エピローグ

 春の庭園に幼子の笑い声がこだまする。


 青く小さな花がそよ風に鈴のように揺れていた。甘い花の香りがふわりと庭じゅうに漂っている。

 エヴァリスト公爵邸の広大な庭で金髪の少年と夜色の髪の少女が手を繋いで毬のように弾んでは駆けまわっていた。彼らの姿を乳母や使用人たちが温かい目で見守っている。


「ウェイン、キルス。転ばないようにね」

「「おかあさま!」」


 ふたつの声が重なって響き合い、美しいハーモニーを奏でる。

 子供たちはすぐ後ろにいる父親は目に入らないようすでがばっと母親――アンジュに一目散に駆け寄ってしがみついた。呆れたように父親――カイルがため息を吐いた。


「おまえたち、どうしておとうさまのところには来ないんだ」

「だっておとうさまはおかあさまを取っちゃうんだもの。ぼくらだっておかあさまと一緒にいたいのに……」

「仕方がないだろう、おとうさまはおかあさまのことが大好きなんだから」


 どうだ、と言わんばかりに胸を張ったカイルを見て、アンジュは苦笑した。


「カイル……子供たちの前で何を言っているんです」


 呆れた声でアンジュが言うと、見せつけるようにカイルは愛する妻の唇を奪った。ああー、と子供たちから非難の声が上がる。


「ぼくもチュウする!」

「あたしだって!」


 仕方ないわね、とくすくすアンジュは笑いながら子供たちの前で屈むと頬を差し出した。


「ふたりとも、おかあさまのほっぺにちゅってしてくれる?」

「「するー!」」


 ウェインとキルスはアンジュを左右から挟むと、ちゅ、と音を立ててキスをした。そのあときゃあ、と恥ずかしそうに大きな声を上げて走り去ってしまった。



 あの一件以来、ブリューテ王国内から悪獣の気配が完全に消滅した。

 ヘルタート山脈も静かなもので、どこを探してもそれらしき影ひとつ見つけることはできなかった。

 エリュシアも自らの力が消滅したのを確認し、聖女フレイヤのもとを離れて支援魔術師として王国軍への入隊を志願したという手紙が届いた。


「ウェインにレーヴァテインの痣が浮かんだらどうしようと思っていたけれど、すこぶる元気そうでなによりだよ」


 仔犬が転がるようにじゃれあうふたりを眺めながらカイルは安堵の息をこぼした。レーヴァテインの呪いは完全に解けたらしい。その証拠に、エヴァリスト家には男子ひとりしか子供が生まれない筈が……ウェインとキルスという男女の双子が生まれたのだから。


「キルスにも聖女の力がないようです……気配は感じるのですが、微弱なのでおそらく影響はないかと」

「そうか……それは少しさびしいかもだ。俺は君の聖女の力に何度も助けられたから」


 きゃはは、と甲高い笑い声を立てるキルスが大きな蛙を鷲掴みにしてウェインを追い回していた。誰に似たのかなかなかのお転婆である。


「私の聖女の力は、母そのものだったように思うのです」


 甘い花の香りが漂う庭園の中を歩きながらアンジュは囁くようにして言った。

 夢をみたことがある。暗い部屋の中でひたすらに祈りを捧げる女性の夢。


 いま思えばあれは母――聖女ラヴィエラだったのだろう。


 彼女は腹に宿った自らの子供の幸せを祈り続けていた。子供が聖都の聖職者たちに利用されないように、自分の力ごと子供の聖力を封じたのだ。一度も話したこともなかったけれど――アンジュの中にラヴィエラはいてくれたのだといまでは思っている。

 もう、アンジュの中にいた母は聖力と共に消えてしまったけれど――ずっとそばにいてくれているような気がする。


「聖女ラヴィエラ!」


 いきなり隣にいたカイルが声を張り上げたのでアンジュはどきっとした。


「なんですか急に……」

「あなたのおかげで俺はいますごくすごく幸せだ! ありがとうございます」


 青空にカイルの大声が吸い込まれていき、それに驚いた子供たちが勢いよく駆け寄って来るのが見えた。それを見てアンジュも頬を緩め、呟いた。


「ええ私も」


 すごくすごく幸せです、お母さん。

 ありがとう、大好きよ。


 いま思い出したというように「あ」とアンジュが言った。


「そういえば、弟から今度エヴァリスト領にウェインとキルスに会いに来ると手紙が来ていました」

「うわ……あの子、いまだに俺を目の敵にしてるんだよなあ。今度はどんな嫌味を言われることやら」


 くすくすと笑い声を上げながら話すふたりを優しく撫でるように、柔らかな風が吹いていた。

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黒竜公の結婚 鳴瀬憂 @u_naruse

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