料理人令嬢ペーネロパル、異世界外来種を調理する

オドマン★コマ / ルシエド

「とりあえず、おかわり」「何杯食べる気ですの」「あはは」

 超弩級料理人ペーネロパルの朝は早い。

 彼女の朝の仕込みは日の出前から始まる。

 朝一番の準備が、一日の料理の出来を左右するからだ。


「今日もいい朝ですわね」


 かつて、彼女の先祖は万年を生きる超古代龍さえも巧みに調理したという。

 悪なる龍を食べた口で、善なる龍との交渉を成功させたとも伝えられる。

 更には、その口先を流暢に動かし、巧みに魔導の詠唱をこなしたとも。


 食膳、交渉、詠唱。

 あらゆる分野で口を巧みに使いこなした英雄ペーの裔こそが彼女、ペーネロパルであった。

 朝陽にきらりと光る薄緑の長髪、育ちの良さを感じさせる所作の1つ1つが、人の目を惹き付ける。


 この東の大都市・ハミルカで今最も知名度を高めている名料理人ペーネロパルではあったが、その日、彼女の人生でも十指に入るほどに予想不可能な大事件が起こった。


「鳥の肉が仕入れられないんですの?」


「ハイ、すいやせん……」


 店を開く前に、仕入れ業者から予定していた食材が搬入できないと頭を下げられたのである。


 これではペーネロパルがこの季節の風物詩として出そうとしていたメニューの1つ、『季節の鳥類の和え物』が出せないことは明白であった。


「北の異民族の土地から流入したハイパージャンボビッグタニシが暴れて、草木も家畜も人間も全部食っちまってって話でさあ。人間は例のザインの次男が全員救出したものの、食用の鳥なんかはもう全部ダメっつー話です。すいやせん」


「何度聞いてもバカみたいな名前ですわね、ハイパージャンボビッグタニシ」


「たぶんかなり真面目じゃない方の学者の先生がたが名付けたんでしょうなぁ」


 近年、この国は戦乱でもなく、社会転覆勢力でもなく、『脅威的外来種』に悩まされていた。


 たとえば、国外から持ち込まれたトカゲの魔獣が、この土地で豊富な栄養を得て強大な角や爪を得て生態系の頂点に君臨し、暴れ回るとか。


 たとえば、温厚なバッファローが、この土地で繁殖し、この土地特有の寄生虫によって神経を侵され凶暴化し、全てを破壊し尽くす勢いで疾走し続けるとか。


 たとえば、本来農業害虫である大型の陸貝類が、北方からこの土地に南下して来たことでホルモンバランスを変化させ、人間の数倍サイズにまで巨大化した上で広範な雑食性に変化し、家畜や人間を襲い出すとか。


 たとえば、西の魔獣の森では強大な草食系魔獣に捕食され、そのせいで繁殖が抑えられていた樹木系魔獣が、天敵の居ないこの土地に流入して大繁殖し、土地の栄養を残らず吸い上げて荒廃させ、その枝で動物を殺して土地に撒き、大地の肥料としようとしているとか。


 そんな報せが、ここ数年よく話題になっている。当然ながら、これは自然に大打撃を与えやすい。そうなると大きな迷惑を被るのが、自然の恵みを調理してお客に出していく料理人である。

