飽和。

ゆげ

友人の死

 駅を出てスマホで地図を確認する。

 斎場に到着したのは、通夜の開始三十分前だった。

 

小幡おばた陽道はるみち儀』

 入り口の案内板にはエミの本名が大きく書かれている。心の準備はしていたつもりだったが、実際に式場に入ってみると、私はその覚悟がいかに甘いものだったかを思い知らされた。


 

 享年二十七歳。故人エミとは友だちだった。

 

 数年前、男の娘・女装をコンセプトにしたカフェで、私たちは知り合った。メイドの制服が可愛い店だった。エミは私よりも年下だったけど、仕事上では先輩だった。初出勤の日、緊張でうまく笑えない私を「大丈夫、すぐ慣れるよ」とフォローしてくれて、私はその手入れの行き届いた爪や、透明感のあるメイクに目を奪われた。

 休憩時間に鏡を睨みながらプロテインを飲んでいる姿を見たこともある。他のスタッフからのマウントに落ち込むこともあったけれど、そんなときもエミが私を支えてくれた。「気にしないの」と微笑むエミを見ていると心が軽くなった。

 

 なんだかんだ気が合ったのは、互いに寂しかったからかもしれない。私は家族から遠ざけられており、エミは表面上は良好な関係を保っているようだったが、実際は家族に本音を語れていないように見えた。なかなか馴染めなかった私はやがて店を辞めてしまったけれど、その後も私たちの交流は続いていた。

 

 

 訃報を受け取ったのは今朝のこと。自殺だという。エミが亡くなってすでに三日が経っていた。

 

 突然のことに言葉を失い、私はスマホに残っているエミとの最期の思い出をぼんやりと眺めることしかできなかった。死の前日、私たちは一緒に過ごしていたのだ。「暖かくなったら行こうね」と、ずっと前から計画していた大型テーマパーク。お揃いの服を買いに行って準備もたくさんして、ネイルの色も揃えて、あんなに楽しく遊んでいたのに。その日はよく晴れていて、ほころび始めた桜がかわいくて、嬉しくて。

 もし何かが違えば止められたのだろうか。そう後悔する一方で、エミと同じ衝動が自分にもあることを否定はできなかった。気持ちは痛いほどわかる。私たちは、最初から女の子に生まれたかったって、ずっと思ってきたから。


 仕事中は上の空だった。喪服を持っていなかったのを思い出し、早退して急いで買いに行った。まだ学生だったころに祖父の葬儀で着たメンズスーツはとっくに手放してしまっていた。たとえ手元に残っていたとしても、今更それを着れるはずもなかった。

 試着を繰り返してワンピースとジャケットを選び、必要な持ち物も揃えた。問題はパンプス。靴選びにはいつも苦労する。でもゆっくり探している時間はない。幸いにも、店頭にあった一番大きいサイズのものが何とか履けそうで、ほっとした。明日からは節約生活を余儀なくされそうだけれど、仕方がない。


 

 会場は静かな雰囲気に包まれていた。案内にしたがって受付で記帳を済ませ、香典を手渡す。正面の祭壇にはたくさんの花が飾られていた。式までにまだ時間があったが、遺影の前にはお参りをする人たちの姿があり、私も前方へ足を進めた。祭壇横のモニターには思い出の映像が流されている。遺影の写真はたぶん成人式のときのものだろう。スーツ姿の青年が寂しそうに笑っていた。実際はどうか知らないけど、少なくとも私にはそう見えた。

 

 成人式と言えば、エミは二度式に参加していて、振袖の写真を大切に持っていた。一方、私は振袖を着れなかった。地元の成人式に参加するために、久しぶりに耳が出るくらいに短く髪を切ったその夜、やっぱり後悔してばかみたいに泣いた。多様性云々とかいう成人式があることも知っていたけど、そういう場所はすごく苦手だった。関わりたくないと思いながらも、振袖で参加したエミが羨ましくもあった。憧れだったという真っ赤な振袖が本当によく似合っていた。


 

 棺桶には素朴な青年が横たわっていた。まさか顔を見れるとは思ってもみなかったが、その寝顔は私の知っているエミとはまるで別人で、それなのに驚くほど静かで穏やかだった。。このときようやく、私はそのことを悟ったのだった。

  

 焼香をあげ手を合わせた。ずいぶん長いこと黙祷していたように思う。急に心にぽかんと大きな穴が開いたように感じて、ただ空しかった。それから、ご遺族に向かって一礼。ご両親と姉夫婦だろうか。エミの母親の、私を見る泣きはらした目が怖かった。いたたまれなくなって、私は視線を床に落とした。

 

「この度は……心よりお悔やみを申し上げます……」


 絞りだしたお悔やみの言葉は嗚咽に消えた。一気にこみあげたのは怒りか、絶望か。エミは死に縋らなければならないほど苦しんでいたというのに、その生きた証があっさりとなかったことにされていることが、私は悔しかった。エミの最大の望みは家族には届いていなかったのだ。アパートに残された生活の跡を目の当たりにしたとき、エミの家族はいったい何を思ったのだろうか。


 式場の中で自分一人が切り離されているように感じて、寒気がした。合わないパンプスに押し込んだ足先が痛む。エミは陽道はるみちで、陽道はエミだ。頭ではわかっている、けど。陽道の死を心から悼むことのできない私は、ここに来るべき人間ではなかったのかもしれない。きっとご遺族にとっても遠慮願いたい弔問客だったに違いない。

 

 席に着こうとして、会場内に写真が飾られていることに気づいた。さっき正面のモニターに映されていた写真だ。家族と一緒に写った赤ちゃんのころの写真、学校行事の写真、サッカーの試合の写真、そしてピシッとスーツを決めた成人式の写真。他にもたくさん。全部、家族とともに歩んできた陽道の半生だった。

 

 ああ陽道は……。写真を見ながら、私は複雑な感情に揺れていた。エミの家族はいつか、陽道が打ち明けられなかったエミの苦悩に気づくのだろうか。エミの本当の姿を知ってほしいと思いながら、同時に気づかないままでもいいと感じている自分に戸惑う。だって、その結果が何につながるのか、何が最善かなんて、そんなこと誰にも分からないのだから。もちろん、エミがどう思っているのかも。

 

 私が死んだら、ふとそんなことを考えた。家族とは何度も揉めている。縁を切られたわけではないけれど、私の生き方に関してはどうしても理解をしてもらえなかった。今まで散々迷惑と心配ばかりをかけてきて、たとえ何度も消えたいと思ってきたとしても。遺った人たちに生きていた現実をも無視され、別人として扱われ続ける。死んでなおこんな仕打ちを受けるのなら、死に救いなど見出せない。


 それならばいっそ。私はあがき続けたいと思う。

 そうだ、負けてたまるか。


 

 私はすっと大きく息を吸った。帰ろう。もうここに用はない。私が見送りたい人はここにはいなかった。


 途中コンビニでビールを買おう。悪酔いするかもしれないけど、今日くらいは許してほしい。エミ。あなたは綺麗で強くて、そして誰よりも女だった。本当によく踏ん張ったと思う。誰が受け入れてくれなくたって、世間からいなかったことにされたって、私はあなたのために泣く。

 

 通夜が始まるまであと十五分。私はそっと式場を出た。心の中は何とも言えない重苦しい感情でいっぱいだった。夜になりかけの風はまだ冷たくて、でもその冷たさが、あふれそうになる心のざわめきを少しだけ解きほぐしてくれた気がした。

 

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飽和。 ゆげ @-75mtk

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