第3話 ケール教の危機

 ハクサ族の討伐が終わると、ハクサ教はラーマの敵として迫害の対象となる。ラーマの首都ポロネースにあったハクサ教の教会は接収され、中にあった財物はすべて持ち去られラーマの国庫に納められた。


 それを一番喜んだのはケール教であったが、ハクサ教と同じ聖典を基にしていたため、事情を知らないラーマの有力者たちからは疑いの目で見られていた。


「ハクサ教から派生したケール教もラーマの敵として討つべきだ。」

「待て待て、ハクサ族の討伐のための資金や物資を提供してくれたのはケール教だぞ。無碍むげに扱うわけにはいくまい。」

「そのケール教が反乱を起こしたらどうなると思う。先手を打って叩くべきだ。」


 ラーマ共和国の元老院では国を動かす有力議員たちが、大規模な反乱を企てたハクサ族の教義を根こそぎ根絶しようという動きが出ていた。



「困ったことになりましたな。」

 元老院の強硬な姿勢を伝え聞いたラーマの首都近辺を管轄する立場にあるケール教のタートン司教は腕を組んで考え込んでいた。


「ハクサ教のように抵抗の意志を示せば、いずれ根絶されるのは目に見えています。平和裏にことを進めていくしかないでしょうね。」

 集まっていた司祭の者たちも頭を抱えていた。


「とにかく、街に広場に立ってハクサ教とは違うということをラーマ市民たちに語りかけましょう。乱暴されても決して反抗しないこと。たとえ死に至る大怪我を負わされても、それは神の試練として耐え抜くのです。」


 その日から、死を覚悟した狂信者たちは街の広場に出て説法を始めた。


 最初の内は罵声を浴びせられ、石を投げられたりいきなり暴力を振るわれたりもした。しかし、司祭たちを筆頭にケール教徒たちはひたすら耐え抜いた。


「おい、大丈夫か。くそう、ラーマの野蛮人どもめ。」

 司祭は頭に石の直撃を食らって倒れ込む教徒を抱えて叫ぶ。


「司祭様お待ちください。これこそが神の試練です。私はいま試されているのです。司祭様はご自分の責務を全うしてください。私たちが体を張ってお守りいたします。」

 男はそういうと気を失って運ばれていった。


 かつて、ハクサ教会を襲って火をつけるような、激しく戦う者たちの面影はなかった。

 教徒たちは一丸となり、ひたすらラーマ市民たちの誤解を解こうと懸命に語りかけ続けたのだ。



 数か月後も経った頃。広場にいるケール教徒たちに罵声を浴びせる者たちはいなくなった。

 ケール教の信者たちがラーマへの敵意が無いと知った市民たちは、積極的にケール教の神々の物語に耳を傾け、一つの娯楽として話を聞くようになっていた。


「・・・神はひとを楽園の庭からから追放し、二人の人間を地上に住まわせたのです。」

 司祭の一人が広場での説話を終えるとヤジが飛ぶ。


「おいおい、そこはおもしれぇとこなんだからもっと感情的に話せや。」

「何の呪文か知らねぇが、淡々と語られても心に響かねぇぞ。」

「ヘタクソォー、最初からやり直せ。」


 エールを片手に酔っぱらった中年男たちが罵声を浴びせ始める。と、講話をしていた司祭は涙ぐむ。


「な、なんでぇ。腹が減ったのなら何か食ってからでいいぞ。」

「お前らが汚ねぇヤジ飛ばすから泣かせたんだろ。謝ってやれよ。」

「おう、なんならこの肉でも食うか。」

「のどが渇いたのならエールぐれぇ奢るぞ。」


 若い者や女たちが思い思いの姿勢で地面に寝そべったり、座ったりしながら話を聞いていた人々は司祭たちの様子を気遣う。


「いえ違うのです。私たちは話を聞いていただけるようになってうれしいのです。」


 数ヶ月前は、ハクサ教に引き続き、ケール教徒たちも迫害の対象になると覚悟はしていた。しかし、司祭たちが積極的にラーマの市民たちに語りかけるようになると、ケール教信者たちに対する扱いが軽減されているのを肌で感じていた。


