」


 強そうだなぁと思ってたけど、

 勇者だったのか。


 地球でいうオリンピック選手みたいなものだろうか。


 レルパシアン大陸における勇者の定義を知らないから、

 どうリアクションをしていいのか分からない。


「俺はアル・ディーバインといいます」

「アルか。よろしく。君も魔法使いなのか?」


 魔法は使えるけど、たったの二種類だ。


「いえ、まだ修行中なんです」

「へぇ。翻訳のほかには、どんな魔法を使えるんだ?」

「転移魔法を少しだけ」

「転移か。これも初めて聞いたな」

「こちらでは魔法になっていないんですか?」

「俺もよく分からない。ハルディンが戻ってきたら聞くといい。彼女は世界でも有名な魔法使いだ」


 ヨノンさんが顔をほころばせる。


 笑い方が少しお姉さん――ハルディンさんというらしい――に似ている気がした。


 食器を片付けに行っていた彼女が戻ってきた。


「あら、仲良くなってる? 体調はもういいのかしら」

「ハルディン。この子が話せるようになった」

「よかった。よろしくね」


 今日一番の笑顔をみせてくれたハルディンさんが、

 俺の手をとる。


 彼女と改めて自己紹介をした。


 花の化身のように癒やされる声が、

 少しだけはしゃいでいる。


 その姿は成人女性のようにも、うら若い乙女のようにも見えた。


 不思議な人だ。


「私は魔女なの」

「魔女ってどんな立場なんですか?」

「魔法の研究者ね。魔法使いに与えられる称号なのよ」

「すごいですね。落ち着いたら、詳しく話を聞きたいです」

「もちろんよ。情報交換しましょう」


 リューディガーが駆け寄ってきた。


 小さな花をくわえている。


 ラベンダーのような香りのする、

 ヒマワリに似た花だ。


 彼がむーむーと言いながら俺の方に花を差し出してきた。


 受け取る。


「香草をつんできたよ!!」

「ありがとう。いい香りだ」

「アルもう大丈夫? おなか痛くない?」

「大丈夫だよ。心配をかけたな」


 嬉しいのか、足元で羽を羽ばたかせる姿に心がほっこりした。


 花は、血で汚すのも申し訳ないので四次元カバンに入れておく。 


「立ち話もなんだし、宿に行きましょう」

「あの、近くに換金所とかありますか」

「ないわね」


 ハルディンさんが即答した。


「どうしよう。俺、ここの通貨を持ってないです」

「俺たち三人と、そこの幼竜はタダで飲み食いできる。宿も無料だ」

「そうなんですか」

「詳しい話しは宿でする。……ハルディン」


 ハルディンさんを先頭に俺、

 リューディガー、

 最後尾にヨノンさんという形で宿へ向かう。


 俺は何に巻き込まれたんだろう。


 そもそもこの人たち、

 俺のことを少しだけとはいえ、

 敵視していたはずだ。

 それが、謝られ世話を焼かれ仲間になったからといって、

 プラマイゼロになるわけがない。


 観察と情報収集が必要だ。


 できれば風呂にも入りたい。


 というか、まず風呂に入りたい。


 いろいろ汚してしまうし、

 なにより気持ちが悪い。


 ハルディンさんが大きな建物の前で立ち止まっていた。


 地球でいうレンガに似た建築素材が使われている。


 煙突からは白い煙が出ていて、

 パンの焼けるような、

 いい匂いがした。


 確かメイラード反応というものだ。


「この村で唯一の宿よ。さぁ、入って」

「失礼します」


 大きな木製ドアに手をかけ――視界が後方に流れていった。


 体に衝撃が走る。


 おなかと首と後頭部が痛い。


「大丈夫か?」


 吹き飛ばされて、後ろにいたヨノンさんにぶつかったらしい。


 反動で倒れかけた体を支えてもらう。


「あれ、今、なんか、バチッて……」

「出血しているな。ハルディン」


 短い言葉が聞こえて、

 体に緑の光がまとわりつく。


 癒しの魔法だ、と気づいたときには痛みがひいていた。


 はかなく消えていった光は彼女の魔力なのだろうか。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 優しい声と裏腹に、

