魔法使いが生まれた日

灰色セム

一幕

異世界への旅立ち

 西暦2500年、地球。


 教壇に立っていると、特定外来生物――竜――が、

 青空を我が物顔で飛んでいるのが見えた。


「アル・ディーバイン? 早く魔力を流しなさい」

「はいはい」


 俺が触れていた魔力測定機器に、

 魔力を少しだけ送る。


 測定器の限界値を軽々と超えて緊急停止する。


「先生。これまだやる必要、あります?」

「席に戻ってよろしい」


 可能な限り、うつむいて席に戻る。


 視界をちらつく金髪が朝日を受けてきらめいた。


 髪と同じ色である俺の瞳は、

 輝いているのだろうか。


「わぉ。相変わらず化け物みたいな魔力量だよな」

「魔法には全然適性がないのに、偉そうで苦手」

「先生と違って攻撃魔法は使えないんでしょう? やる気とか、ないのかしら」


 クラスメイトと言う名の他人が、

 好き勝手に小声で話している。


 ヘルクリス・ディーバイン。


 俺の姉であり、この九州魔法学園を飛び級で卒業した秀才。


 魔力の保有量だけ超人じみた規格の俺とは違う、

 生まれつきの天才。


 攻撃魔法専攻科なんて『絶対軍属希望です』という宣言に近い。


 そんなの、怖くて、嫌だった。

 

 魔法のペンに刻印された『普通科一年五組十三番アル・ディーバイン』のうち、

 家名をにらみつける。


「ディーバイン先生」

「はい、柳さん。どうしたの?」

「2年生で選択できる、回復魔法専攻科のことで質問があって――」


 手を上げた生徒に近づき、

 俺には見せない顔で穏やかに対応する教師の、

 全てが嫌だった。


 俺の前では教師の仮面を外さない、

 その態度が気に食わない。


 学園から支給されたタブレットの画面には、

 進路調査という文字が表示されている。


 その下には細かな文字が並んでいた。


 昔から何でもできた優等生の、

 説教じみた思想がにじみ出た文章なんて見るのも嫌だ。


 俺が持っている魔法の免許といえば、

 翻訳魔法と転移魔法だけだ。


 それらが使えたところでなんの意味もない。


 進路も何も決まっていない俺に、

 姉の姿はまぶしすぎた。


 知らず強く握りしめていた魔法のペンで、

 机の片隅に転移魔法陣を描く。


「先生、おなかが痛いんで帰ります」


 うそだ。


 適当に河原とか山に行く。


 まだ一限目だが、今日はもうサボる。


 魔法陣に少しだけ魔力を注いだ。


 魔法が起動したのを確認して、

 タブレットを四次元カバンに放り込む。


 席を立った。


「アル? アル・ディーバイン! 待ちなさい!」

「うるさいな。先生には関係ないだろ」

「早く逃げて!」


 近くにいた生徒たちが俺の方を見て、

 高い悲鳴を上げながら逃げ出した。


 そういえば硫黄の匂いがする。


 座標を間違えて温泉にでも――。


「アル! 後ろ!」


 姉が悲痛そうな声を上げるのと、

 体をつかまれたのは同時だった。


 大きく鋭い鉤爪の生えた黒い何かが、

 俺の体をつかんでいる。


 体が浮いた。


 背中に硬いものがあたる。

 