 ラーマ共和国にもラーマの神々の神話が存在し、人間味あふれる物語はある。それらの物語は羊皮紙などに書き写され数多く出回っていた。

 また、闘技場や観劇場なども存在するが、貧民や奴隷たちが気軽に入れるような場所ではなかった。

 そして、一般の市民たちが羊皮紙などに書籍化された本を手にする機会はなく、手に入れたとしても文字を読むことはできず、娯楽を楽しむ機会はほとんどなかった。


 ラーマは市民たちに娯楽を提供する努力はしていた。だがそれは、ごく一部の貴族たちだけの楽しみであり、今を生きることに必死な貧民市民や奴隷や女たちには届いていなかったのだ。

 

 広場に出たケール教徒たちは聖典に書かれている物語や故事を話しているにすぎなかった。広場に行けば、必ずケール教の伝道者たちが説法をおこなっていた。そのことが生きることの意味を考えさせ、娯楽に飢えていた者たちをとりこにしていった。


 とくに、多かったのは弱い立場にある貧民市民と奴隷や女たちであった。

 運命に恵まれず、屈辱とも呼べる立場を甘受しなければならない彼らには、ケール教の弱者救済のような思想が受け入れられた。


 そしてそれは、好奇心旺盛なラーマ市民たちの流行ともなっていた。


 時間とともに元老院議員内では、ケール教の粛正を強く主張する者がいなくなっていた。

 民族を問わず、多くの信者を獲得しているケール教は、豊富な資金力にものを言わせ、強硬派の元老院議員たちを買収したのだった。


 なんでも金で解決できるラーマでは、ケール教への敵意さえも買うことができたのだった。


〇 〇 〇 ラーマの神々を奉る神殿の動きと殉教者


 数年後、ケール教は躍進の時代を迎えていた。

 ケール教には多くの信者たちが入信し、週に一度の教会での説法に参加していた。信者が増えれば多くの資金が集まり、その資金を元手に次々とケール教の教会が建てられていった。



 週に一度の教会の集まりには、多くの者たちが話を聞きに集まっていた。それを快く思わないのがラーマの神殿勢力だ。

 彼らも黙って神殿の衰退を見守っていたわけではなかった。


「お前たち教会の様子をみたことはあるか。これからの時代はラーマ市民だけでなく、解放奴隷や奴隷たちのためにも尽力する必要があるのだ。」


「何を血迷ったことを言っているのですか。ラーマの神殿はラーマの市民たちの者です。奴隷などのために尽力する義理はありません。」


「そうだ。われらは今まで通り、今まで通りの伝統を守り続ければ良いだけだ。」


「余計なことをするべきではないのだ。」


 神殿に携わるほとんどの者たちは今の心地よい生活を変えるつもりはなかった。多くの普通の者たちは、時代が変わりつつあるときにあってもその生活が永遠に続くものと考える。


 それでも、世俗の移り変わりを受け、乱暴な主人を持った奴隷たちが神殿に逃げ込む権利などが認められるようにはなったが、硬直化した制度下で大きく変わったことと言えばその程度のことなのだ。



「そうではない。伝統とは時代に合わせてもっと変えていかなければならないものなのだ。今やラーマはラーマ市民たちのためのものだけでなく、ラーマに住むすべての者たちのためのものなのだ。もう古い考えは捨てなければならないときがきているのだ。」


 この時代、このような考え方をできる者がどれほどいただろうか。もしいたとしても、それは世迷言として無視されたのは言うまでもない。それだけ、利権に群がって生活している者たちの目は曇っている。


