後編 ナリマチマリナ
「前編面白かったよな。後編もまた二人で見に行こうな」
繁華街をデート中。街頭ビジョンに現在公開中のハリウッドのアクション映画【ギルドスターズ前編】の予告映像が流れたのを見て、牧人のテンションを上げるが、マリナはそのノリについていけなかった。
「牧人、何か勘違いしてない。ギルドスターズを見に行こうって約束はしたけど、予定が合わなくてまだ見れてないでしょう?」
「マリナこそ勘違いしてないか? 日曜に二人でギルドスターズ見に行っただろう。お揃いでグッズのキーホルダーも買ったし」
「何の話? 日曜は私が家族で出かけたから遊べなかったでしょう」
「お父さんの急用で予定が無くなったからって、午後から二人で映画館に行っただろう。ほら、その時の写真」
「嘘でしょう……」
全身に悪寒を感じた。映画のポスターの前で自撮りをする牧人と連れの女性。角度と帽子で表情までは読み取れないが、それはマリナ本人が見ても自分としか思えぬ存在であった。だけど、あの日は間違いなく家族と遠出をしていて、牧人とは一緒に過ごしていない。これは成町マリナではなく【ナリマチマリナ】だ。
「……牧人。何も気づかなかったの?」
恐怖と同時に、自分と【ナリマチマリナ】の区別がつかなかった牧人に激しい憤りを感じた。一緒に映画を楽しみ、お揃いのキーホルダーを買って、仲良さげに記念写真を取って。自分そっくりな存在に笑顔を見せる牧人を想像するだけで気分が悪い。
「その日、牧人と一緒にいたのは私じゃない。【ナリマチマリナ】だよ!」
「落ち着けよ。成町マリナは君だろう?」
「そういう意味じゃない! 前に話した私に成りすましている女の方!」
「マ、マリナ。落ち着いて」
街頭だということも忘れ、マリナは感情的に声を張り上げた。痴話喧嘩かと、居合わせた通行人からも奇異の目が向けられる。余裕のないマリナとは違い、牧人は周囲からの視線にバツの悪そうな表情を浮かべていた。
「僕が君を他人と間違えるはずがないだろう。何かの冗談だったなら正直引くよ。周りの視線も痛いし」
「今の私が冗談言っているように見える? 親友の寧音も騙された。牧人もあいつに騙されてるんだよ」
「どうしたんだよマリナ。今日の君はおかしいよ」
「私はおかしくない。おかしいのは私と偽物の区別もつかないあんたの方でしょう!」
「だから意味が分からないよ。一緒に映画を見に行ったマリナは君だよ。胸元のほくろだって」
おぞましい寒気に、激情も一気に冷え込む。
「……何で知っているの? まだ見せてないよね」
「いやだから、映画終わりに良い雰囲気になって僕の家――」
聞き終える前に、マリナは感情的に牧人の頬を叩いていた。
「ふざけんじゃないわよ!」
もう何も信じられない。理解が追いつかずにオドオドしている牧人をその場に残し、マリナは逃げるように立ち去った。
※※※
「……今度は何よ」
スマホの通知が鳴った。また【ナリマチマリナ】が何かをやらかしたのかと、うんざりした様子でスマホを開く。
『マリナ。今日は夕方からバーベキューするから早く帰って来るのよ。あんたってば忘れっぽいから念のため』
連絡はママからだった。そういえば今日はご近所さんとバーベキューをする予定だった。シンプルだけど、ママからのメッセージは今のマリナの心に染みた。親友も恋人も偽物に取られた。だけど、血の繋がった家族の絆だけは決して裏切らない。家族の元へ帰ろうとマリナは決めた。
「ダイエット中だっただけど、今日はたくさん食べよう」
家路につくのがこんなに愛おしいのは何年振りだろう。年頃で感情的に親に反発しちゃう時もあったけど、これからはもっと優しくしよう。
家の前までやってくると、庭先から煙が上がり、すでにバーベキューの火入れが始まっていた。直ぐに帰って来るんだから少し待っていてくれればいいのにと、せっかちな家族にマリナは苦笑する。
「パパ、追加のお野菜切ってきたよ」
庭で火加減を調整するパパに対して、家のベランダから自分そっくりな声が聞こえてきた。驚きのあまり家の敷地に入るのを躊躇い、陰に隠れてしまった。
――マリナは私よ。私はまだ家に帰ってない。今家にいるのはあいつ……。
偽物のナリマチマリナ以外には考えられない。友人や恋人だけではなく、ついに成町家にも浸食を始めたのである。
「せっかくお休みに家族サービスしてくれてありがとう。後で肩揉んであげるね」
「ありがとうマリナ。今日はなんだか優しいな」
――パパ……普段はそんな優しそうな顔なんてしないくせに。
思春期特有の空気感で、マリナとパパは理由もなく気まずい雰囲気となっており、お互いにぎこちない態度が続いている。それなのに今のパパは、偽物の娘に心を開いている。
「マリナ。こっち手伝ってくれる?」
「はーい。今行くね」
ママの声色も普段よりも明るい。積極的に手伝ってくれる娘に気をよくしている印象だ。
両親は何の疑問も抱かず、偽物の娘からの心遣いを享受し、気をよくしている。まるで普段の自分を否定されているようで、物陰から様子を伺うマリナの心が乱れる。
「……何で偽物がそこにいるのよ。何で本物の私が物陰に潜んでるのよ」
どす黒い感情が思わず喉を衝く。内容は聞き取れずとも、何かが聞こえたことは成町家にも届いていた。
「何か聞こえたか?」
「ちょっと見てくるね」
偽物のナリマチマリナが、ベランダからサンダルに履き替えて外に出ようとした。
――まずい。逃げなきゃ!