 姉が裏返った声で俺の名を呼ぶ。


 体が後ろへと引かれる。


 音も光も消え、視界が暗くなった。

 魔力がゼロになったのか、

 強烈な疲労が襲ってくる。


「姉さん、皆? 誰か……」


 俺は何を呼び出し、どこに来たのか。


 確認する前に解放され、体が硬い物の上へと投げ出された。

 暗い。


 痛い。


 寒い。


 口の中を切ったのか、

 血の味がした。


 血が耳の中で、ごうごう鳴ってる音がする。


 顔や体が激しく痛み、

 ぬれた感触が広がっていく。


 出血しているらしい。


 回復魔法は専門外だ。


 こんなことになるなら、きちんと勉強しておくべきだった。


「■■■■■■■■」


 誰かの声がする。


 暗闇に大きさも明るさもバラバラの照明が出現した。


 岩肌が見える。


 光源が少ないのか天井が高すぎるのか不明だが、

 上は見えない。


 顔のそばに照明がひとつ、

 落ちてくる。


 視線の先に四次元カバンが落ちていた。


 痛む腕は変な方向に曲がっていて、

 動きそうにない。


 熱源も兼ねているのか、

 顔が熱くなってきた。


「■■■■■」


 謎の声が、なにか言っている。


 うまく聞き取れない。 


 視界に星が散る。


 失血で気が遠くなりかけたところに、

 小さな竜が歩いてくる。


 赤いウロコにおおわれた、

 小型の竜だ。


 漫画に出てくるような、

 かわいい顔を近づけてくる。


 竜は生態系の頂点に君臨する王者だ。

 小さいとはいえ、

 俺をむさぼり食うことなど、

 簡単だろう。


「俺も死ぬのか。父さん、母さん……」


 成竜が飛行機にじゃれついて、

 俺の両親を含めた乗客乗員の全員が亡くなった事故は、

 世界三大竜災害と呼ばれていた。


「■■■」


 いやだ、いやだいやだいやだ。


 まだ死にたくない。


「食べないで」


 竜に地球の共通語なんてわからないだろう。


 ボディ・ランゲージだって理解できるとは思えない。


 どうにかして竜との距離を稼ぎたかったが、

 指先のひとつも動きそうになかった。


「■■■■■」

「誰か。姉さん……」

「えっと、照会完了。ねぇねぇ。僕の言葉、わかる?」

「地球語を話せるのか?」

「わぁい! 話せた!」


 竜は背中の羽を羽ばたかせ、その場で走り回った。


 この子が翻訳魔法を使ったのか。


「痛そう。お兄ちゃん、回復魔法は使わないの?」

「覚えてない」

「えぇっ、お母さんに習わなかったの?」

「そうだ」


 説明するのも面倒だった。


 血を流しすぎた。


 体の震えが止まらない。


「僕が治してあげるね」


 高い笛のような鳴き声が洞窟に反響した。


 もうどこも痛くない。


 顔も腕も足も、元通りだった。


「どう? 治った?」


 時間をかけて起き上がり、

 慎重に体を動かす。


 失血によるめまいはあるものの、

 痛みは完全に引いている。


「すごいな。ありがとう。助かったよ」

「えへへっ、どういたしまして!」


 地面を見ると血だまりができていた。


 顔や服も砂と血で汚れているが、

 さっきよりマシだ。


 汚れをふこうとして取り出したハンカチは血に染まっていた。


 見なかったことにしよう。


「なにかお礼を」

「大丈夫。強き者は施すべしって、お父さんが言ってた」


 強いらしい。


 まあ人語が話せる竜なら知能も高いだろうな。


 遠くに落ちていた四次元カバンを拾う。


 胸元のポケットを確認する。


 魔法のペンもある。


「それで、それでさ。お兄ちゃんはどこから来たの?」

「日本の九州って所にいたんだ。ここがどこなのか、分からなくて困っている」

「ここはレルパシアン大陸の端っこだよ」

「うーん。聞いたことがないな」


 四次元カバンからタブレットを取り出し、

 地図アプリを起動する。


 現在地は参照できなかった。


 代わりに地球の世界地図を表示させ、

 親切な竜に見せる。


「知っている地形があったら教えてほしい」

「全然分かんない!」

「そうか。ありがとう」

「どういたしまして、迷子のお兄ちゃん」


 タブレットの電源を落とし、

 カバンに戻す。


 ここにいても進展はなさそうだ。


 どうにかして帰る方法を見つけないと。


 静かに立ち上がる。


 竜は当然のように先導し始めた。


「近くの村まで連れて行ってあげる」

「ありがとう」


 この竜は信用していいかもしれない。


 俺を気にしているのか、

 三歩に一回は振り返り、

 追いつくのを待っていた。


「お兄ちゃん、光る地図を持ってるなんてすごいね!」