 ペーネロパルが、まさにそれであった。


「今店に入れられる食材のリストを見せていただけるかしら?」


「へぇ、どうぞ。ロパルお嬢は立ち直りが早いですなぁ。いいとこ育ちのお嬢さんだとこういう予想外からの立て直しに時間かかりそうなもんですが」


「ありがとう。わたくしもなんというか、内心は相当に焦ってはおりますけども……ま、慣れですわね」


「素晴らしいことでさぁ」


「……あら? これは何かしら」


 おろしの業者の男が渡した食材リストの一部を指差し、ペーネロパルは首を傾げた。


「こいつらは魔弓猟友会の要望で、どっかの店に使って欲しいっていう……いわゆる脅威的外来種ってヤツらの食材でさぁ」


「……なるほど。仕留めた外来の害獣をどうにかして皆が美味しく食べるものにできないかと、そういうことですわね?」


「ですなぁ。けんども、誰も美味しく仕上げられる自信が無いということでしてなぁ。何せ誰も扱ったことがない食材だってもんで、皆腰が引けちまってるんでさ」


「これ、全部いただきますわ」


「……へ?」


「鳥がどの種も仕入れられないなら、その代わりが必要ですもの。物珍しさは売りになりますわ」


 ペーネロパル、鳥には会えず。


 されど、新たな出会いあり。


 おろしの男が帰った後に、ペーネロパルは長い薄緑の髪を束ねて、頬を叩いた。


「さて、と」


 ペーネロパルは気合いを入れて、山のように積み上げられた未知なる食材……外来種だったものへと向き合う。


 今はまだゴミ。使い所の無いゴミであり、恨まれるだけの害獣だったものでしかない。


 しかし、もしも、これらを美味しく食べる方法が見つかったなら。面倒な外来種達にも、『捕まえて食べて売る』という選択肢が発生する。

 それは、ささやかながらも世界を変えること。

 被害に合うだけの農村のような、小さな世界を救うことだ。


「頑張って、世界を少しばかり良くしてみましょうか。戦地だけが戦場ではありませんものね」


 その領域で戦うことが、ペーネロパルのプライドだった。






 外来種の料理技法は、蓄積が無い。知識が無い。積み重ねがない。

 全てが0からの研究であり試行錯誤。

 上手く行く保証もなく、最終的な結論も『これは食用に向かない』となりがちだ。

 料理知識を多く保有していない平民の食堂に運び入れても、すぐに上手い調理方法が見つかることなどありえないだろう。


 未知なる食材をすぐさま有効に利用するためには、豊富な知識と、それを活かした経験と、類稀なるセンスが必要となる。


 ペーネロパルはまず、バブルウッドだった葉付きの材木に手を付けた。

 バブルウッドは樹木系魔獣の中でもそれなりに厄介な種である。

 徒党を組み、陣形を組み、空中にぷかぷかと浮かぶ泡を吐く。この泡に触れてしまうと、泡が弾け、泡を形作っていた油が付着する。

 これのせいで、バブルウッドの敵は剣を取り落したり、滑って転んだりして、バブルウッドの前で致命的な隙を晒してしまう。

 バブルウッドはその瞬間を狙う魔獣なのだ。


 ペーネロパルは、バブルウッドだった樹木の死骸を軽く割り、その表面を嗅ぐ。


「ふむ。油の香り自体は悪くありませんわね。むしろ良い……これは使えるかもしれませんわ」


 ペーネロパルはこの世界でよく多用される粉砕機を使い、バブルウッドの木の破片を細かく砕いて、それをウッドチップに加工していく。


「これで燻製を作るとして、さてどうなるのでしょうか。物は試しですわ」


 木にはそれ自体に香りが付いている。

 香りが良好な木は、細かく砕いて加熱し、その煙によって獣肉や魚肉を燻すことで、その風味をより良好に変えることが可能だ。


 それが燻製。

 ペーネロパルが初手に選んだ選択である。


 木には香りが付いている。

 それは何故か?

 木には精油成分が内在しているからだ。

 そう、つまり、燻製を専門とする業者ですら認知していないことが多いが、木によって燻製を行うという過程には、木の油が関わって来るのである。


 しからば当然、油で泡を使って攻撃するタイプの樹木系魔獣には、その成分が大いに備わっているということになる。


「肉は……燻製にして癖を消したい肉を組み合わせるとして……マッスルベアーの肉でも使ってみるとしましょう」


 ペーネロパルは癖が強いと言われる熊肉、その中でも比較的癖の少ないタイプの熊肉をセレクトした。これにバブルウッドのウッドチップによる燻製で香りを付け、熊肉の臭みを抑えようというのである。


 バブルウッドの油に指先が触れ、鼻が嗅ぎ、本能が食材の本質に近寄るたび、ペーネロパルは食材の性質を(言語化できないなりに)理解していく。


 バブルウッドの油。

 香り良し。

 殺菌・殺虫効果あり。

 抗炎症作用あり。

 芳香族化合物。

 不飽和七員環化合物。

 沸点150℃。

 融点47℃。

 アルコールに溶ける。

 水にはほぼ溶けない。

 言語化できないまま、ペーネロパルはその本質を理解し、調理に役立てていく。


「量はこのくらいでいいでしょうかね」


 ペーネロパルの小さめの手が燻製容器の中に銀皿を置き、その上に一握りのバブルウッド・ウッドチップを乗せる。

 ペーネロパルが指を鳴らすと、燻製器が大気に満ちる『力』を僅かに吸い上げ、加熱を始めた。


 ぶわっ、と、食欲を誘う香りが流れる。


 加熱によって少しずつ煙が出て来たところで、ペーネロパルがマッスルベアーの腿肉を煙の上にセットする。

 ペーネロパルの経験と知識は、一時間ほどの燻製が必要であるという結論を導き出していた。


「並行して他の食材も試しておきましょう」


 次に手を付けたのは、ヴェノムスコーピオンという毒のあるサソリであった。


 体長はペーネロパルの指先から肘までの長さに匹敵する。

 これで毒があり、素早く動き、人間も襲うというのだからたまったものではない。

 殻も固く、包丁はおろか、剣士が体重をかけて振り下ろした鉄の剣すら弾き返してしまうほど。


 このサソリは食材としては美味だが、上手く解体するのが難しく、殻の中から身を取り出すのも一苦労な上に、下手に解体しようとすると毒袋が破れて全ての肉が食べられなくなってしまう。だから売れない……そんな話を、数年前にペーネロパルは聞いた覚えがあった。


