【KAC20246】トリあえず……

金燈スピカ

トリあえず……

 今は昔、ひなびた村に与兵衛という男がいた。与兵衛の親は流行り病で死んでしまい、与兵衛は長いこと一人きりで暮らしていた。野山に分け入って木を切り倒したり獣を狩り、市場に売りに出すのが与兵衛の生業であった。気立の良い与兵衛は村の年寄りをよく助けてやり、村人も与兵衛を気にかけた。嫁をとってはどうかと村の娘との縁談を勧められても、二人食うだけの稼ぎがねえからと断るような、控えめな性根の男だった。


 ある頃から、与兵衛の家に目が醒めるような女が出入りするようになった。ある夜に道に迷ったところを泊めてやったら、そのまま居着いたのだと与兵衛は言う。おツルというその女は、黒髪に白い肌、紅を差したような赤い唇の、艶かしい様子であった。


 与兵衛とおツルは仲睦まじく暮らしていたが、ある日を境におツルはさっぱり姿を見かけなくなった。与兵衛は毎日泣き暮らし、おツルを探して野山を彷徨い歩くようになった。気を病んで痩せこけた与兵衛が、おツル、おツルようと名前を呼びながら山を歩く様はいかにも哀れで、村人は与兵衛を見ると袖が涙でびしょびしょになる始末である。


「おツル……おいが悪かった……戻ってけろ、おツル……」


 奇妙なことに、与兵衛が探すのは艶かしい女の姿ではなく、空を飛ぶ大きな鳥の鶴であった。鶴が水辺で羽を休めていようものなら、目の色を変えて捕まえようと飛びかかる。しかして鶴は驚いてヒョウと空に飛んでしまい、与兵衛の手にはかからぬ。水辺で濡れそぼった与兵衛が悔しげに水面を拳で叩く様は、誠に哀れ、見る者の胸を打ち涙を誘うのだった。


「おツルよう……おいだよお、与兵衛だよお……戻ってけろ、後生だ、この通りだ……」


 与兵衛は罠を仕掛けて鶴を捕えることもあった。捕らえた鶴を腕に抱いておいおいと泣くが、鶴がただ逃れようと暴れるばかりなのを見るにつけ、実に哀れに肩を落とし、鶴の罠を離して逃してしまう。生業に使う弓やナタには蜘蛛の巣が張り、ろくな食事も摂らぬ与兵衛はみるみる痩せ衰え、手足が枯れ木のようになってしまった。


「おツルよう……」

「また言ってるで……」


 今日も彷徨う与兵衛を見て、村人らは呆れ顔で顔を見合わせた。村人の輪の中には、黒髪に白い肌、紅を差したような唇の女が、顔を赤くして俯いている。


「そろそろ出てやりゃあ、おツルさんよう」

「与兵衛あわれだがやぁ」

「せ、せやし……与兵衛どんがご自分で見つけんと、神様の術が解けてしまいおす……」

「与兵衛、おツルさんやのうて、鳥の鶴ばっかし探さってるからに」

「ちいと後ろ向けば、おツルさん心配でずぅーっとついてってるのになあ」

「誰か与兵衛に教えてやりゃあ」

「そ、それも神様がいけんと仰るのです……」

「まあ、神様も与兵衛がこげな阿呆やと思わんかったけえなあ」


 村人たちはあははははと笑い、おツルは顔を赤くして俯いたのであった。




*   *   *   *   *




 与兵衛が顔を洗おうと川辺を覗き込んだ時に、後ろに映る人影に気がつくのは、もう少し先のお話。




 とっぴんぱらりのぷう。










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