つぶつぶ果肉入り温州みかん酒の水割り

のざわあらし

つぶつぶ果肉入り温州みかん酒の水割り


「つぶつぶ果肉入り温州みかん酒、水割りでひとつお願いします」


「ノンアル以外で、とりあえずビールの人!」という幹事の叫びに賛同しなかったのは、隣席に座った新入生の女子だけだった。「わざわざフルネームで注文しなくても」とか「可愛いの頼むね」とか、テーブルを飛び交う先輩たちの言葉には、どことなく嘲笑のニュアンスが混ざっている。それでも彼女は「こういうのが好きなんで」と、誰に向けるでもなく淡々とした調子で言った。多くの視線が注がれていたのは、彼女の淡白な態度だろうか。それとも、ボブカットの内側から顔を覗かせる金色のインナーカラーと、耳たぶで銀色に輝くピアスだろうか。

 ドリンクの到着を待つ間、僕はさりげない体を装って彼女の胸元を見た。「呼ばれたいあだ名を書いて」と先輩から促された名札には、達筆な字で「カナザワ」と記されていた。


 白い泡を被った無数のジョッキが運ばれ、カナザワを除く全員の手元に渡った。「乾杯まだぁー?」と誰かが囃し立てても、カナザワは腕組みをしながら、どこ吹く風といった様子を崩さなかった。ほぼ初対面の人だらけにも関わらず、自己主張を恐れようとしないカナザワの姿に気圧され、僕は早々に座席の移動を誓った。

 やがて、薄いオレンジ色に染まったグラスがの元に届くと、部長は立ち上がって乾杯の音頭をとった。部長は社会人のような爽やかさと明るさを振りまいており、「これくらいのバイタリティがなかったら学祭実行委員会には居られない」なんて、偏見めいた圧さえも勝手に感じてしまった。


 周囲の人たちと乾杯を交わし終わり、僕はひとまず席に着いた。ジョッキのかさはまだ少しも減っていない。右手で小刻みにジョッキを揺すっていると、周囲の喧騒を潜り抜け、耳元から女性の低い声が滑り込んできた。


「カノくん」


 名札に書いた高校時代のあだ名──加納かのうの愛称に反応して右を向くと、カナザワの細い瞳が僕に迫っていた。


「本当は何が欲しかったの?」

「え?」

「ビール嫌いでしょ」

「いや、別に嫌いなわけじゃないけど」

「それなら好きでもないんだ」


 カナザワが積極的に話し掛けてくるタイプだとは思っておらず、うろたえた僕は曖昧な言葉しか返せなかった。立て続けに飛んでくる言葉は誘導尋問のようで、あまり良い心地はしない。

 会話の流れを断ち切ろうと、ジョッキに口を付ける。少しだけ泡を飲み込んだ後、僕は再び右手を軽く揺さぶった。


「ほら、それそれ。炭酸がダメか」


 指摘は僕の図星を突いた。少しでも炭酸を抜きたい僕の企みを、カナザワは見抜いたらしい。

 ビールは味も苦手だったけれど、そもそも昔から炭酸飲料は苦手だった。コマーシャルでは爽やかな印象を醸し出しているくせに、口の中が溶けてしまいそうな刺激を与えてくるのが、僕はどうしても許せなかった。もしも世間体が許すなら、テーブルに置かれた割り箸をジョッキに突っ込み、ぐるぐる混ぜてやりたいとさえ思っていた。


「自分が飲みたいもの、正直に頼めばいいのに」

「同じもの頼んでおけば店の人だって楽だろうし、それに……ほら、一杯目はとりあえずビールって、よく言うし」


 喉の奥から漏れかけた「周りから目を付けられたくない」の一言を、僕は寸前で我慢した。口にすれば、その言葉はカナザワに対する当て付けになってしまう。僕はカナザワにも目を付けられたくない。もっとも、もう遅いのかもしれないけれど。


「とりあえず、か……。カノくんがここにいるのも、とりあえず?」


 一瞬、「ここ」とはどこを指すのか考えた。居酒屋。今の座席。どちらも違う気がする。カナザワの意識はもっと遠く、広い場所を見ている気がした。

 学祭実行委員会。これから引退までの三年間を過ごす、僕の居場所……となる予定の団体。そのつもりで僕は応えた。


「部室覗いたときの雰囲気、楽しそうだったから。それに、みんなで集まって何かをするの、結構好きだし」

「他のサークルでも良かったんじゃない?インカレのボランティア部とか部員多いって聞くよ」

「確かに、それもそうだ」

「なら、どうして?」


 理由を聞きたがるカナザワは鬱陶しかったけれど、からかうような振りは見えなかった。だから、僕は思い切って、わざわざ初対面の相手に言う必要がないと思っていた本心を漏らした。

 

「……学祭って、大学の顔だと思ってて。もし入学志願者が来てつまらないと思われたら、受験なんか考えてくれないだろうし。何となく来てくれた高校生が楽しいと思ってくれたら、良い場所だなって印象に残ってくれるだろうし。それがたった二日で判断されるって、責任重くない?もちろん、委員会で楽しく過ごすのも大事だし、僕だって楽しく過ごしたいと思ってるけど。それ以上に、来てくれた人に楽しんでもらわなくちゃいけないから、だから僕たちは頑張らなきゃいけないはずて」


 心の奥底に溜め込んでいた考えが、ろ過されないまま一気に外に出ていく。自分でも何を言っているのかわからなくなりそうな言葉を、瞳を閉じたカナザワは黙って聞いていた。その落ち着き払った表情を見ていた僕は、長い睫毛まつげだな、と何気なく感じた。


「うん。とりあえず、じゃなくて安心した」


 瞳を開けてうなずくカナザワの姿を目の当たりにして、僕は胸を撫で下ろした。肯定の言葉は、決して嘘ではなさそうだ。

 これだけ話したなら、こちらにだって聞く権利がある。カナザワは答えてくれるだろうか。少し不安がちに、僕は声を掛けた。


「……カナザワ……さんは?」


 最初の「カ」を上手く発音できたかどうかわからない。僕にとっては、初対面の女子の苗字を呼ぶことにすら勇気が必要で、その上呼び捨てなんてもっての外だった。

 カナザワは僕から目線を外し、ジョッキを片手に談笑している新入生や先輩達を見回しているようだ。そして、僕にしか聞こえないほどの小さな声でささやいた。


「私は── 風穴開けようと思って」


 掴み所のないカナザワの言葉が何を指しているのか、僕にも理解できているつもりだった。それでも、僕は図星を突かれた反抗として、少しだけ冗談を返したくなった。


「とりあえずビール、に?」

「まあ、そんなところかな」


 冗談を真顔で返されると妙に調子が狂う。たったそれだけのことで風穴が開くなんて僕は思わない。でも、きっとカナザワのささやかな意思表示は、何か大きなものを刺激してヒビを入れたのかもしれない。


「いる?」


 カナザワは指先で覆うようにグラスの縁を掴み、頬の横でふらふらと揺らした。果肉が浮いた水面を目で追っていると、釣られて僕の胸まで揺さぶられるような気がした。

 催眠術にでも掛けられたかのように、僕は自然とグラスに手を伸ばし、そっと口を付けた。ジュースよりも甘ったるくて、鼻と喉を焼くようなアルコールの匂いが全身を駆け巡り、指と足の先まで流れ込んでいく。

 不思議と、嫌な気持ちはしなかった。

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つぶつぶ果肉入り温州みかん酒の水割り のざわあらし @nozawa_arashi

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