画家シュンケイの遺作

葉野ろん

深い青/遠い赤

 照明の光量、部屋ごとの導線、学芸員の立ち位置、温湿度計および地震計の設置、全ては完成されている。私の設計のとおりだ。この一枚のためだけの、私の設計。

 この一枚の絵のために、この五年、絶え間なく動いていた。この作品は日の目を見なければならない。この作品は讃えられなければならない。この作品を掲げなければならない。この俊経の絵を、春景の絵と並べて、飾らねばならない。


 画家・長谷俊経はせとしつねの活躍は、幕末から明治にわたる。絵画に詳しい人なら名前を知っているかもしれない。あるいはそうでなくても、美術館に通ったことがある人なら、作品を目にしたことはあるかもしれない。

 俊経は初期には浮世絵調の作品群を残し、年代が進むにつれて西洋画ふうの作品も増える。もっとも、彼自身が当時の美術教育を受けたわけではなく、展覧会に通い詰めての見様見真似である。そのため初期には、技法に関する誤解を多く含んだ作品もみられる。熟達していくにつれ、当初の大胆でユーモラスな作風は失われ、引き換えに精密で単調な作品が増えていく。

 同時期の画家として知られる岩辺春景いわべはるかげ、彼は天賦の才の人といわねばならない。こちらは説明するまでもなく、名前を聞けばかずかずの作品が浮かぶことだろう。

 数多くの名工と同様に、春景の人生も伝説に包まれている。曰く、描いた絵の猫が絵を抜け出しただとか。絵葉書に描いた柘榴をついばもうと、鳥たちが降りてきたとか。

 彼らはしばしば足跡を共にしており、よく並べて語られる。というより俊経は、春景の引き立て役だ。そう認識している愛好家の、なんと多いことか。

 名前の偶然から「両シュンケイ」と括られることもある。並べて語るだけでも、優劣についてははっきり現れてしまう。

 作品をひとつずつ取り出せば、やはり春景の鮮やかさはひとつ抜けている。経歴を見ても、俊経の苦節の間に春景はめざましい雄飛を遂げている。

 俊経は岩絵具を買い揃えるために佩刀を質に入れ、生涯買い戻すことは叶わなかった。いっぽう春景は、泥を画材に描いた絵が華族に見初められ、工房を贈られたとの逸話がある。

 とりたててシュンケイといえばまず、春景はるかげのことであろう。


 五年前、初めて俊経の遺作を見たときには、ただ良い絵だとだけ思った。名望家の所蔵していたのを、遺品整理として当館で預かることになったのだ。春景の絵と二枚一組で、との希望だった。

 俊経の西洋画には、彼の気質の硬いところがよく表れている。しかしこの作品には、まったく硬さや苦労といった感慨を覚えなかった。晩年の作にしては闊達な、彼らしくない、むしろ春景の作にも似た奔放な構成だった。

 だからこそ、俊経の地を這うような経歴はどこからも連想されず、ただただ良い絵だと感じた。粗く引かれた線が全て見事に画面に収まっている。少ない色数でも、浜辺の陰影は表現し尽くされていた。

 海の青が、類を見ない深みと暗さのある色だったのが、不思議と記憶に残った。紺青、瑠璃紺、中縹、青藍。混色をあれこれ試してみたけれど、どうやっても同じ色には辿り着かなかった。


 改めて、消防設備と非常時の誘導にも目を配っておく。順路に沿って作業は進む。我が仕事ながらよく練られた構成だと思う。一歩進むごとに自分が昂揚しているのがわかる。クライマックス、あの絵の部屋まで行き着く。

 空気が変わる。肌に障るような違和感があった。奥の展示ケースの前の人影が、こちらの姿を認めて駆け寄ってくる。学芸員助手としてこの秋から勤めている堂島くんが、眉を歪めながら切り出した。

「この部屋、湿度が安定してません」

 応援を呼んで現状確認に入る。確かに湿度計の針は振れ続け、じわじわ上ってきているようだ。空調設備の不具合、隣室からの流入、バックヤードとの接続、想像しうる原因を一通りさらってみる。

 次第に職員が集まってきている。原因が解明されないうちは、人手が減ることはない。喧騒が大きくなるにつれ、聞こえる声も増えてきた。直前になってこんなことでは。結局は実務経験の量が。そもそもこの企画展は。秀才止まりが。