あいつと直接顔を合わせたら、何か良くないことが起きそうな気がする。生物的な本能が働き、マリナは自宅前から逃げるように立ち去った。
「……本物は私なのに。どうして私が逃げなくちゃいけないのよ」
悔しさと偽物に対する怒りが混濁し、逃げるマリナの顔は涙と鼻水でグチャグチャだった。
※※※
「やっほー。マリナ」
公園のベンチで項垂れていたマリナに誰かが声をかけた。その瞬間、マリナは全身が粟立つような生理的嫌悪感を覚えた。存在してはいけない存在に声をかけられている。だけど、いつまでも逃げ続けるわけにはいかない。マリナは意を決して顔を上げた。
「あなた、私の偽物ね」
鏡を見ているようだった。容姿や着ている服はもちろん、髪形やメイクの癖。何から何まで自分の丸写しだ。
「偽物は心外だな。私は成町マリナだよ」
「違う。成町マリナは私だ」
「私も成町マリナ。あなたも成町マリナ。偽物も本物もない。それでいいじゃない」
「良くない。私は最初から存在していた成町マリナで、あんたは後からしゃしゃり出て来た偽物よ」
「強欲だね。そんなにもたった一人の成町マリナに拘るの?」
「強欲はあんたでしょう。私の生活を乗っ取ろうとして!」
「成町マリナが成町マリナの生活を送ってどこが悪いの?」
「あんたは成町マリナじゃない!」
「私は成町マリナだよ。パパもママも私をマリナと呼んでくれる。寧音は私と笑顔で手を繋いでくれる。牧人は耳元で愛を囁いてくれる。私が成町マリナでないなら一体何なの?」
「お前……」
自分の知らない牧人を知っている偽物に、マリナは何よりも腹が立った。ベンチから立ち上がり、感情的に頬を張りそうになったが、すんでのところで手が止まる。
「叩けるはずないよね。これは私の顔だもの。成町マリナの顔が傷つくのは、成町マリナは絶対に許せない」
「……何で手が止まるのよ」
手を出した感覚はあった。それなのに急ブレーキがかかる。目の前の相手が成町マリナだなんて絶対に認められないはずなのに。
「私は、成町マリナは周りの人達に愛されている。あなたの方こそ私の偽物なんじゃないの?」
「そんなわけ!」
「さっき家の前にいたよね。あんなに楽しそうなパパとママなんて久しぶりに見たでしょう? 寧音ともしっかりと仲直りして、友情はより強固になった。牧人とはもう、あなた以上に繋がっている。成町マリナの世界は平和に回っているんだよ。あなたの存在こそが不要だとは思わない?」
「黙れ! 本物は私だ! 偽物はこの世界から消えろ!」
マリナは感情的に叫んだが、マリナは不敵に笑った。
「そうだね。それじゃあ、消えなよ」
「えっ?」
マリナは世界が歪むのを感じていた。違う。歪んでいるのは世界ではなく自分の方だ。存在が螺旋の渦に飲まれて、捩じれていくような浮遊感。
「この世界は私こそが本物の成町マリナだと定義した。だから偽物のあんたは消える。ただそれだけの話だよ」
「……どうして、本物は私なのに」
「あんたは私を叩けなかった。より輝いて見える私こそ本物なのではと、自分が本物だって自覚を一瞬でも忘れてしまったんだよ。どっちが最初から存在していたかなんて関係ない。本物か偽物かの定義なんて、自分の気持ち一つなんだから」
「そんなはず……」
頬を張れなかったことを後悔しても時すでに遅し。この世界はすでに成町マリナの偽物を排除すべく起動している。捩じれた体が螺旋の中心に飲み込まれていく。マリナの体はすでに原型を留めていない。
「……嫌よ。消えたく――」
「成町マリナは消えないよ。何も変わらない。むしろ私の方がもっと魅力的かもしれない。世界は何時だって平穏無事だよ」
断末魔一つ残せず、成町マリナの偽物は螺旋に飲まれて消滅した。元居た場所には何の痕跡も残されていない。否、そもそも偽物など存在していたのだろうか? 過去も現在も未来も、成町マリナはこの世界に存在し続けているのだから。
了
ダブルキャスト 湖城マコト @makoto3
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