 外来種ゆえ、このヴェノムスコーピオンもまた、騎士達の敵としては研究し尽くされていても、食材としては未研究の存在である。


「難敵ですわね」


 ペーネロパルは目を瞑り、脳内深くに眠っていた、『ヴェノムスコーピオンを解体している騎士の姿』を掘り起こし、それを頼りに解体手順を考える。が、解体をする、その前に。


「このサソリ様、もしかして海中種のエビルロブスターの近似種かしら」


 そう思い付いた瞬間、ペーネロパルは『エビルロブスターの調理手順』に沿って、ヴェノムスコーピオンを鍋で沸騰する湯の中に通した。

 長時間ではなく短時間。

 そうして、湯から上げる。


「悪くない手応えですわ」


 筋原線維のタンパク質は、65℃以上で収縮する。それは海に生息するエビルロブスターも、陸地に生息するヴェノムスコーピオンも変わらない。


 ペーネロパルは経験と知識から来る推測で、ヴェノムスコーピオンを湯通しした。

 すると、どうしたことか。

 ヴェノムスコーピオンの体内の構造・筋肉位置・肉密度の関係で、『どの部位がどのくらい縮むか』に差が生じていた。


 その結果、複数の殻を組み合わせた隙のない堅固なヴェノムスコーピオンの殻に隙間が出来、そこに容易に包丁が差し込めるようになっていた。

 加熱によるタンパク質の変形をまず利用することで、解体を容易にするささやかな大発明である。


「よし」


 ペーネロパルはその隙間から包丁を入れ、ヴェノムスコーピオンの肉と殻を繋ぐ部分を手際よくスパッと切断した。


 そのまま頭と胴体を両手で持ち、捻るようにして左右に引っ張ると、スポン、と頭が抜ける。


「やたら気持ち良く取れますわね、これ」


 この頭からも出汁が取れるかも? と思いつつも、一旦頭は放置して、サソリの八本足に手を付けるペーネロパル。


 ヴェノムスコーピオンの足は、剣士が斬りつけても中々斬れない強固な足だ。

 外から斬りつけても間接を攻められない隙間の無い足構造に、内部に通った強力な筋腱が足を内側から支えているため、足を引っこ抜くことさえもできない。


 が、それは普通に生きているヴェノムスコーピオンと戦った時の話である。


「ちょちょいのちょいですわ」


 ペーネロパルは頭が取れた場所から殻の内側に包丁を入れ、巧みに殻と肉の接続を切り離し、胴の端っこを切り落として、ペリッと胴の背中側の殻を剥がした。


 そして胴の内側から足の内側に向かって伸びる筋腱を次々切り離し、スポッスポッっと足を引っこ抜いていく。

 足の内部に通っている筋腱を内側から切ってしまえば、サソリの足など赤子の手でも引き抜ける。


 残った腹側の殻を剥がしてしまえば、尾がくっついたままの、真っ白で、赤い筋が通っていて、ぷりっとした美味しそうな身が残る。

 今のこの国で、ヴェノムスコーピオンをここまで巧みに解体できるのは、おそらく彼女以外には居ないだろう。


 殻を全部剥がしたエビルロブスターに似ていると、ペーネロパルは思った。


「ヴェノムスコーピオンは尾を使って毒攻撃をする……なら、この尾に繋がっているのが毒腺、ここに見えるのが毒袋ですわね」


 ここまで来れば、流れ作業のように毒の部位も取り除けてしまう。難所は越えたのだ。


 ペーネロパルは尻尾、毒腺、毒袋を繋げたまま切り離し、それを捨てようとして思い留まる。


「……」


 そして、黄金梅の絞り汁を溜めた容器の中に、尾から毒袋までをまとめて放り込んだ。


 彼女の知識と経験が、類推によって『これでおそらく毒は消えて食べられるようになる』という答えを出していた。


 毒は壊れる。

 特定条件下ではひどく容易に。

 代表的なものは人間の胃だろう。

 人間の胃は強い酸性の胃酸によって、多少の毒や病原体を変質・死滅させる機能を持っている。


 強力なpHは、物質に変質を引き起こす。

 強いアルカリ性の黄金梅とヴェノムスコーピオンの毒にも、そういった関係があった。

 彼女が何気なく発見したこの特性、ヴェノムスコーピオンの討伐において何の役にも立たず、解毒に役立つこともないだろうが、こと調理という面では、大発見と言って良いものだった。


