私だけが好きなだけ

蒼猫

私だけが好きなだけ


「付き合ってください。」

 駅の改札前に女性の声が響く。声の持ち主は改札を通ろうとした男性の腕を掴んだまま、男の瞳をじっと見つめ返事を待った。


 ×××


「それで、それで?どうなったの?」

 昼食を食べていた手を止め、気になって仕方ないと言った様子で話の続きを促される。

 目をキラキラさせて傾聴している、セミロングの髪に可愛らしい顔立ちをした彼女は結華と言う名前で、高校に入ってからずっと行動を共にしている親友だ。

 彼女は高校生らしく恋の話に興味津々で、普段そんな話をしない私の口から恋話が出てきたものだからより一層楽しそうにしている。

 「どうなったって、、普通に断られたけど。」

 当たり前でしょ。と答えると結華は残念そうに肩を落とした。見ず知らずの人に告白されてOKする人がいるだろうか?いないと思う。

 先日、私は駅のホームにいた男性に声をかけ告白した。しかし返事は冷たいもので、電車の時間ギリギリなので、すみませんと遠回しに断られて目の前から去っていったし、そもそも私の告白は告白だと思われてすらいなかった。彼の返事は「何処にですか?」だったのだ。イマドキ「付き合って」と言う言葉を「告白」じゃなく「場所」として捉える人がいるとは思わなくておどろいた。鈍感系にも程がある、漫画か小説の世界の住人なのかと思ってしまったのも仕方ないだろう。私のように一目見た人に告白する人も居ないけれど。

「まー元気だしなよ蛍!帰りにスタバ寄ろ」

 そう言いながら結華は肩をポンポンと叩き屈託のない笑顔を見せる。

「新作が飲みたいだけでしょ」

「バレた?」

 唯華がてへっとふざけて笑うが、慰めようとしているのは本当だろうから有難く誘いには乗っておく。新作飲みたかったし。

 しばらく話し込んでいると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。私達は「また放課後ね」と言い教室に戻った。

 午後の授業はただでさえ睡魔に襲われて意識を保つ事が難しいというのに、さらに科目が現代文とくるのは明らかに寝かせに来ていると常々思う。5限目は何とか耐えたがこの6限は諦めることにした。先生が文を読み上げる声と黒板にチョークで文字を書く時の音がどうも眠気を誘ってくる。これに抗える人を私は尊敬している。私には無理だ。段々と重くなってくる瞼を素直に受け入れ目を閉じる。窓からそよそよと吹く風が気持ちがいい。今日はいい日だなと思いながら意識を手放した。


 ×××


「蛍〜?蛍〜!」

 近くで自分の名前を呼ばれ、無視して寝続けたい気持ちをグッと抑えて目を開ける。ぼやぼやとする目を擦り何とか焦点を合わせる。

「あれ、おはよう唯華」

「おはようじゃないよ、もうとっくに放課後なんですけど!」

「え」

 周りを見ると教室にはほとんど人がおらず、残っている人も鞄を持って友人と話していた。本当に私が寝ている間にHRを通り越して放課後になってしまっていたらしい。誰も起こしてくれないなんて、なんて薄情なクラスメイトなんだ!と言うと、あんたが起きなかっただけでしょと軽くあしらわれた。

「ほら、さっさと準備して」

「はぁ〜い」

 帰りの準備を急かされて渋々準備する。

 私の学校の鞄には元々あまり物が入っていない。登校の度に重たい荷物を持つのは億劫で教科書は全部ロッカーに置いて帰っているし、弁当はかさばるので専ら学食派だ。それにクラスの女子みたいにヘアアイロンやメイク道具も持ってこない。どうしても学校で使いたい時は唯華に貸してもらっている。そういうわけで、私の帰り支度は今日貰った課題と筆記用具を入れるだけで終わってしまうのだ。

「よし、行こっか」

 鞄を持ったのを見て唯華は私の手を掴み教室をでる。唯華に引っ張られながらシューズボックスの前に行き靴を変える。頭はスタバの新作の事でいっぱいだ。今回の新作はたしかキャラメルで、インスタでは結構甘いのでカスタムして甘さを調整して飲むことをオススメされていた。カスタムは絶対外さないだろうし甘過ぎると最後まで飲めない。けれど元の味を知っておきたいのもある。凄く悩みどころだ。

