僕たちの空は赤い空

烏川 ハル

僕たちの空は赤い空

   

 僕に割り当てられているのは、窓の大きな部屋の窓だ。ふと空を見上げれば、今日も赤く晴れ渡っていた。

 朝焼けや夕焼けみたいな濃い赤色とは違う、よく澄んだ赤だ。透明感すら感じさせる赤色であり、僕はこの空の色が好きなのだが……。

「好き」と思うと同時に、妙な引っ掛かりも覚えてしまう。それをそのままにしておけなくて、僕は担当の先生の部屋を訪れることにした。


――――――――――――


「先生、ちょっといいですか? たいした話じゃなくて、雑談みたいな話題ですけど……」

「何かな? いいよ、気軽に話してみたまえ。君たちの話を聞くのも、私の仕事のうちだからね」

 そう言ってもらえたので、僕は話し始める。空の色に時々疑問を感じるのだ、と。


「空の色に疑問? どういうことかね?」

「『朝焼け』とか『夕焼け』って言葉があるじゃないですか。あの『焼け』は『焼けるように赤い』って意味でしょう? でも、なんでわざわざ『赤い』を強調するのかな、って……。ほら、程度の差こそあれ、いつでも空は赤いじゃないですか。もしも赤くない空があるなら、赤い空を示す言葉があるのも理解できるのですが……」

 身を乗り出すような僕に勢いに、先生は軽く微笑んでみせた。

「ハハハ……。それって、君自身の言葉が答えなんじゃないかな? 『程度の差こそあれ』と言ったけど、その『程度の差』だよ。『焼けるように赤い』というほど濃い赤なら、特別視するには十分あたいするだろう?」


「ですが……」

「どうした、納得できないのかい? 君は『赤くない空があるなら』とも言ったけど、そもそも空の色は、赤以外あり得ないだろう?」

「はい、僕も理屈としてはわかっています。空が赤くなる仕組みを、科学的に考えるならば……」

 紫外線や赤外線という言葉があるように、その間にある可視光線も紫から赤まで。紫や青は光の波長が短く、赤やオレンジ色は逆に長くなっている。

 そして太陽の光が地上に届くまでには、大気圏という空気の層を通過しなければならない。一見すると何もないような「空気」も酸素や窒素の分子で構成されており、それら分子は光の直進を妨げて、散らしてしまう。「光の散乱」と呼ばれる現象だ。

 その散乱の際、波長が短いものほど強く散り、長いものは散りにくい。つまり厚い空気の層を通り抜けて、僕たちの目まで届くのは、波長の短い赤い光だけとなり……。

「……空は必ず、赤色になるのです」


「うん、そうだね。空が赤いのは『光の散乱』が理由だ。さらに言えば……。

 僕の話を受けて、先生は補足説明も加えてくれた。

「……朝や夕方のように地平線の方に太陽がある時は角度の関係で、真上にある時と比べて、光が通り抜けてくる空気の層が長くなる。だからより波長の長い、より赤の濃い光だけが届く。これが『朝焼け』や『夕焼け』の赤だね」

 僕が最初に『朝焼け』や『夕焼け』について持ち出したから、その説明のつもりだったのだろう。

 しかし……。

「先生の言う通り『光が通り抜けてくる空気の層』の長さ次第で、空の赤色が濃くなったり、薄くなったりするのですよね。だったら、その空気の層がもっと薄くて、距離が短かったら……。赤い波長以外も僕たちのところまで届いて、空の色が赤じゃなくなる。そんな可能性も、考えられますよね?」

「何を言ってるのかな、君は? 『空気の層がもっと薄くて、距離が短かったら』という想定自体、まるでファンタジーだよ」

「だけど……。僕は時々、夢を見るのです。『青い空が広がっている』という夢を。とても現実感のある夢を!」


「おいおい。しょせん夢の話だろう?」

 と先生は笑い飛ばすが……。

 しかし「空気の層が薄い」という状況を想定するだけで、青い空にも科学的根拠が生まれるではないか。空気の層がもっと薄いならば、青い光などが散ってしまう「散乱」ももっと近い場所で起こることとなり、その「もっと近い」が極端に近ければ、散乱した光そのものを地上から見られるかもしれない。その場合、逆に散らない波長よりも散る波長の方が見えやすくなるから、空は赤ではなく、青く見えるのではないだろうか。


 そこまで考えたところで、僕の口から、小さなうめき声が漏れる。

「うっ……」

 ズキンと鈍い頭痛が走ったのだ。

 僕が頭に手をやると、その様子を見て、先生が心配そうな声を出す。

「ほら、言わんこっちゃない。馬鹿みたいなこと考えるから、頭が痛くなったのだろう? さあ、これでも飲んで、気を落ち着けたまえ」

 テーブルの上のカップを、先生は僕にすすめてくれた。

 中身はハーブティーなのだろう。とても良い香りが鼻をくすぐる。以前にも何度かいただいた、特製ハーブの香りだった。

「はい、ありがとうございます」

 ハーブティーを口にすると、確かに気分がスーッと楽になる。

 同時に、なんだか体の力が抜けたり、気が遠くなったりという感じもあって……。


――――――――――――


「あれ? ここは……」

 目覚めた僕は、ハッとする。

 自分の部屋ではなく、医務室で寝ていたのだ。

 ただし、なぜ医務室にいるのか、その理由は自分でも全くわからなかった。


「おや、気がついたみたいだね」

 医務室にいたのは僕一人ではなかった。担当の先生が、ずっと見守ってくれていたようだ。

「きっと疲れていたのだろう。私のところに何か話をしに来たのに、話を始めてすぐ、寝てしまってね……」

 本当に「話を始めてすぐ」だったらしく、どんな用件だったのか、先生にはわからないという。

 かといって、僕自身にも心当たりがなかった。そもそも、先生の部屋まで話をしに行ったこと自体、記憶がないほどだった。

 もう夕方らしいから、今日の数時間の行動が、僕の記憶から欠如していることになるが……。

「まあ疲労が溜まると、そういうこともあるからね。でも、寝ている間にたけれど、特に悪い点もないようだし……。気にすることはないと思うよ」

 先生に言われるがまま、僕は特に気にしないことにして、ベッドから起き上がる。

 ふと窓の方に目をやれば、外に広がっているのは、美しい夕焼けの赤。僕の大好きな、本当にきれいな赤色だった。




(「僕たちの空は赤い空」完)

   

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