「お兄ちゃんか。なんだかくすぐったいな。俺はアルって言うんだ。君は?」

「僕はリューディガーだよ」

「そうか。よろしくな」


 ここは彼が最近になって見つけた洞窟らしい。


 彼は話すのが好きらしく、

 いろいろなことを聞かせてくれる。


 将来のこと、亡くなった両親のこと、

 さまざまなものに興味があること。


 歩いていくうちに、

 岩肌がむき出しで殺風景だった地面に苔と草が増えていく。


 風が出てきた。


 明るさが増していく。


「こっちだよ、アル!」

「おぉ、まぶしい……」


 洞窟の出口からは、紫の空や白い雲が確認できた。


 ここは森の中らしく、木々も見える。


 近くに馬でもいるのか、いななきが聞こえた。


 リューディガーと一緒に光があふれる外へ出る。


 何かが烈風とともに目の前を横切った。


 顔に熱い痛みが走る。


「アル!」

「は? えっ、なんだ?」

「こら! トモダチに何するんだよぅ!」


 リューディガーが右側に向かって叫んだ。


 顔を右に動かす。


 驚いたような顔をしている、

 青髪のお兄さんがいた。


 驚いたのはこっちだよ。


 お兄さんは左側面の髪だけ三編みにしていた。


 槍を構えている。


 歴史の教科書で見たような、

 もしくは漫画にありそうな、

 黒くて武骨な鎧を着ていた。


 強そうだ、というのが第一印象だ。


「■■■■■■■■■」


 左手から女性の声がした。

 振り向く。


 こちらにはお姉さんが立っていた。


 明るい茶色のセミロングヘアは艶があった。


 地球の童話に出てくる魔女がかぶるような、

 黒い帽子を着用していた。


 黒を基調としたオシャレなスカートが、

 そよ風を受けてゆれる。


 二人は顔見知りなのか、

 俺たちから距離を取り、

 なにやら小声で始めた。


「アル、痛くない?」

「平気だよ」

「ごめん、僕まだ子供だから、回復魔法は連発できなくって」


 元気を絵に描いたリューディガーにも、

 悩みはあるらしい。


 二人組の話し合いは終わったのか、

 女性の方が優しい表情で近づいてくる。


 赤色の瞳が俺を見た。


「■■■」


 彼女は短い言葉を発した。


 指先から光がほとばしった緑の光が視界を覆い、

 そして消えた。


 顔の痛みが消失する。


 彼女は清潔そうなハンカチを差し出してくる。


 何か言うと自分の顔を指し示した。


 なおもハンカチを差し出してくる。


「リューディガー、彼らの言葉は分かるのか? よければ通訳してほしい」

「照会完了。えっとね、謝ってる。このハンカチを使って、だって」


 確かに傷は治ったみたいだけど、

 血の匂いがしていい気分じゃない。


 俺のハンカチは血と砂にまみれているし、

 ここは大人しく借りておこう。


 受け取ったハンカチは上品なヒノキの香りがした。


 顔をふく。


 二人組が俺に頭を下げてくる。


「■■■■■■」


 お兄さんが槍を地面に突き立てて口を開く。


 リューディガーが俺と二人組の間に割って入った。


 羽を上下に勢いよく動かしている。


 リューディガーが「はぁ?」と大声を出した。


「■■■■アル■■■■■■■」

「リューディガー、どうしたんだ」

「今ね、この人たちに怒ってるんだよ。あのね、君を化け物と勘違いしたって言ってる! 魔力量で判断するなんて、ひどい話だよねぇ!」


 リューディガーは、ひとりで怒りのボルテージを上げているらしい。


「うーん。俺は言葉が分からないからなぁ。治してくれたし、お礼もされたし、いいんじゃないか?」

「んもぅ! 君は優しすぎるよ! 僕ならパヨヨポヨヨを1カ月分は要求する!」

「そうなのか」


 パヨヨポヨヨってなんだろう。


 お姉さんは血で汚れたハンカチを受け取ると、

 軽く息をふきかける。


 それだけで付着していた血液が蒸発した。


 彼女は地球で言う魔法使いに近いのかもしれない。


「ねぇ、アル! この人たちがお礼に村まで連れて行ってくれるって!」

「そうなのか? 助かる。リューディガー。君はどうするんだ?」

「僕も来ていいって言ってる」

「■■■■■■」


 お兄さんが俺たちに手招きする。


 彼は白い馬の手綱を引いていた。


 馬の背中には、くらがついていて、大きな羽が生えている。


 ペガサス――いわゆる幻想生物――という類の生き物だ。


 初めて見た。


 まだ地球には存在しない種族だ。


「■■■」


 なにか言うと、馬を指さされた。


 乗れと言うことなのか。


 馬なんて乗ったことがないぞ。


 この部分に足をかければいいのか……?