 彼女の瞳からは感情を読み取れない。


 目の色は見るたびに変わっている。


 最初は気のせいかと流していた。


 今の瞳は、深い海の底を切り取ったかのように暗い色をしている。


 緑色に切り替わった彼女の瞳と目が合う。


「大丈夫? もしかして、まだどこか痛い?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」


 魔法を無駄撃ちさせるのも悪い。


 魔力は有限だ。


 次こそはと、ドアに手をかける。


 扉は普通に開いた。


 さっきのは何だったんだろう。


「そう。じゃあ、今後のことについて話し合いましょう」

「すみません、風呂……シャワー……違うな、体を清めてもいいですか?」

「宿に入れば大丈夫よ」

「いえ、あの、宿に入る前に――」


 視点が高くなる。


 ヨノンさんに抱きかかえられていた。


 よりによって、血で多く汚れている方が彼に触れている。


「いけない。ヨノンさん、汚れてしまいます」

「問題ない」


 そのまま景色がゆれ、

 室内に入ってしまった。


 花でも飾ってあるのか、

 春のひなたのように気持ちのいい香りがする。


 暴れるのも悪いので、大人しくしておこう。


「どう? 宿に入れば大丈夫だったでしょう?」


 リューディガーを抱きかかえたハルディンさんが、

 小さく笑いながら俺たちへ歩み寄ってくる。


「いったい、何が……あっ!」


 血にぬれていた体や制服が乾いている。


 鉄のような臭さもない。


 靴下も靴もポカポカしている。


 服を着たままで洗われて、

 晴天のときに干されたような、

 そんな感じがした。


「旅人は基本的に血だらけ土だらけだからね。迎え入れる側がさまざまな防疫魔法を作ったの。ねぇヨノン」

「俺が普段から血まみれみたいな言い方を……」

「前衛だから返り血はいっぱい浴びてるじゃない」


 壊れ物でも扱うかのように床へ降ろされる。


 ふたりは仲がいいらしい。


 なにより勇者をただの前衛扱いするハルディンさんの態度は少しだけ気になった。


 ふたりの関係性は彼女のほうが優位なのかもしれない。


 または、それほど親密なのだろうか。


「村長。大部屋ひとつ、個室四人分。あといつもの、お願いね」

「おう。ほれ、持っていきな」


 受付にいたのは、さっき俺を馬上からおろしてくれたムキムキのおじさんだった。


 村長さんだったのか。


 ルームキーを五個、投げてよこされる。


 ヨノンさんが全てキャッチした。


「お世話になります」

「はっはっは! 貴族みたいな坊やだな。何もない村だが、ゆっくりしていきな」

「ありがとうございます」


 またハルディンさんを先頭にして、部屋へ移動した。


「さぁ、入って入って」


 身構える俺に、大丈夫だとヨノンさんが声をかける。


 四人がけのテーブルがある、大きな部屋に通された。


 彼らと出会うまでのことを詳細に話す。


「つまり、あなたは地球という世界から事故によって、ここへ来たのね」

「はい。家族もいるし、どうにかして帰りたいです」

「君を連れ去ったという、謎の手も気になるな」


 問題は大きくふたつに分けられた。


 どうしてここに来たのか、

 帰る方法は何か。


 はっきり言って何から手をつければいいのか、

 分からない。


「これからどうしよう……」

「大丈夫さ。分からないことが分かったんだからな」

「ヨノンさん、どういう意味ですか?」

「分かってない状態で『分かった』と思いこむのは、一番危ない。魔法だってそうだろう?」

「……そうかもしれません」


 地球の魔法は免許制だ。


 実技と筆記に別れていて、

 合格しないと魔法を使えない。


『翻訳魔法を使うときは周囲の状況に気をつけなければいけない。正解か不正解か』という問いの答えが『不正解。どんな魔法を使うときも周りの状況を確認すること』だったりする。


