ダブルキャスト

湖城マコト

前編 成町マリナ

「マリナ。昨日の午後、静岡のアウトレットモールにいなかった?」


 都立高校に通う成町なりまちマリナに起きた最初の異変は、日曜日に家族で静岡に遊びに行っていた友人の寧音ねねが切り出した目撃証言からだった。


「何の話? 昨日は牧人とデートでずっとこっちにいたよ」


 証拠に、恋人の時松牧人ときまつまきととのデート中に撮影した写真を数枚スマホに表示する。撮影日は昨日の日曜日。定期的に写真を取っていたので時間帯も午前十時から午後五時までと幅広い。日曜日の午後に静岡で目撃されるのは物理的に不可能だし、そもそも心当たりがない。


「アリバイ確認に、お熱いもの見せつけてくれちゃいますね。だったら、やっぱりあれは他人の空似か」

「そう思いながも確認してきたってことは、よっぽどそっくりだったんだね」


 寧々とは小学生の頃からの付き合いだ。そんな寧々が混乱するのだから、静岡のそっくりさんは物凄い完成度だったに違いない。


「顔はもちろん、身長やスタイルもほぼ同じで、髪もマリナと同じブラウン系でハーフアップ。極めつけはそっくりさんの着てた服。先々週に二人で古着屋で行った時、マリナはレトロな花柄のブラウスを買ったでしょう。まったく同じ柄のブラウスを着てたの」

「凄い偶然。そんなこともあるんだね」


 顔や体格、髪形までなら偶然似ることもあるかもしれないが、マリナが何よりも驚いたのは服装の一致だった。有名ブランドや全国展開しているショップの商品ならば他の人と被ることも十分あり得るが、古着屋で購入した衣服はほぼ一点物だ。そこまで一致するというのはかなりの低確率に思えた。似ていたのは間違いないだろうが、あくまでも寧音の主観なので、実際には細部のデザインは異なっているのかもしれない。


「世の中には自分そっくりな人間が三人いるなんて言うけどさ。あれは間違いなくマリナにとってのそれだね」

「何だか不気味。いわゆるドッペルゲンガーって不吉な存在なんでしょう?」

「出会ったのは私だしノーカンでしょう。そもそもドッペルゲンガーなんてないない。他人の空似だって」

「分かってるって。ちょっと想像しちゃっただけ」


 マリナとてそこまで深刻に恐れているわけではない。そこまでそっくりな人間がこの世に存在するのなら、むしろ一度お目にかかりたいぐらいである。


「ホームルームを始めますよ。席についてください」


 担任教師が教室にやってきたので、寧音も話題を切り上げて自分の席へと戻っていった。


 ※※※


 そっくりさんの目撃情報から二週間が経った頃。

 そのこともすっかり忘れていたマリナの周辺では新たな変化が起き始めていた。


『SNSを始めるなら早く言ってよね。早速フォローしといたから』


 事の発端はまたしても親友の寧音で、就寝前にそんなメッセージが届いた。何のことか分からずに検索をかけてみると、確かに【ナリマチマリナ】という名前のアカウントが存在していた。


「成りすまし……なわけはないよね。同じ名前の別人ってこと?」


 有名人でも何でもない自分に成りすましが発生するとも思えなかったし、同じ名前の別人と考えた方がしっくりくる。表記もカタカナだし、漢字表記にすると字面はまったく変わってくるかもしれない。


「それで【ナリマチマリナ】さん。あなたはどんな人なの」


 最初はトラブルの気配を感じて身構えてしまったが、単なる同名さんだと思うと恐れよりも関心の方が強くなる。いくつか投稿があるようなので、マリナは【ナリマチマリナ】の投稿をチェックしてみることにしたが、次第に雲行きが怪しくなっていく。


「……何よこれ」


 ある日の【ナリマチマリナ】の投稿には、親友と買い物に出かけた時に古着屋で購入したというレトロな花柄のブラウスの写真だった。見間違えるはずがない。寧音と一緒に行った古着屋でマリナが購入した物とまったく同じだ。今だって壁のハンガーに引っかけてある。


 別の投稿では、古着のブラウスを軸にしたコーディネート一式を服だけ掲載して投稿。濃紺のデニムスカートやレースアップサンダルに、アクセサリー類のチョイスまで、マリナのワードローブやセンスと合致する。これは成町マリナのコーディネートだ。


「……まさかこの日って」


 二週間前の投稿を見たマリナをさらなる混乱が襲う。投稿内容は静岡のアウトレットモールを訪れたというもので、顔は見えないが【ナリマチマリナ】は古着の花柄のブラウスを着用している。極めつけに添えられた文面は『友達を見かけた気がしたんだけど、声をかける前に見失っちゃった。残念』。


 この投稿を見てマリナは二週間前の寧音の目撃情報を思い出した。寧音がアウトレットモールで目撃したのはこのアカウントの持ち主である【ナリマチマリナ】だったのではないか? だとすれば【ナリマチマリナ】名前や服装のセンスが同じというだけではなく、親友の寧音が本人と疑う程に容姿も一致していることになる。他人の空似じゃ片づけられない。これでは正真正銘のドッペルゲンガーだ。


「一体何が起きているの……」


 ドッペルゲンガーなんて非現実的だ。だからといって、何者かが服装だけではなく、容姿までもマリナに似せるというのは現実味に欠ける。訳も分からぬまま、底冷えするような気味の悪さがマリナを支配していく。