 ヴェノムスコーピオンの毒腺と毒袋は、まだこの世界では誰も食べたことがないものの、珍味にして美味であるからである。


 ヴェノムスコーピオンの毒は酸性では壊れない。なので胃を素通りする。しかしアルカリ性には弱い。なればこそ、料理に使う余地があった。


「このサソリの身は……揚げましょうか」


 ペーネロパルは再び外来種の食材を漁り、また別の樹木系魔獣、グラトニィツリィの花粉が詰まった袋を引っ張り出して来る。


 この樹木は花粉が本体であり、花粉が飛翔して他の動物を内部から貪り喰らい、花粉だけで交尾し、花粉だけで繁殖する性質を持っている。『人喰らいの花粉』と呼ばれる危険な魔獣である。


 が、しかし。

 樹木が花粉を飛ばすのは、花粉という最小単位に遺伝子を組み込み、受粉後の成長に必要な栄養を木が補充するからこそ成り立つ仕組みだ。

 花粉に何の栄養も無いからこそ、そうした仕組みが成り立つようになっている。


 花粉単体が他生物を喰らい、花粉単体で交尾を行い、花粉単体で繁殖を行う魔獣というものが存在する場合、それは何を意味するのか?


 そう。花粉に十分な栄養と味が備わるのである。花粉が食材として成り立つのだ。

 ペーネロパルはグラトニィツリィの花粉を齧り、これが味の補佐として十分な風味を持つことを確認し、その応用を構築していく。


「加熱した時にこの花粉が発する香ばしさとサクサク感、そして肉とマッチする炭水化物感……これなら十分に使えますわね」


 ペーネロパルはタイリクムギを丹念に挽いた粉とグラトニィツリィの花粉を混ぜ合わせ、食べやすい大きさに切り分けて下味を付けたヴェノムスコーピオンの身にまぶし、キメラコカトリスの卵液を少し付けて、ゴーマの油へと投入した。


 術式が唸り、大気中の『力』を吸い上げ、大火力にて油を一気に加熱していく。


 迸る炎。

 弾ける油。

 色変わりゆく花粉混じりの衣。


 3分10秒。それが、ペーネロパルの知識と経験が導き出した、最適な揚げ時間であった。


 1秒のズレも無く、ペーネロパルは決めた時間通りに揚げ物を油から引き上げ、少し冷ましてから口にする。

 サクッとした衣。

 ジューシーな身。

 グラトニィツリィの衣の味わい、人気調味料の下味の味わい、ヴェノムスコーピオンの身の味わいが、渾然一体となって舌の上を駆け巡る。


 旨味が強く柔らかい肉質と、風味が良好でサクッとした衣の組み合わせが、この料理を傑作たらしめる骨子であった。


「これは……中々。普通に目玉料理になりますわね。でもランチかディナー向けかしら」


 うんうんと頷きながら、『これはお客様が食べる直前に揚げた方がいいですわ』という判断から、ペーネロパルは残りの切り身と粉をしまう。


 次なる食材はどれにしたものか、ペーネロパルは少しばかり迷った。


 実は彼女には、山積みの外来種の中に1つだけ、手を付けておきたいものがあったのだ。

 その名も、メタルスパイスタートル。

 全身を鋼鉄に包んだ、手も頭も引っ込めない、地面の中を泳ぐ亀である。


「噂に違わぬ大きさと堅牢さですわね」


 東方からの外来種であるこの亀は、普段は地中を水のように泳ぎ、地中の鉄鉱石を食べる。それを使って全身の守りを固めるのだ。


 そして難儀なことに、強固な鉄の表皮を作るため、また繁殖期に子供を作る準備をするため、大量のホルモン分泌を必要とする。

 そして、そのホルモン分泌のために人間の農業地帯のスパイス作物を食い荒らすのである。


「調理前からこの香り。野生生物とは思えませんわね。下ごしらえまで済ませた肉のそれですわ」


 人間のスパイスを食べて自身を刺激し、生命のサイクルを回すという点だけを見れば、人の血を吸うことで繁殖を加速させる蚊に似た生態特性を持っている亀だと解釈することもできるだろう。