 そんな事をぐるぐると考えていると唯華から声がかかった。

「告白した子ってどんな人なの?」

「多分高校生で、背は私よりちょっと高かったかな。それと顔がいい。」

「顔。」

「うん、顔。後雰囲気が良かった。」

「ふ〜ん。」

 なんか薄っぺらいねとつまらなそうに唯華が言った。一目惚れなんて顔と雰囲気だと思うけどなぁと思う。

 スタバのある場所は学校から電車で4駅程だ。10分もかからずにすぐ着くのでついつい来すぎてしまう。駅に着いて改札を抜け、切符を通す為に下に向けていた視線を上に向ける。

「「あ」」

 改札の目の前にある電子看板の隣に立っていた人と目が合いお互いに声を発した。昨日私が告白した人がいた。昨日の今日で会えるなんて凄い偶然だ。背中にとんとぶつかる感覚がして後ろを向く。改札の目の前で立ち止まってしまった為、後ろを付いて来ていたのだろう唯華が、え、なに?とびっくりしていた。さらに後ろには改札を通る人の列ができている。ごめん、と謝りながら邪魔にならないよう改札入口の横に捌けた。あの人に声をかけたかったけれど、別に昨日の今日で話しかけるのは印象が良くないかもしれない。執拗い人だと思われたくないし残念だけど見なかった事にしよう。

「ま……って!……っ待ってください!」

 後ろから叫ぶ声が聞こえると同時に腕を捕まれ体が後ろに引かれる。驚いて振り返ると、先程、電子看板の隣にいたはずの彼がいた。

「えっ……と、昨日の……人ですよね?」

 少ししどろもどろになりながら彼がそう言う。なんで、わざわざ私に声をかけてきたのかとか、話せて嬉しいとか、私の事覚えててくれたんだとか、やっぱ顔いいなとか、沢山の言葉が頭に思い浮かぶ。けれど言葉には出ずに彼を見つめたままその場に立ち尽くしていた。

「え?なになに?誰?昨日の人って……!?」

 唯華が興味津々といった顔で彼と私の顔を見ている。

 唯華のおかげで現実に戻って来れた。そういえば何の用で話しかけてくれたのだろうかとハッとする。こんな事二度とないだろう、絶対に昨日みたいに電車を言い訳に帰られたくない、せめて連絡先の交換だけ、いや名前だけでも知りたい!

「名前……名前教えてください」

「え!え?えっと……」

 彼がもっと挙動不審になる。これは、失敗した。というか、昨日の人ですかという質問にも答えていないし、急に名前聞かれたら驚きもするか。気持ちが先走りすぎた。後悔先に立たずとはこの事かもしれない。

「ねぇ、私らこれからスタバ行くんですけど貴方も一緒に来ませんか?」

「え」

「だって話長くなりそうだしさ、君の分は私らが奢るんで!時間大丈夫なら一緒に行きましょ」

 唯華は名案でしょ?というようなドヤ顔でいう。自分の失敗に一人で冷や汗をかいていたが、唯華の表情を見て何だか落ち着いてきた。話題を逸らしてくれて助かった。それに唯華の言う通り人通りの多い駅で話すよりはいいかもしれない。新作を飲むのが今日の目的だったし。相手の返答を聞くためにチラリと彼の方を見ると、彼は小さく唸って悩んでいた。

「……わかりました。……あっ、でも奢られるのは無しで!自分で払います!」

 じゃ、決まり!と唯華が先頭を歩いていく。こういう強引さはコミュ強の唯華にしかできない芸当だ。羨ましいと同時に頼もしい友達を持てて良かったなと思う。今日だけで2回は救われた。

 今日の1番の目的だったキャラメルのフラペチーノは噂の通りすごく甘かった。けれどその甘さに少しだけ塩味がしてとっても美味しい。この新作は大当たりだ。同じ物を頼んだ唯華をチラリと見ると満足そうな顔をしていた。期間終わる前にまた来ようね、と言うと良い返事をくれる。連れてきた男の人はホットのカフェモカを飲んでいる。唯華がしれっと男の人の注文を聞いて、本人を席取りを口実に座らせたまま、私たちのドリンクと一緒に注文していた。こういう事がしれっと出来るのがすごい。所謂スーパーダーリンという奴なのかも。女だけど。

 「それよりだよ、自己紹介しなきゃ」

 名前知らないんでしょ?とフラペチーノに刺さっているストローをグルグルと回しながら唯華が言った。

「えー……と、昨日は急にごめん、長谷川蛍、です」

「秋山湊人です……」

 お互いの名前を言った後少しの間沈黙が流れる。

「……あ!私、萩野唯華!」

 よろしくーとにっこり笑って手を振る。男の人……湊人は軽く会釈をする。それにしても何を話そうか。そう悩んでいると湊人が口を開いた。

「あの……引き留めてごめん、昨日の事なんだけど、」

 そう聞いて、やっぱりそうだよね。と思う。改めて振られるんだろうか。それとも何かの取引かな。告白した事を黙る代わりに何かよこせ、的な。いずれにしても気が重い。せっかく会えたのは嬉しいけれど今は逃げ出したい気分かもしれない。

