【KAC20247】モノクロームの極彩色

赤夜燈

白黒から溢れ出る色彩

 僕こと一色いっしき日向ひなたが二時間かけて事務所の部屋を片付けているというのに、禍月まがつき千景ちかげは鼻唄なんかを歌いながらソフトカバーの単行本をめくっているので、普通に嫌味を言うことにした。


「……なに読んでるんですか、チカちゃん先輩。仕事もしないで」


「ヒナちゃん。小説っていいと思わない? 白黒なのに、中には極彩色が溢れてる。綺麗だよ、この物語はなしは。いつも俺たちが相手にしてると、まあ同じようなもんだ」


 最後の一言で、興味が沸いた。


「……ジャンルは?」


「異世界変態大乱闘だね。面白いよ?」


「……後で貸してください」


 青みがかった黒いポニーテールの長髪に、すらりと伸びた手足。サングラスの奥の瞳は真っ黒で、いつものシンプルな服装が嫌味なくらい似合っている。


 この禍月千景という男は自分の血も凍るような顔の良さを自覚したうえで親しい人間には「チカちゃんって呼んでほしいな」とか言うけれど、僕はといえばそのあざとさが気に食わなくて頑なに「チカちゃん先輩」と呼んでいる。


 そのたびに千景は「ヒナちゃん、いつも先輩いらないって言ってるんだけどぉ」と口を尖らせる。顔がよくてあざとくて可愛らしいのが余計に腹が立つ。


 僕は「先輩でしょう。年上なんですから」と返して資料を棚にしまう。この男はとことん不精で、僕がいないと日常生活がろくに送れず部屋どころかビル一棟が一瞬でゴミ屋敷になる。


「さて、と」


 千景が読んでいる途中で本をしまう。ということは、と察して俺はお茶の用意を始める。


 お茶が入ったところでちょうど事務所のドアが開いた。見るからに憔悴しょうすいしている、大学生ほどの女性だった。


「ようこそ、禍月心霊探偵事務所へ」


 千景が、仰々しく両手を広げた。


 僕たちの相手にする『』とは、本来なら彼岸にあるべきものたち。

 すなわち、心霊現象や妖怪全般、である。


 女性はぽかんとした様子で、僕の引いた椅子に腰掛けた。


生霊いきりょう、ですか」


 女性は片淵かたふち葉月はづきと名乗った。かなりの美人で、口の端にふたつ黒子がある。


「はい。その、ストーカーに遭ってたんですけど、だんだん、人間では説明できないことが起きて……例えば、窓の外で上から女の人が落ちてきたのと確かに目があったはずなのに、下を見てみると誰もいない、というような……」


 僕は注意深く彼女を観察する。自傷の跡、なし。薬物使用の兆候、なし。あとは雇い主の判断だが。


「……


「……先輩もそう思いますか」


「え? あの、お風呂には入ってきましたけど……」


「いいえ。あなたの話からのにおいがする、という話です。依頼、お受けしますよ」


「……ありがとうございます!!」


 葉月は花が咲いたように笑って、前払いの料金を支払うと明日からの打ち合わせをして、帰っていった。


 彼女がドアを閉め、足音が遠ざかっていったのを確認してから僕たちは小声で会話する。


「どう思う?