 メタルスパイスタートルはスパイスを常食しているため、肉にスパイスの風味が付いており、害獣ながら非常に美味であるとも伝えられている。


「調理できれば、これほどのものはそうそう無いと思うのですが……」


 だが、どの料理屋もメタルスパイスタートルを欲しがらず、この店まで回って来たということには、それ相応の理由がある。

 硬いのだ。

 表皮と甲羅が。

 桁違いに。


 摂食した鉄を素材にし、スパイスによる自己刺激で強固に押し固めた表皮は硬すぎるほどに固く、まず包丁は通らない。

 工事用のハンマーでぶっ叩いたとしても、凹むかどうか怪しいだろう。

 カテゴリーが食材なだけの鉄の塊のようなものである。


「わたくしが昔転んで顔からぶつかった実家の鉄扉の十倍くらい硬いんじゃありませんのこれ」


 ペーネロパルはメタルスパイスタートルの破壊された頭部を見て、『これ誰がどうやって倒したんですの?』と繰り返し疑問に思うなどしていた。


 誰かがこの亀の頭部を破壊し、討伐したからこそ、彼女の下にこの食材が届いたのは間違いない。

 が、そもそも倒せるような魔物には見えない、というのがペーネロパルの感想であった。

 この亀を倒せる人間の方が怪物ですわ、という気持ちも、その胸中に湧き上がる。


 料理人より強い外来種。

 その外来種を打ち倒す強き騎士達。

 そんな騎士達を食わせる料理人。

 この世界にはこの世界なりの、奇妙なバランスと三すくみが出来ていた。


「ともかく、わたくしに扱える食材ではないかもしれませんわね……」


 別の食材に手を付けることを考え始めたペーネロパルだが、その時開店前の店の扉を、彼女の知己が開いて入る。


「邪魔するぞ、ロパル」


 入って来た男は、身長高く、体格良く、短く切り揃えた黒髪に、狼のような眼光が印象に残る男であった。腰には無骨な剣を吊り下げ、ごく一般的な革鎧の上に濃茶と臙脂えんじ色の2色のローブを被せている。


 その男は、ペーネロパルが交流を持つ人間の中で、おそらくは最も強い人間だった。

 かつて、ペーネロパルが片思いをしていた1人の少年が、ずっと目標にしていた男だった。

 ペーネロパルにとって、特別な相手ではないが、無意味な相手でもない、そんな男であった。


「あら、ザイナス様。またご来店いただきありがとうございますわ。今日出す予定だった鳥の和え物は出せな……なんですのそれ。牛ですの?」


 その男、ザイナスは、牛を連れていた。

 角が5本ある牛である。


「牛。品種は忘れた。魔獣退治の御礼に是非にと貰ったんだが、俺には使い途が思いつかない。ならお前にやろうかと思った」


「前にも言いましたわよ。貨幣が普及していない田舎では、家畜=お金ですわよと。お礼に家畜を渡してくる人が居て当たり前でしょうに」


「なら、今後も貰ったらお前に譲ろう。元々、礼が欲しくてやっていたことではないしな」


「……本当にもう、困った人ですわ」


 ペーネロパルは、ザイナスの分かりやすいようで分かり難い、拍子を外すような掴み所の無さが、子供の頃からどうにも扱い難かった。


「なんだこの食材の山は。パーティーでも開くのか? 人手が足りないなら手伝ってもいいが」


「こんな調理前のグロ生物の山を見てそう思うのは貴方くらいだと思いますわよ」


「俺は焼肉屋の並べられた薄切り肉とか切り分けられた内臓とか結構グロいと思ってて、あれをグロいと思わない皆凄いなと常々思ってるが……調理前の食材なんてそんなもんじゃないか」


