3.二十分間


 六月最後の金曜日、雨は降っていないが、蒸し暑さが肌を埋め尽くし、本格的な夏の訪れが近いことを私たちに知らせている。午後五時近くになっても暑さは和らぐことがなく、私はコンビニの駐車場で一旦ヘルメットを脱いだ。


「ふぅ、暑い……」


「ごめん、じゃあちょっと買ってくるよ」


「うん、行ってらっしゃい」


 横川よこかわくんは脱いだヘルメットを私に渡してコンビニの店内に入っていった。それから数分待っていると、愛煙しているマルボロメンソールライトとペットボトルのミネラルウォーターを持って、店を出てきた。


「何がいいかわからなかったから」


「え、いいのに。でもありがとう」


 手渡された冷たいミネラルウォーターの感触が気持ちいい。蓋を開けて少しだけ飲むつもりが、喉が渇いていたのか、三分の一くらい飲み干してしまった。普段より緊張しながら運転していたから、喉の乾きに気付いていなかったのかもしれない。


 私たちは再びヘルメットをかぶり、またCBR250Rで走り始めた。体重がある人を乗せると安定感がある分、慣性の法則がより大きな顔をし始める。ブレーキングにも十分気を付けなければならないが、走っているうちにだんだん慣れて、楽しさを感じるようになった。


 自宅がある地域を通り過ぎ、海岸にほど近いおすすめの中華料理屋に着くと、時刻は午後五時半になっていた。店外に置かれているスモーキングスタンドを見つけた横川くんはうれしそうに「食後の一服ができるな」と言う。


「ここ、餃子がおいしいの」


「いいね、餃子。けっこう好き」


「ビールとか飲んでもいいよ。私は付き合えないけど」


「……いや、やめとくよ。泣き上戸になったら困るだろ」


 さっきまでヘルメットにぎゅうぎゅう挟まれていた顔が、苦笑いを浮かべている。何と反応していいかわからず、私は黙って重い扉を押し、店内に入った。


「今日、友達とラーメン食べに行く予定だったんだよな? ごめん」


「大丈夫、気にしないで。餃子、何人前にする? 私は……醤油ラーメンと餃子一人前にしようかな」


「じゃあ俺はチャーシュー麺大盛りと餃子二人前」


「よく食べるね」


「この体だぞ、そりゃ食うさ」


 そんな会話を経てから店員に注文し、運ばれてきた熱々のラーメンと餃子を堪能する。私の心境としては楽しくて仕方ないのだが、彼の心境を考えると「楽しい」と口に出すことが憚られ、複雑な気分だ。


「……長く付き合ってたの?」


「いや、ええと……、二ヶ月くらいかな」


「そうなんだ。でも泣いてたってことは、けっこう好きだったんだよね?」


「うん。俺から告ったくらいだし。けっこうデートにも気を遣ってたんだけど……」


 私とは正反対のタイプの元カノ。私は何の面白みもない黒髪のストレートロングで、彼女はふわふわカール。私は身長百六十五センチ、彼女はおそらく百五十三センチくらい。服装だって、いつもパンツスタイルの私なんかより、膝丈スカート姿の彼女の方がよほどかわいらしく見えた。


「そっか」


 やはり、何と反応していいかわからない。何が正解なのか、何が間違いなのか。私たちは週一回、五分間ずつしか話していない。これまでの合計は四回で、二十分間だ。


「きっと俺、そんなに好かれてなかったんだと思う。適当に、まあ告られたしコイツでいいか、みたいな感じで」


「……そっか……」


「そういうのって残酷だよな。だったら、最初から振ってくれればよかったのに」


「でもさ、付き合ってみてから好きになるかもしれないじゃない」


「……まあ、そうだけど……」


 店の大きなガラス窓から見える外には青い闇が少しずつ下りてきているようで、見ているとひんやりとした何かが心に落ちていくように思える。久し振りの恋に浮かれているはずなのに。


「明日、授業ないよね?」


「そうだな。土曜日はないよ」


 この中華料理屋での時間を含めると、合計で一時間二十分くらいにはなる。もっと、もっと増やすしかない。週一回、五分間だけではきっと、圧倒的に時間が足りないのだ。


「このあと予定ないなら、海に行かない?」


「近いの?」


「うん。バイクですぐだよ」


「お、行きたいね」


 ここで私のスマートフォンに、あきらからメッセージが入った。開いてみると『勇気出して!』としか書かれていない。何のことかわからず『ん? どういうこと?』と送ってみたが、そのあとは返信が途絶えてしまった。


「友達から?」


「うん。返信はしたけどそのあと何も来ないし、もう行こうか」


 私の分も払うと言って聞かない横川くんに礼を言って会計を任せ、重い扉を押して外に出る。店内で窓越しに見た青い闇はその青さをより濃くし、ほとんど人通りもない店前の県道を飲み込もうとしている。


「ごめん、タバコ吸ってくる」


 財布をポケットにしまいながら店を出てきた横川くんが言った。「一緒に行くよ」と伝え、私もスモーキングスタンドまで歩き始める。


「そういえば富田さんって、匂い気にしない人? スモーキングスタンドのそばでも平気そうだもんね」


「……そんなことは、ないんだけど……」


 唐突に、本当に唐突に、晶のメッセージの意味がわかった。私は今、「そんなことはない、でもあなたのタバコの匂いは平気」と言うべきなのだ。でも、言葉にするには勇気がいる。すぐに口から出てくるはずもない。


「……最近は、慣れたかな。今も意外と吸う人多いしね」


 無難な答えを返し、いつものコンビニではない場所で、いつものように五分間を味わう。


「そうか。まあ、二十歳にもなるとな」


 二十年間分の勇気を集めても、私には言えない言葉だと思った。

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