「新しい投稿?」


 数分前に【ナリマチマリナ】の投稿が更新されていた。これ以上彼女について知ることが怖い。それでも、まるで魔性に魅入られたかのように、マリナは投稿を確認する手を止められなかった。


『東京進出。マリナの人生はさらに面白くなるんだから』

「……今東京にいるの?」


 明るい時間帯に撮影したと思われる、東京駅のホームの写真が掲載されている。都内在住のマリナにとって、それはあまりにも恐ろしい写真であった。いかに人口が多かろうとも、都内にいれば偶然鉢合わせる可能性を完全には排除できない。万が一自分そっくりな顔の【ナリマチマリナ】を見かけてしまったら、正気でいられる自信がない。


「こんなことで怖がるなんて馬鹿げてる。さっさと寝ちゃおう」


 言葉で否定しようとも、強張った表情は恐怖を隠しきれていなかった。


 ※※※


「友達がバンド始めたらしくてさ。今度一緒に見に行ってみない」

「……うん」


 週末の日曜日。マリナは恋人の時松牧人とファミレスで食事をしていた。二人は通っている高校は別々だが、共通の友人を通して知り合い、現在は交際して二カ月になる。


「マリナ。もしかして具合悪い?」


 露骨に不機嫌というわけではないが、今日のマリナは生返事が多い。


「心配させちゃってごめん。最近ちょっと変なことがあって」

「俺で良ければ話を聞くよ。困っている時に力になるのも彼氏の務めだ」

「……実はね」


 牧人はいつだってマリナに寄り添ってくれる優しい恋人だ。マリナは思い切って自分そっくりな【ナリマチマリナ】について打ち明けることにした。SNSの投稿なども交えて説明したことで、牧人は驚きつつも終始真面目にマリナの説明に耳を傾けてくれた。


「確かに気味は悪いけど、全ては偶然か成りすましで説明はつく。万が一遭遇することがあっても相手はただの人間だよ。もしこの【ナリマチマリナ】らしき人物を目撃したら直ぐに俺に連絡して。俺が絶対にマリナを守るから」

「ありがとう牧人。こんな時になんだけど、凄くキュンとした」


 相談出来て安心したし、絶対に守るという、普段ならなかなか聞くことの出来ない言葉を聞けたことも嬉しかった。異変が、恋人としての絆を強めてくれている。


「私と偽物を見間違えたら嫌だからね」

「恋人の顔を見間違えるわけがないだろう。もし俺がマリナの偽物を見かけたら、俺の彼女を怖がらせるなって意見してやる」


 牧人の力強い言葉に、マリナは頬を赤らめて惚れ直していた。動向を把握するためにフォローしておいた【ナリマチマリナ】のSNSの通知が届いたことにはまだ気づいていない。


『ついに到着したよー。早く私に会いたいな』


 最新の投稿の写真の背景は、マリナも普段から利用している最寄り駅の駅前広場であった。


 ※※※



「ありがとうございます」


 午後六時半。マリナはママに頼まれていた宅配の荷物を受け取り、配達員を見送っていた。配達の予定時間に多少の幅があるので仕方がないことだが、この時間になるなら寧音と寄り道する余裕はあったなと、少しだけ勿体ない気持ちになる。


 荷物をリビングに置くと、ソファーに座ってスマホを取る。すると寧音からメッセージが届いていた。


『今日は楽しかったね。また行こう』

「何のことだろう?」


 荷物の受け取りがあったので、寄り道はせずに寧音とは学校で別れたきりだ。


『寧音。送り先間違えてない?』

『間違えてないよ。スイーツバイキング最高だったじゃん』


 あまりにも話が噛み合わなかったので、直接聞いた方がいいと思い、そのまま寧音に電話した。


「寧音。何か勘違いしてない? 荷物を受け取るのに、私は寄り道せずに帰ったでしょう」

『マリナこそ言ってること変だよ。確かに学校で一度別れたけど、早く荷物が届いたからって、合流して遊びに行ったじゃん』

「あり得ないよ。だって私、今荷物を受け取ったところだよ」

『分かった。さてはドッキリだな。前に私がそっくりさんの話で怖がらせちゃったの仕返しに、それを逆手にとって自分が二人いるみたいな演出してるんでしょう』

「そんなこと……」


 言いかけて、マリナは最悪の可能性に思い至った。自分は間違いなく荷物を受け取るためにずっと家にいた。ならば寧音と一緒にスイーツバイキングに行ったのは、自分そっくりな【ナリマチマリナ】なのではないか? 


「……寧音。それ、本当に私だった?」

『しつこいよマリナ。私が親友のあんたの顔を見間違えるはずないでしょう。二人しか知らない話もいっぱいしたし。もうドッキリも気が済んだでしょう。また明日ね』


 寧音との通話が切れたスマホでそのまま、マリナは【ナリマチマリナ】のSNSを表示した。数分前に新しい投稿がされている。


『今日は放課後に親友とスイーツバイキング。これからもズットモだよ』

「……何なのよこれ」


 脱力したマリナの手からスマホが床に滑り落ちた。

 間違いない。寧音とスイーツバイキングに行ったのは【ナリマチマリナ】だ。しかも親友の寧音はそれが偽物だとまったく気づいてはいなかった。容姿だけではなく、性格や記憶に至るまで完全に一致しているということだ。自分の交友関係に、自分そっくりな見知らぬ誰が土足で踏み込む。聖域を汚された気分だ。


 日常は静かに浸食されていく。

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