「なんてこと言いますの」


 嫌いなわけではない。

 苦手なわけでもない。

 ただペーネロパルは昔から、このザイナスという男の何とも言えない振る舞いに、ちょくちょく振り回されてきたのである。


 ペーネロパルは、この男が内心で何を考えているのか、いつも掴めないでいるのだ。


 振り回されて来たのは彼女だけではない。

 ペーネロパルには昔、好きな少年が居た。

 その少年がこのザイナスの無双の強さに憧れたからさあ大変である。

 ペーネロパルは昔、片思いしていた少年が、このザイナスの強さに、勝利に、何も考えてなさそうな一挙手一投足に振り回されるのを、ずっと見ていた。何年もの間、ずっと。


 なので、ペーネロパルの気持ちは複雑である。

 個人としてはザイナスを好ましく思ってもいるのだが、複雑である。


「今はこの鉄の亀に歯が立たなくて、調理を諦めかけていた所でしたわ。この亀が硬いのなんのですの。解体できなければ調理もできないわけで」


「すまん、今ちょっとよそ見した時に躓いてこの鉄亀の四肢をもいでしまった」


「貴方のそういう所が本当に!」


 いとも容易く、事故のうっかりで鉄亀の足を引っこ抜いたザイナスに、ペーネロパルは顔を両手で覆って天を仰いだ。


 この『何か別の物理法則の下で生きているとしか思えない強さ』が、ペーネロパルが「普通にザイナスさんに勝てる相手って居るんですの?」と常々思う理由である。


「俺がこの亀を解体すれば良いのか? ああいや、硬い部分だけどうにかしておけばいいのか」


「え、ええ」


「分かった」


 ザイナスは一番分厚い、押し固められた鋼鉄の甲羅に、そっと指を添える。

 そしてそのまま、手刀で両断した。


 折り紙を折るように鉄の殻を折り、折り目を付けた折り紙を綺麗に手で引き切るように殻を割り、分厚い部分は手刀で切断していく。

 ほどなくして、鉄を含んだ亀の表皮から甲羅に至るまで全てが剥がされ、肉が露出したメタルスパイスタートルが完成する。


 ザイナスの表情は、「茹で卵の殻を剥ぐのに剣を使うか? 普通は手だけでやるだろ」と言わんばかりの、なんてことのない、いつもの顔であった。


「このくらいなら、こんなもんか」


「人間兵器か何かですの?」


「何か言ったか?」


「いいえ、何も言っておりませんわ」


「そうか……」


 それはあまりにも純粋な暴。『この人なら鉄の棒一本あればこの亀の頭を粉砕できるのでしょうね』と半ば確信し、ペーネロパルは『これ誰がどうやって倒したんですの?』という己の中の疑問に答えを出していた。


 ペーネロパルは亀肉をテキパキと捌き、生肉の状態でもスパイスの香りがする独特の肉の特徴を確かめ、適切な調理法を何パターンか構築していく。


「この亀は……そうですわね。とりあえず鍋にでもしてみますわね。食べて行きますか?」


「いいのか」


「相手にとって助けとなることをしておきながらも、謝礼を求めない。それはあまり良い振る舞いとは言えませんわよ」


「分かった」


 ザイナスは、店のカウンター席に座る。


 ペーネロパルは厨房にて片手鍋を持ち、1人分の投げを作り始めていた。素材は当然、先程ザイナスが素手で解体した亀である。


「見せてみろペーネロパル、お前の力を」


「なんでそんなに戦士の言葉選びしかできませんの、貴方は」


 ザイナスはどこか浮世離れしたところがあり、それが会話中に幾度となく、ペーネロパルから取り繕いのない素の反応を引き出すのである。


「……いや、なんだかな……家族が口汚いとそこの子供も口汚くなる、みたいな話はあるだろう。子は親から口調を受け継ぐ、というか……」


「口調って遺伝子以外のところから遺伝しますのね。わたくし知りませんでしたわ」


「お前もかなりこっち側だろう、ですわ女」


「!?」


 ザイナスの言葉にペーネロパルが愕然としていた時、まだ亀鍋が完成してもいない内に、2人目の来客が現れた。


 金髪碧眼、少し尖った耳の、細身の美女。

 女性の理想のような容姿をした女性が、恐る恐るといった風に店に足を踏み入れた。


「お邪魔するね、ロパルちゃん……あ。ご無沙汰してます、ザイナスくん」


 彼女の名はアリスベット。ペーネロパルの、数年来の親友である。


「いらっしゃいませですわアリス様。今日は残念ながら予定していた鳥の和え物は出せませんの。そのおつもりでお願いしますわ」


「どうも。久方ぶりです、アリスさん」


 アリスベットにやけに恭しいザイナスに、ペーネロパルは拭い切れない違和感を持った。


「あら? ザイナス様、いつの間にアリス様に敬語を使うようになったんですの? ザイナス様は自分より強い相手と親族にのみ敬語を使っていたように記憶していたのですが……」


「色々あったんだ、俺も」


「特別なことがあったとは思ってないけどね、私は」


 ペーネロパルは料理人。

 ザイナスは騎士。

 アリスベットは学者。

 ペーネロパルとアリスベットは数年来の親友。

 ペーネロパルとザイナスは子供の頃からの知り合いで、少し複雑な関係の仲。

 ザイナスとアリスベットは仕事の同僚。

 そういった距離感であるようだ。


「アリス様はどうしてこちらに? 事前に訪問の予定を知らせておかないのは、アリス様にしては珍しい気がしますわ。ザイナス様はアポを取るという概念を持っておりませんので、それが普通になってるのでしょうけども」


