4.青く光る海


 海岸線に沿って南北に伸びる有料道路の下の小さなトンネルをくぐり、砂浜と直結している駐車場へとCBR250Rを走らせる。ほんの数分で到着したそこには、もう黒い夜が姿を現していた。蒸し暑さはだいぶ和らぎ、凪いだ海面を滑る風が気持ちよくすり抜けていく。


「砂がすごいなぁ」


「どうしても浜風が運んできちゃうんだよね。でもここ、好きなの。何度来ても、そのたびに好きになる」


 砂浜と駐車場の間には簡易的な金属の柵があるだけで、防風林のようなものもない。忍び込んだ砂が薄く積もり、アスファルトで固められた駐車場をベージュ色に染めている。トンネル付近の外灯と有料道路の道路灯のわずかな灯りでしか確認できないが、まるで風紋で何かのしるしを作ろうとしているようにも見える。


「海沿いだから、けっこう風が強い日もあったりする?」


「そうそう。今日は凪いでるけど」


 私と横川よこかわくんは、砂浜と駐車場を頼りなく仕切っている柵に腰を下ろし、海を眺めた。島も船も見えない、ただの海、ただの水平線。


「……ん? 何だ、あそこ……」


 横川くんが指差す方を見ると、波間にちらちらと青い光が見えた。南の方角で、海岸線を少し歩けば近付けそうだ。


「何だろう? 行ってみようか」


 柵から立ち上がり、歩いていくとだんだんその正体が見えてきた。目の前の海に漂う夜光虫だ。話に聞いたことはあったが実際に目にするのは初めてで、冷たささえ感じられるその美しさに見とれたまま、立ちつくす。


「これは……すごい。きれいだ」


「……うん。夜光虫だね。プランクトンが集まってるんだよ」


「へぇ、ヤコウチュウ、っていうのか。海なし県から来てるから、知らなかった」


 視線を海に投げっぱなしにしていても、隣で横川くんが笑った気配を感じる。空気にすっかり溶け込んだ夜の黒さの中、小さく柔らかな波にさえ翻弄されながら広がる幻想的な青い光は、ゆらめき、形を変え、私たちの目を楽しませる。わかっている、真の正体は漁業に被害を与える赤潮だということは。


 赤いヘルメットをかぶり赤い車体のバイクにまたがる私も、こうして夜のとばりが下りる頃には青く美しくなることができるのだろうか。時折その青が体に染み込んでくるような錯覚さえ覚える、この海岸にいれば。


「私に、しなよ」


 彼の方に視線を向けることなく、青い光を見ながら私は言った。小さなプランクトンの群れが、勇気をくれた気がした。人間に赤潮という名前を付けられ嫌われる存在は、夜にはこうして人間に圧倒的な美しさを見せてくれる。


「えっ……?」


「タバコの匂い、横川くんのなら平気だから」


 『正確に言うと教習所の教官と横川くんの、だけど』と、一世一代の告白をしたつもりの私の頭が勝手に考える。ああ、そうだ、あの教官は私のことを不器用だと見抜いていた。横川くんにも、意外と抜けていると言われた。


「……いや、俺は……」


「ほら、付き合ってから好きになるかもしれないし」


 困った様子の彼にわざと明るく言ってから隣を見る。暗くてよく見えないながらも、彼が難しい顔をしているのが何となくわかる。そんな表情をさせたいわけではなかったのにと、後悔の気持ちが生まれてしまう。


「もう、そういうのはいいんだ。ごめん」


「……そう」


「本当に、ごめん。そんなつもりはなかったんだ」


「謝らなくていいよ。こっちこそ、ごめんね」


 一瞬、ほんの一瞬だけ大きく波が跳ね、夜光虫の青く冷たい光も跳ねた。本当に、本当にきれいだった。



 ◇◇



「せっかくまこちゃんが勇気出したのに、振るなんて信じられないっ!」


「あ、うん、ご、ごめんね……?」


「何でまこちゃんが謝るの!? ほんっと、信じらんない! こんなにいい子なのに! ヒロインなのに!」


「う、うん、別にヒロインじゃないけどありがとう」


 あきらが怒り心頭で思ったことをどんどん口にする。その合間に、ラーメンの麺や煮玉子も口にしている。なんて器用なんだろう。


「もうっ。まこちゃんももっと怒らないと」


「えっと……、私はいいんだ。何かスッキリしたし」


「……そう? スッキリしたならいいけど……」


「夜光虫きれいだったから。それだけでも、よかったよ」


 スマートフォンで写真を撮ることも忘れ、ただ立ち尽くして眺めていたあの夜光虫を、私は再び見ることができるだろうか。


「夜光虫、ロマンティックだよね。きれいな青い光が海に浮かんでるなんて。……ていうか、シチュエーションも抜群に良かったのに……! 普通はそこで落ちるでしょ、こんな美人に好かれてるんだしさぁ! 何なのあいつ!」


「あっ、あのっ、晶には悪いと思って……」


「まこちゃんが謝ることないよ!」


「あはは、怒ってくれてありがとう」


 堂々巡りの会話も、これはこれで意外と楽しい。


「あのさ……、まこちゃん、もう一人で勇気出せるようになった? メッセージ送らなくてもよくなった?」


「うっ、それは、その……」


「彼氏できたら教えてね。見定めてやるから」


「は、はい」


「やっぱりさ、この怒りを前期テストにぶつけるしかないでしょ。学生だし。努力すれば、ちゃんと結果も付いてくるのよ!」


「うん」


 代わりに怒ってくれる友人と海岸に行ったら、また夜光虫は姿を見せてくれるだろうか。そんなことを考えながら、私はタレのついた餃子を口に放り込む。それから、髪をばっさり切るために、美容院の予約をスマートフォンで完了させた。


「よし、美容院予約完了」


「ベリーショート、きっと似合うよ。あ、あと、カラーもしちゃえば?」


「うん、カラーもするつもり。赤く染めたらおかしいかな?」


「赤! いいね、似合う! まこちゃんなら絶対にいい!」


「ふふっ、ありがと、晶」


 こうして、私の青く短い恋は終わった。

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赤い帳に染みる青 祐里 @yukie_miumiu

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