「背中に乗ってたやつと、口から出ていたやつですよね? あのひと――チカちゃん先輩好みの案件では?」


「そうだね。じゃあ今夜、彼女の気が緩んでるうちに早速動こう」


「素性は調べておきますので、準備お願いしますよ」


 そうして、深夜二時。僕たちは行動を開始した。


 片淵葉月。彼女の住んでいるマンションは、学生にしてはずいぶん高級だ。


 新宿区の一等地にあるオートロックのマンションの最上階。


 その、屋上に僕たちはいる。どうやって侵入したかは、まあ企業秘密だ。


「ありましたね」


「あったね。ていうか……多くない?」


 僕の手に握られているのは、呪符だ。他人に幻覚を見せ、徐々に精神を摩耗させ、自殺へ追い込む類のものである。


 それが、百枚近くある。


 通常ならば一枚で足りる呪符が、葉月の部屋の真上にべたべたべたべたと百枚ばかり貼ってある。


「てことはやっぱ、普通じゃあないのはあの子のほうだね」


「ええ。がぷんぷんしましたから」


 僕は他人の嘘が、千景は霊的なものが臭いでわかる。ちなみに嘘の臭いはひどく甘い。彼女からは、これ以上なく甘ったるい臭いが漂っていた。


「と――これは、護符ごふだね」


 百枚の呪符を剥がした更にその下、屋上の床に擬態ぎたいさせた護符を、千景はなんの躊躇ためらいもなくえいっ、と剥がす。


 すると屋上に白黒の人間が現れる。人間、というには不正確だ。かといって幽霊でもない。


『許さない……あの女……あの女……』


『殺してやる……呪ってやる……祟ってやる……』


 彼らは死霊と違い、かたちが崩れていない。言っていることも割と理解できる。


 生きている。生きたまま、ここに念だけ飛ばしている。


 生霊、である。


「チカちゃん先輩、どうぞ」


「あっはっは。任せて任せて」


 千景が背中から長い何かを取り出す。


 金属バット、だ。


「はい、よいしょぉ!!」


 ズゴン、と鈍い音を立てて千景が白黒の生霊をぶん殴る。中から出てくるのは臓物ではなく、極彩色の感情だ。


 痛い、苦しい、あいつのせいで、そういった色彩かんじょうが溢れ出る。


 『』を祓うこの光景を見るたび思う。綺麗だ、と。


 生霊たちは怨嗟えんさの呻きをこぼしながら消える。しかし、これは対症療法だ。根本治療にはなっていない。


 そもそも、ここまで生霊にかれる人間などそうそういない。


 余程、恨みを買わない限りは。


「というわけでこんばんはー!! 開けてね!! ていうか合鍵もらったから入るね!!」


「きゃっ、な、なんですかいきなり!?」


「調査です。とりあえず、服を着たほうがよろしいのでは?」


 片淵葉月の部屋は広い。最上階のワンフロア、そこを全て使っているようだ。


 大きなベッド。そこに寝ていた葉月と男は、服を着ていなかった。


 男は、薬かなにかで眠らされているようだ。そうでなけばこんな騒ぎで寝こけていられないだろう。


「片淵葉月さん。夜な夜なパパ活――否、売春をして、未成年であることを利用してお金を限界まで貢がせた、と」


 かあっ、と葉月が顔色を変える。赤を通り越してどす黒く。千景は心底面白そうにくつくつと笑っている。


「……どうして、それを!?」


「SNSですよ。簡単に特定できました」


 素っ気なく僕が答える。全く、ネットリテラシーが低いなんてもんじゃあない。一通り検索したら一発で出てきた。特徴的な、口元の二つの黒子が。


「いやはや、まさに淫魔サキュバスですねえ。生と性と精を搾り取って、己の糧にしているのですから。生霊は、お金を貢がされた人たちとその家族ですね。あれだけ集まるのは俺もそんなに見たことがないですよ」


「……黙れ、黙れ黙れ黙れ!! なにが悪いのよ、あたしだって男に利用されて――」


 葉月がぼろぼろ涙を流しながら千景に飛びかかる。ネイルをした爪がその顔を引っ掻こうとした、その瞬間。


「あー、そういうのめんどいんで。いいよ、ヒナちゃん」


「ええ。畏まりました」


 葉月の手が千景に届くより速く、僕が竹刀袋に入れていた刀を抜く。


「神剣・憑物斬つきものぎり


「な、なによ。それであたしを脅すとか、殺すとかするつもり!? ふざけ――」


「いいえ。もう、あなたに用はないですよ」


 キン、と音を立てて僕は納刀する。同時に、葉月の身体が崩れ落ちた。


『ギィィィィィィ!!』


『グギャァァァァ!!』


 彼女の背後にいたモノ――淫魔サキュバスと、口から出ていたが両断されて球状の何かに変ずる。千景はそれらを、躊躇いなく呑み込んだ。


「うーーーん、甘くて美味しい!! やー、いつも悪いね。俺、人間には攻撃できないからさ。助かるよ、ヒナちゃん」


「別に、今回も面白いものが見られましたから」


「へぇ、なにが見えたの?」


「極彩色の、欲望が。それより帰りましょう、さわりが来ます」


「そだね。前金で貰ったぶんの生霊は祓ったし、帰ろう。ていうか朝じゃん。エジンバラでモーニング食べない?」


「賛成です」


 こうして僕たちは合鍵を置いて、現場をあとにした。



 護符を貼った誰かは戻ってこないだろう。


 だが、あれだけの呪符を貼った誰かは必ず戻ってくる。


 生霊も、被害者の数を考えるとあれだけではないだろう。


 新宿の二十四時間営業のカフェ、珈琲貴族エジンバラでブレンドを飲みながら、千景は笑う。



「全く――色ってのは、いつの時代も人を狂わせるねえ。ヒナちゃん」


「同感です、チカちゃん先輩。それと、あとであの小説貸してくださいね」


 僕は斬った瞬間に見えた欲望の色彩いろを思い出して、トーストをかじった。


 幕

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