「おい」


 ザイナスの抗議を、ペーネロパルは無視した。


「お弁当の相談に乗ってもらおうかなって。それと、ロパルちゃんがピンチだって聞いたから。何かお手伝いできることはないかな、って」


「まあ……! ありがとうございます! 本当に助かりますわ! 貴女のその献身に、わたくしが何度救われたことか……」


 アリスベットの手をペーネロパルが両手で握り、嬉しそうにブンブンと振る。素直な謝意に、アリスベットも流石に恥ずかしそうな様子だ。


「それにしても、アリス様はわたくしの危機によく気付けましたわね。はっ、これが絵物語に語られる、噂の友情パワー……?」


 バツが悪そうに、アリスベットは頬を掻いた。


「ほら、ロパルちゃんも知ってると思うけど、私は家が……ほら……」


「アリスさんには情報通の家族が、ベトミリィが居ましたからね。妹思いのあいつからロパルが四苦八苦してるって話を聞いたんでしょう?」


「うん、そうだね。ザイナスくんの言う通り」


「情報の由来はどうでもいいですわ! お友達が心配して来てくれた、これに勝る喜びなどありませんもの。さ、亀鍋も出来ましたわよ」


 どん、とペーネロパルが片手鍋で作っていた亀肉の鍋が置かれる。

 水、ダシ、亀肉、調味料だけのシンプルな鍋だった。だが、鍋の水を単色に染めるほどの肉汁を見れば分かるように、肉自体に香りと旨味が強くあり、これだけで十分料理として成立するということが一目瞭然であった。


「アリスさん、美味しそうですね」


「美味しそうだね、ザイナスくん」


「アリスさんまた働き詰めだったんですね。体重が4%ほど減ってますよ。食べられる時に食べておいた方が良いと思います」


「……そういうのは見て分かっても女性には言わないものなんだよ、ザイナスくん……」


 海藻系のダシの香り、肉のスパイスの香り、調味料の香りが重なり、高レベルなバランスを保っている。普段地面の中を泳ぐために筋肉がみっちり詰まっていた亀肉は、食べやすいサイズの正立方体に切り分けられ、表面に僅かに入れられた切り込みにより、端でも持ちやすい形状になっている。


 鍋の中央に浮かべられた、この地方の特産品野菜の若芽付き小葉が、ゆらゆら揺れている。

 そこに何とも言えない風情が見える。


 ペーネロパルが仕上げた鍋を、ザイナスとアリスベットがちまちまとつつき、亀肉を口に運んだ。


「どうでしょうか?」


「俺はかなり美味いと思う」


「私は……四大元素の偏りが気になるかも」


 ザイナスは騎士らしく雑に褒め、アリスベットは学者ならではの知見を述べた。


 四大元素。

 それは、この世界の根幹を作る属性エレメント


「ああ……確かにそうですわね。少し土の属性を加算した方が良さそうですわ」


「根菜を入れればいいんじゃないかな?」


「名案ですわね。そうしたらもうお店に出せるメニューになると思いますわ」


「俺は奇跡論に関してはさっぱりだ……」


 この世界は全て、神が創造した四大元素の基本属性の組み合わせで出来ている。例外はない。


 そして、全ての人間は神の被造物であり、神の御業にアプローチできる能力を持った生物であるがゆえに、誰でも大なり小なり四大元素の存在と流れを感じ取れる才能を内に秘めている。

 たとえば、舌もそうである。


 たとえば、ダシと『水』を溜めた鍋に、『土』なる大地から生まれし根菜を放り込み、『風』の中で生きる鳥の肉などを放り込んでから、『火』でガンガン加熱して作った鍋は、この世界の人間の舌に非常に馴染む。

 ちょっとした調味料の工夫など消し飛ぶほどの爆発力を備える。


 それこそが、料理の心臓と成り得るのだ。


「しかし、風の四大元素を揃えるなら鳥肉も加えた方がいいんじゃないかと俺は思うんだが。なんで今日は鳥の肉がないんだ?」


「それは……」


 その時。


「ロパルお嬢様! 大変ですぞ! 南から野生の鳥の大群が! 魔獣混じりです! 人間に危害を加えた例のある肉食鳥も多くおりますぞ!」


「!」

「!」

「!」


 ペーネロパルの店に鳥の肉を卸せなかった男が、店に飛び込み、そう叫んだ。


 ペーネロパル、ザイナス、アリスベットが店の外に飛び出す。

 三人が南の空を見据えると、そこには空を埋め尽くすほどの鳥が見えた。

 赤い鳥、青い鳥、緑の鳥。

 草食の鳥、雑食の鳥、肉食の鳥。

 鳥、鳥、鳥。

 鳥だけで数万羽は居るように見えた。


 鳥の洪水が、空を埋め尽くしていた。


「この地方はああいうのが起きるのか。見応えがある空の景色だな。壮観だ」


「わたくしも見たことありませんわね。この地方の風物詩だったりしませんかしら」


「ザイナスくんもロパルちゃんも危機感を高めて! 普通どんな地方でもあんなの起こらないからね! 異常事態だからね!」


 アリスベットの声に、ザイナスとペーネロパルも現状に危機感を持ち出した。


「アリス様! あれはどういうことですの?」


「推測になるけど……」


 アリスベットは事前に得ていた地方の情報、備えた知識、高い知力で、この状況において最も正解に近い答えを叩き出した。


「最近、外来種によってこの近辺の鳥が根こそぎ消えてしまったんだよね?」


「ええ、そうだと聞いていますわ」


「でも、その鳥が餌にしていたものまでは消えていなかったんじゃないかな。鳥には鳥の縄張り争いがあるから、この地方の縄張りが空白になったことに今、他の鳥が気付いて、豊富な餌場を求めて殺到してきた……のかも」


