とりあえずキャンセラー

淡島かりす

飲みの席のとりあえず

 出張先では仕事が終わると皆で飯を食いに行く。社会人ならわかると思うが、この場合の飯とは飲みのことである。大体五人以上はいるから、最初に飲み物を頼む時は一人が取りまとめる。


「とりあえず全員生中でいいですよね?」


 これがお決まりの文句だと思う。どんな店でも生ビールの中ジョッキはある。

 しかし、私はビールが苦手だった。飲めるのだが、美味しいと思えなかった。一人づつ頼む時には回避できるが、こうやってまとめて注文されると逃げ場がないので仕方なく飲んでいた。

 それを何度かやっているうちに、周りがどうやら気が付いた。それはそうだ。サワーだけ飲ませている時は一時間に何杯も空けるやつが、ビールの時は一時間かけても空にならないのだから。


「もしかして苦手なのか?」

「苦手です」

「何なら飲めるんだよ」

「レモンサワー」


 課長は呆れつつ、「そんな面して飲むくらいなら最初からレモンサワー飲め」と言った。よほど沈んだ顔で飲んでいたに違いない。

 それからは注文時にレモンサワーを頼むようにした。様々な人の「とりあえず全員生中」を遮り、申し訳なさそうにレモンサワーを頼むことを繰り返した。とりあえずキャンセラーである。

 それから半年ほど経って、あるところに出張に行った。理由は忘れたが、十人以上いて、そうなると当然の事ながら「とりあえず全員生中」が発生する。


「全員生中でいいですよね?」


 若手がそう言ったが、今回は人数も人数なので黙っていた。するとプロマネが「おい」と口を開いた。


「淡島さんはレモンサワーだからな」


 思わぬところから訂正が入った。若手は「え?」と聞き返す。


「そうなんですか?」

「お前、何年仕事してるんだよ。淡島さんはレモンサワー。常識だぞ」


 いや、その常識はここ数ヶ月のものだと思うが。継続は力なりということか。とりあえずの範疇から一人抜け出している人間への順応力が高すぎやしないか。


「一応飲めますよ」

「苦虫を噛み潰したような顔して飲まれても困る。もう淡島イコールレモンサワーと定義した方が楽」

「あぁ、なるほど」


 そんなわけでレモンサワーのイメージが定着してしまった。あれからもう何年経っただろうか。最近は何処に行っても無条件でレモンサワーを頼まれてしまうので、今更生ビールが飲めるようになりました、とも言えない。ビール嫌いの淡島としてこの先も生きていく所存である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とりあえずキャンセラー 淡島かりす @karisu_A

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