 お兄さんが軽やかな動作で馬に乗る。


 手を差し出してきた。


 馬の横でまごついている俺を見かねたのだろう。


「失礼します」


 手を取ると、すごい力で持ち上げられた。


 そのままくらに乗せられる。


 なんという怪力。


 俺と馬の間へ、横倒しになった槍が通された。


 後ろを振り返る。


 お兄さんの、髪の色と同じ青い目が少しだけ細められた。


「■■」


 彼は柔らかい表情でなにか言うと、

 俺の手を握って槍のところへ持っていく。


 握っていろ、ということらしい。


 カバンをどうしようか思案していると、

 お兄さんの手がさらっていった。


 持ってくれるようだ。


 自由になった両手で槍を握る。


 両手のすぐ近くにお兄さんの手もあった。


 手綱は握らなくて大丈夫なのだろうか。


「アル! 出発するらしいよ!」


 隣を見ると、リューディガーがお姉さんに抱きかかえられていた。


 うらやましい。

 お姉さんはどこから取り出したのか、

 ほうきに横座りしている。


 馬がいななくと、走り出し――空中へと駆け上がる。


「うおっ……」


 眼下の森は、あっという間に足元へ広がっていく。


 俺たちが遠ざかっていると言ったほうが正しいのか。


 いや、下を見るのは止めよう。


 風の音に混じって「ひゃっほーー!!」と、

 リューディガーがはしゃぐ声が聞こえてきた。


「風が気持ちいいねぇ! アルはどう?」

「そうだな。さわやかな風が吹いてると思うよ」

「そっか。よかったぁ」


 三人と一体の空の旅。


 丘をこえると、茶色の木々に囲まれた居住区が見えてくる。


 規模からしてそんなに大きな地区ではないようだ。


 なんだろう、木が生き生きとしている。


 この世界のことは何も分からないけど、

 あの一帯は魔力が豊富に流れているようだ。


「■■■■」


 お兄さんが背後で何かつぶやくと、

 高度がゆるやかに下がり始めた。


 エレベーターで下の階に行くときの、

 あの感じを思い出して体がこわばる。


 目をつぶって……駄目だ、

 逆に五感が研ぎ澄まされる。


 いや目を開けてる方が怖いな。


 目を閉じたり開いたりしているうちに、

 目的地についたらしい。


 大勢の人が俺たちを取り囲んでいた。


 言葉は相変わらず聞き取れない。


「どうしたの、アル。顔が真っ白だよ」

「いや、ちょっと……」

「酔っちゃった?」

「まあな」


 お兄さんが地面に降り立つ。


 俺の手から槍をそっと引き抜いた。


 そしてさっきと同じように手を差し出してくる。


 体がガチガチに固まっていて、

 うまく動かせない。


 人目もある。


 うまく、うまくやらないと。


 あれ、俺はこんなことで頭が真っ白になるタイプだったろうか。


 視界がぐるぐるしてきた。


 胃から熱いものが上がってくるのを、深呼吸して飲み下す。


「■■■■■」


 人混みが割れる。


 馬に乗った状態の俺よりも目線が頭二つ分は高い、

 筋肉がムキムキのおじさんが群衆の中から進み出てきた。


 日焼けしたのか、肌は黒光りしている。


 脇の下に手を回され、

 持ち上げられる。


 地面に足がつく。


 体から力が抜けて、そのまま膝をつく。


 体の震えが止まらない。


「■■■■」


 お姉さんが木の容器と木製のスプーンを差し出してきた。


 オレンジ色のどろりとしたナニカが入っている。


 見た目に反して、匂いは洋梨のようにさわやかだ。


「■■■■■■■■■」


 おじさんの声がして、集まっていた人の気配が遠のいていく。


「アル、食べられそう?」

「……分からない」

「気分が良くなるから、少しでも食べてってハルディンが言ってるよ」


 固有名詞だと誰なのか分からない。


 お兄さんかお姉さんのどちらかだろうか。


 そういえば、まだ名前も知らない。


「■■■」


 お姉さんが食べ物をすくったスプーンを差し出してくる。


 十六歳にもなって、看病されるのは恥ずかしい。


 自力で食べようにも、

 腕が震えて使い物にならなかった。


 観念して口を開ける。


 とろみのある半固形物をゆっくりかんで、

 飲み込む。


 鼻に抜ける香りが吐き気を軽減していった。


 これからどうするのか。


 日本に帰れるのか。


 姉さんは心配しているのだろうか。


 あの黒い禍々しい手はなんだったのか。


「……っ、う」


 地面が涙でにじんでいく。


 硬いなにかが背中をさする。


 視界の端に黒い鎧が見えた。


 お兄さんらしい。


 あまり話す人ではないみたいだけど、

 気遣いのできる、

 いい人だ。


 お姉さんもきめ細やかなフォローをしてくれる。


 ふたりとも、とても優しい。


「■■」


 柔らかい言葉とともに顔を持ち上げられ、

 オレンジ色の療養食で口の端をつつかれた。


 訂正。


 お姉さんは基本的に笑顔のすてきな美女だが、

 少し気が強そうだ。


 俺は有無を言わさぬ圧力に気圧され、

 食器の中身を食べ終わるまで食事の介助をされた。

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