 とにかく、すごく嫌らしい設問ばかりなので、

 イライラしながら回答したことを思い出す。


 翻訳魔法だけで三回は筆記試験を受けたな。


「今日は早く寝て、あさってから古代の伝承や神話が豊富な図書館に行きましょう」

「ハルディンさん、明日はどうするんですか?」

「食料の買い出しとか、旅に備えた装備を整えるわ。その前に、ヨノン」

「ああ」


 ふたりが立ち上がり、俺に頭を下げてくる。


「勘違いで君を殺そうとして、すまなかった」

「竜は食べたものの姿かたちになりきることができるの」


 つまり俺はどういうことか、

 悪い竜と間違われていた。


 でもそうじゃないらしいと気づかれたから、

 顔の傷だけで済んだ。


 そういうことらしい。


「頭を上げてください。確かに怖かったし驚いたけど、そのあとは、とても親切にしてくれました。今だって……」

「ねぇねぇ、アルがここまで言ってるんだし、一度精算しちゃおうよ。みんな仲良くしよう?」


 静かに聞いていたリューディガーが助け舟を出してくれた。


「そうですよ。その代わり、いろいろ教えてください。知りたいことが、たくさんあるんです」


 ふたりはのろのろと顔を上げる。


 戸惑ったような、

 安心したような、

 そんな複雑そうな顔をしていた。


 うらみつらみを言われると思っていたのだろうか。


 ノックもなくドアが開いた。


 肉とチーズを炒めて焼いたものに近い匂いが、

 室内に広がっていく。


「よう。いつものやつ、持ってきたぜ」

 村長さんが掲げた大きな皿には、何かの料理が盛り付けられていた。


「パヨヨポヨヨだ! 僕これ大好き!」

「ほほぅ、竜のチビッコは舌が肥えてるな? うちのはうまいぞぉ」

「わーーい!」


 村長が「村の特産品を使っているんだ。腹いっぱい食べてくれよ、坊や」と言うと、

 空中に空いた穴から料理を取り出していく。


 あっという間にテーブルは筆記用具も置けないほどの食事や取り皿などで埋め尽くされた。


 何人分あるんだろう。


 水差しとコップはひとりにひとつ、

 白くて丸いパンはカゴに山と積まれている。


 こぶし大の茶色いパヨヨポヨヨがいい香りを放っている。


 紫と黄色を中心に彩られたカラフルなサラダには、

 赤色のドレッシングがかかっていた。


「おいしそうですね」


 リューディガーは嬉しそうに尻尾を振っている。


 彼は「いただきます」と言うなり、

 自分の体高よりも高くパヨヨポヨヨを積み上げては豪快に食べていた。


 サラダを取り分けていたハルディンさんが、

 いたずらするように笑う。


「残すくらい、でもおなかいっぱい食べるのが、ここでの礼儀作法なのよ」

「村が貧しかった頃の名残でな。食いっぷりがいいほど、品があるとされている」


 どちらかというと、残すことを前提に作られているらしい。


「いただきます」


 パンを一口サイズにちぎり、

 食べる。

 もちもちしていて、とても美味しい。


 小麦ではなく米で作られた味と食感だった。


 この世界にも米、またはそれに似たものがあるらしい。


 パヨヨポヨヨはヨノンさんたちの食べ方を参考に、

 手で割り開く。


 中から溶けた黄色いチーズのような物と、

 刻まれた青い何かが出てきた。


 包んでいる肉状の物と一緒に食べる。


 あっ、これはアレだ。


 チーズとじゃがいもを肉で巻いて焼いたやつだ。


 おいしい。


 姉さんがよく作っていた。


 少しだけしんみりしつつ、

 穏やかな食事を終える。


「ごちそうさまでした」


 残った分は各々が保管して軽食にしたり、

 夜中に小腹が空いたときなど好きなタイミングで食べるらしい。


「そのまま保管すると腐りませんか?」

「そうねぇ……。アル君はインベントリって聞いたことはあるかしら。食べ物を何カ月も保存できるものなんだけど」

「いいえ。ゲームなどの創作物の中では、そのような描写はあります。俺のいた世界では存在しませんでした」

「じゃあこれ、あげるわ。食べ物限定だけど、容量は底なしよ」


 彼女から学生手帳サイズの小物入れを渡される。

 補強のためなのか、

 縁には金色に光るウロコのような物が縫い付けられていた。


「ありがとうございます」

「アル、僕の分も入れておいて」

「いいよ」


 ハルディンさんたちにならって、

 小物入れを料理に近づける。


 皿ごと収納されるようすは興味深かった。


 四次元カバンは、

 カバンに入れる動作が必要になる。


 これは食べ物に近づけるだけで認識している。


「自動補正が働いているのかなぁ。興味深いですね」

「魔法の魅力ってそこよねぇ。自然にできたものとは思えないわ」

「分かります。俺も魔法には神秘的な、科学でも解明できない素晴らしさがあると常々感じていて――」

「話しが早くて助かるわぁ。いいわよね、魔法。アル君の世界には、どんな魔法があるの?」


 ハルディンさんの瞳がピンクから黄色に変化する。


 俺と彼女の魔法談義は花を咲かせた。


 リューディガーは眠そうにしている。


 魔法の使い方、空の飛び方、

 そのほかいろいろな知識は真新しい。


 メモをする手が止まらなかった。


 月が白い空の一番高い所にのぼり、

 ヨノンさんに解散させられるまで話しのネタはつきなかった。

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