 冗談ではない。この一部屋、この一枚のためだけに、五年間できる限りのことはしてきた。下げられる頭はいくらでも下げ、表に裏に手を回し、ようやく実現に漕ぎ着けたのだ。

 天才というのは、目を瞑ってでも絵が描ける人間だ、という言葉を思い出す。昔に聞いた言葉。無性に腹が立つ。決まっている、今は目を瞑ったら負けだ。秀才止まりなら、目を開けてやり遂げるしかない。


 以前、塗りの分厚さが気になって、例の絵を透過撮影してみたことがある。画像が映し出された時には目眩がした。何重にも何重にも、絵が描き重ねられては削り取られていたのだ。それぞれの断片は、俊経の事績を追ってきた自分だから全てわかる。どれも、春景の作品の習作だ。

 俊経はやはり、春景と向き合ってきたのだ。向き合わざるを得なかったのだろう。同年代で同郷の、同時期に上京して成功を収めた天才と。

 俊経は天才ではなかった。そうかもしれない。しかし彼は目を瞑ってはいない。天才が目を瞑って描いた絵を、彼は目を開いて描き直し続けた。

 春景を羨んだのだろうか。それとも呪っただろうか。俊経の日記にはしばしば春景の名前が出ているが、そこから春景への思いは読み取れない。


 展示室にかすかに、香りがあることに気付いた。海の香りだ。

 途端、目が吸い込まれるように、あの絵の海の青に吸い込まれた。そうだ、この絵だ。この絵から、潮風が流れ出ているのだ。

 有り得ない、という思考より先に、やはり、という納得があった。それから、胸に詰まる思いが押し寄せた。史上の多くの名工の例のように、俊経も最期に辿り着いたのだ。猫が絵から抜け出すような、作品が現実に迫る、現実を侵食する境地に。

 その絵の前で私は、涙を流していたのかもしれない。天才と向き合い続けた彼は、最期の一枚で天才に追いついた。そう確かに思えてならなかった。


 俊経の絵に自分は、五年の歳月を捧げた。それもこれも、この一枚に込められた彼の情念、彼の生涯のなせる技なのだろうか。あてられたように、気付けばケースを開けていた。

 向かって正面には、春景の絵がある。俊経の遺作とともに譲り受けた品。春景にしては単調な、赤の一色で描かれた、夕暮れの磯の絵だった。

 ケースを開けると、堰を切って潮風が溢れ出す。居合わせた人々はみな、呆気に取られたまま動かない。塩分を含む空気は、美術品を著しく損壊することがある。金属を酸化させ、一部の塗料を変色させる。自然、潮風にあてられた春景の絵には、黒い染みが広がっていった。

 どうしてか、自分にはそれが痛快にも思えた。なぜって、天才でない彼が天才を堕としたのだ。

 俊経の情念は、あるいはこのためのものだったかもしれない。天才に追いついた一枚によって、天才にひとつの疵を残す。

 それが俊経の呪いだとしたなら、春景は知っていたのだろうか。彼の妬み、彼の呪いを。

 結果を言うと、潮風は絵を壊し尽くすことはできなかった。

 ただの赤い夕陽の絵のなかに、黒々とした疵が刻まれていく。しかしてその疵は、絵の中に形をつくる。計算ずくでこんなことができるだろうか。夕日のなかにくっきりと、ふたつの人影が現れたのだ。

 潮風を受けることを予期して、あらかじめ?それこそまるで、目を瞑って絵を描くようなものではないか。では偶然だとして、信じられるだろうか。俊経の一生涯をかけた呪いは、春景の絵に最後の一筆を足すに過ぎなかった、なんて。

 それとも春景は、天才であることの宿命として、彼の呪いを赦したとでも言うのか。

 あるいは彼らは、呪い呪われる運命ではなく、二人がかりで一筆を描いたのだろうか。


 何にせよ、全ての異変はそこで終わりだった。企画展は完遂され、そこそこの成果を挙げた。評判も悪くなかったように思う。夕陽の絵は、修復のしようがないとのことで、そのまま展示される運びとなった。

 ただ、ふたりの画家の遺した思いは誰にもわからない。人影の背格好は、あのふたりに似ていた。しかしやはり、その表情は黒の中に沈んでいる。

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