臨終の色彩

脳幹 まこと

臨終の色彩


 幸三こうぞうには見舞いに来る人が残っていなかった。

 彼の妻や友人は全員先に旅立っていった。

 先月自宅内で吐血し、総合病院に電話連絡したのは幸三本人だった。検査の結果、末期がんと判明しそのまま入院する。保証人には疎遠だった娘が申し出た。

 容体は悪化の一途をたどり、三日前から意識が朦朧もうろうとしている。経口摂取は不可と判断され、点滴によって栄養摂取をしている。白濁した目がかすかに開いているがどこも見ていない。

 陽光、白雲、鳥のさえずり、春風のかおり、針の痛み。どれも彼には届かない。

 実質的に死んでいるも同然だ。本当に・・・死んでいくのを待つだけの身だ。


 母子が一組、病院内を歩いていた。

 入院していた彼女の父が危篤きとくとの連絡を受けたのだ。

 彼女が病室のドアを開けると、親戚が数名いた。それぞれ、覚悟を決めているような表情をしている。彼女の息子だけがきょとんとした顔で「じいじ」を眺めている。

 ベッドの上の老人は険しい顔をしていたが、親族の声が届いたのか、ゆっくりと穏やかな表情になった。

「トンビの声がする」

 ぽつりと口にして、深い呼吸へと変わった。

 それ以降、彼は誰の呼び声にも反応することはなかった。


 が落ちた。

 涙もれた彼女は、父が言いのこした言葉を考えていた。

 病室にトンビの声は聞こえなかった。きっと空耳だったのだと親戚達は思っていた。

「母さんと初めてデートした時な、砂浜にトンビが二羽いたんだ。あんまり嬉しそうに鳴くものだから《わたし達と一緒ね》と母さんが――」

 父が事あるごとに語っていた昔話。飽きるほど聞かされてしまって、彼女はそらんじることが出来た。

 のろけちゃってと呟く彼女の涸れた一筋に、再び悲しみが流れた。



 気がつくと白い砂浜の上にいた。

 トンビの声がする。あの嬉しそうなトンビのつがいだ。

 また会えた。

 青いさざ波の先に手を振る人がいる。

 足跡も消えてしまうほど、待っていてくれたのか。


「ほら、早く迎えにいってやれよ」


 友の声に押されて、幸三は走っていった。

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