「な……なんですって!」


 ペーネロパルが、顔色を変えて口元を抑える。


「ありえない話じゃないんだよ、ロパルちゃん。歴史を紐解けば、この事例に似た案件が過去に二度起きてる。その2回は、人間による奇跡論行使の失敗や、大型台風の直撃といった、大きな要因が原因になってその地域の鳥が全滅したことが引き金になっていたんだけど……」


「外来種の流入によって、それと同じことが起きてしまったということですの!?」


「かも、しれない」


 多くの外来種は、人間の活動によって国境を越え、新天地へと持ち込まれる。

 そして新天地に歪んだ適応をして、その場の環境を激変させてしまう。

 だがまさか、外来種が現地の鳥を全滅に追い込んだことで、そこに縄張りの空白地帯を作ってしまい、周辺地域の鳥の大移動を招いてしまうだなどと、誰が予想できようか。


 しかも、そうしてなだれ込んで来た鳥の中には、遠い地域で暴走するバッファローを襲って捕食するような肉食鳥も含まれていた。

 それが人間の子供を襲えば、どうなるのか。


 草食の鳥だって、農作物を喰らうのだ。

 食糧危機が到来する可能性も高い。

 糞を撒き散らしていけば、病気の蔓延もおそらくは不可避だろう。

 数万匹の鳥が一気になだれ込み、食うものが足りなくなって凶暴化すれば、その先に待つものは想像に難くない。


 果てに待つのは、最悪の未来である。

 数万匹の鳥をどうこうしろということ自体が無茶であり、ここで人間が取るべき選択肢とは、手に持てるだけのものを持って、ここから逃げることだけだ。鳥という大災害には抗えない。


「あれ?」


 ただし、それは。


「ザイナスくん、どこに行ったの?」


「え? ……居ませんわね」


 普通の人間ならば、の話である。


「あ」


 その時、街で1人の男が空を見上げて、間抜けな声を口よりこぼした。

 その男は、鳥を獲りに行こうとしていた。

 危機感の欠片もなく、鳥が全滅して高騰している今なら、沢山見える鳥を捕まえて売り捌けば、遊ぶ金になると思ったのだ。

 男は無邪気に鳥を獲りに行こうとした。


 そして、恐ろしいものを見た。


「え……」


 空の数万匹の鳥が、消えていく。

 メモ帳に乱雑に書いたメモ書きを、大きな消しゴムで、2往復して消す時のように。

 消しゴムをかけられる文字列のように、空の数万の鳥が消えていく。

 右から左へ。

 左から右へ。

 右から左へ。

 左から右へ。

 おそらくは、十秒もかからなかった。

 十秒もかからず、空の鳥の全てが消えていた。


「なんだ……」


 誰もが目を疑った。


 世界の終わりのようであった空は、鳥は、たったの3分もその形を維持できないままに、消えた。


 消える過程に至っては、十秒もなく。


「俺達は今、空に、何を見ていたんだ……?」


 誰もが今見た空の形を、夢か幻か何かだと思い、それぞれの日常に帰って行った。






 そして。

 アリスベットは苦笑していた。

 呆れたように。

 ペーネロパルは溜め息を吐いていた。

 慣れたように。


 急に消えたザイナスが、数万匹の鳥を生きたまま詰め込んだ投網漁用の大網を引きずって、店の前に現れたからだ。


「ロパル。これで鍋作ってくれ」


「何万人前食べる気ですの?」


 ザイナスは空の鳥を見た瞬間、走り出した。

 そして網を確保し、最高速で接近、数万匹の鳥を片っ端から

 1秒あたり数千匹を網に放り込むだけの作業。

 彼にとっては造作も無かった。

 誰もが彼についていくことができなかった。

 「とりあえずそうしてやれば困ってるペーネロパルが喜ぶかな」くらいの気持ちで動いた彼に、追いつけなかった。


 誰一人として、ザイナスと鳥をり合えず。


 誰かが「あっ」と言う間も無く、ザイナスは異常事態を終焉へと導いた。


「鳥の和え物、これで出せるか?」


「……和え物以外を出してもなお余りますわね」


 とりあえず。


 この男のズレた善意に応えてやるため、この男が食いたがっているものでもなんでも作ってやろうかと、ペーネロパルは思った。


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料理人令嬢ペーネロパル、異世界外来種を調理する オドマン★コマ / ルシエド @Brekyirihunuade

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