 そう言った者たちの次の行動は、出る杭を打つことだけだ。



「誇りあるラーマの神々の祭典への協力どころか出席さえを拒否する公職者も出始めていると聞く。公職を追放するだけではなく、見せしめのために処刑するべきだ。」


 人は調子が出てくるとすぐに頭に乗る生き物だ。躍進を続けるケール教側にも問題行動が出るようになった。

 年に数度の国を挙げてのラーマの祭りの日に、ケール教の信徒たちは協力を拒否する行動にでるようになっていた。


 元老院は公職に就いていたケール教信者を公職から追放し、見せしめのためにケール教の司教たちを捕らえ処刑することもあった。

 この頃には、ケール教はラーマの底辺層に深く浸透していて、もはやケール教はラーマの潮流として根付いていたのだ。


 その処刑のようすは信者たちの手によって事細かに書き記された。恨むためではなく殉教者として。


〇 〇 〇 平和の享受


 時代は変わり、政治的な混乱と内戦による不安定な共和政から秩序と安定をもたらすための帝政に移行していた。国を平和的に統治するための権力の掌握と、一部の元老院議員たちに私物化されていた属州の支配と命令権を皇帝のもとに集めたのだ。


 政治的な権力を手中にした皇帝は政治改革に乗り出した。

 これにより、強い神の下で、気合と根性で国を維持する時代は終わり、官僚組織が整備され、それを支える騎士階級が行政組織を支えるようになっていた。


 平和になったローマ帝国内で、改善された交通と通信のおかげでケール教は発展し広まっていた。


 ラーマの神々は一段と神聖化され庶民の手の届かないところにあったが、ケール教は専門の伝道者たちの手により多くの市民たちの日常に溶け込んでいた。


 この時代、多くの旅人や哲学者たちがラーマ帝国内を遊行していた。同時に、多くのケール教伝道師たちも都市から都市へと旅をしていた。伝道師たちはなにももたず、各都市のケール教徒たちに生活の支えを頼りながら旅をしていた。

 各都市のケール教徒たちは、他からやってきた伝道者と称する者が真の使徒か、いかがわしい哲学者なのか区別はつかなかった。

 そもそも、古代の時代においては、哲学と宗教の境目がはっきりしていなかった節もある。


 「ケールの名の下によってくる旅人は迎え入れよ。三日以上なにもしないで泊っていたら偽物とみて注意せよ。」


 各地のケール教ではそう伝えられていたが、はっきり偽物とわからない限り、そう簡単に追い出せるものではなかったようだ。


 旅人に中には地母神礼拝者の集団も出現していた。彼らは徒党を組んでシンバル・タンバリン・カスタネットや笛で楽を奏し、村に着くと礼拝をおこなう。

 奇妙な衣装と顔にははげしく色を塗り、恍惚状態になって踊り、自分の罪を告白してみずからの体を打ち傷をつける。中には予言めいたことを語る者もいた。


 新しい宗派か、ただの集団ヒステリーかはわからないが、そのような時代だったのだ。


〇 〇 〇 信仰の迷走


 平和が長いたある日、時の皇帝が全国民に神々への祭儀を命令する。


 帝国内にはいろいろな商況が存在しており、ケール教の信徒たちもそれを拒否する。皇帝の命により拒否した者は迫害の対象とされ、ケール教徒の中にも迫害の対象者が出る。

 だが、迫害の対象は膨大な数に上った。ケール教徒だけではなく多くの者が捕らえられ、強情な者たちはむごたらしく殉教していった。


 それだけ、ラーマの神々への信仰は凋落し、新しい宗教の勃興が激しく増えていた。だが、多くの宗教では、トップが私腹を肥やすだけのものが多かった。



 繁栄を謳歌おうかし文化が繁栄するラーマ帝国では、新しい思想、他民族や奴隷も含めた万民に共通する理念が求められていた。

 部族限定のような伝統的な宗教ではなく、すべての階級、すべての人々に生きるための希望を見出すための思想。共同体、交わり、平等を兼ね備えたものとして、ケール教がラーマの人々の心をとらえていった。


「さあ、今日も炊き出しをしてから辻説法に向かいましょう。」


 ケール教の教徒たちはみな貧しかったが生き生きと働いていた。

 ハクサ教徒たちと戦っていた頃の暴力的な宗教の面影はなく、他の平均的な者たちより倫理的な生活を守り、奇妙に見える熱心な信仰生活を送る宗教へと変貌していた。


 その後、ケール教徒の皇帝により国教としての立場を確立することになるが、それはまた別のお話。

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ジハード--信徒たちの戦い=信仰の努力--短編全3話 白山天狗 @hakusan-tengu

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