「あれって、よく考えたら、告白……だよね……?」

 告白と言う時の声量が極端に小さくなりつつそう言った。

 本当に告白だと思われてなかったんだ、とショックを受けるが同時に、電車の事は遠回しの断りじゃなくて本当にただ電車の時間に追われていただけで、まだ付き合える余地があるのでは、と思った。そうと決まればもう一度告白しようと思い立つ。

「うん。そうだよ。さっき名前教えたばっかりだけど、よかったら私とお付き合いしてほしい。」

 今度は勘違いされないようにキッパリとお付き合いをしてほしい旨を伝える。

「っ……ぇっと、そのそれで、お願いしますって伝えるために今日長谷川さんを待ってたんだ。」

「「え?!」」

 唯華と私の声が重なる。湊人の返答に驚愕し思わず声が出た。お願いしますって事はつまり……!

「……恋人になってくれるって事、だよね?」

「はい……」

 しっかりと肯定されてことが信じられなくて、唯華の方を見る。唯華もこちらを見て、2秒ほどお互いを見つめる。唯華は嬉しそうに目をキラキラさせて私を見ながら何回も頷く。その行動で先程の返事が嘘でないことを実感させてくれる。

「よろしくおねがいします!」

 勢いで湊人の手を握る。湊人は少し驚いた後、こちらこそよろしくとはにかんだ。


 ×××


 自分の家のベットに横になりスマホを握る。今日は夢を見ていたような1日だったと思う。いいなと思った人が声をかけてくれたし、何より告白がOKされ付き合う事ができた。連絡先も交換した。湊人と表示されたトーク画面によろしくと送られたメッセージを見て思わず笑みが溢れる。本当に都合が良すぎて怖いくらいだ。

 あのあと湊人と解散する前に、湊人が急に声かけてごめんねと申し訳なさそうな表情でそう言ってきた。名前も連絡先も知らなかったから、私達が出会った駅に私が来るのを待っていたらしい。昨日の今日で出会えると思わず慌ててたと言っていた。私が今日駅に行かなかったらずっと私を探していたのかなと考えて頬が上がってしまう。唯華も応援してくれたし早々に愛想を尽かされないようにしないとな。今日、唯華にはたくさん助けてもらったし明日いっぱいお礼しようと考えながら眠りに落ちた。


 ×××


「ね、今あの彼氏とはどんな感じなの?」

 いつものように一緒に昼食を取っていると唯華が、まだ付き合ってるんでしょ、と言いながら私に問いかけてくる。

「別にどうもないけど……」

「え、どうもないって?」

「そんなに連絡しないしなぁ、わかんない」

「えぇ……」

 私の曖昧な返答に唯華の頭の上にはてなマークが浮かび上がっているのがわかる。しかし本当にわからないので唯華の質問にもそう答えることしかできない。

 私の告白が承諾され付き合い始めて約5ヶ月、愛想を尽かされないようにと最初の方は頑張って軽く連絡をとっていたのだが、長くは続かず今は全くと言っていいほどやり取りをしていない。というのも、私は用事がない限り自分からメッセージを送る事はないからだ。彼から雑談のようなメッセージは来ないので、彼も私と同じタイプなのだろう。それにお互い自分のことを話すような性格でもないので、私は彼の通ってる学校すら知らない。駅で偶然会って挨拶する程度で、彼の着ている制服で学校を特定できるほど周辺の学校に詳しくもない。遭遇して一緒に軽くお茶をしに行く事はなくもないけれどそれだけだ。休日に予定を合わせてデートに行くという事はしていない。

 そのことを唯華に伝えると、なんとも言えない微妙な顔をしていた。

「一応聞くけど、蛍が好きで告白したんだよね?」

「うん」

「電話したいとか、デートにいきたいとかないわけ?インスタのストーリーに写真あげてるのも見たことないし」

「特には……?」

 唯華の言う何かをしたいというのに全くピンとこない。電話もメールのやり取りもあまり好きじゃないし、デートも特にいきたい場所思いつかないし、ストーリにあげるような写真も取らない。結局わたしは……

「湊人が彼氏っていう事実だけで満足しちゃってるのかも。」

 そういうと唯華は少し驚いて固まった後に、ゆっくりため息を吐く。

「そっかぁ……大変だね湊人くん。」

 と苦笑いしながらそう言った。何が大変なのかわからず唯華に質問すると、わかったから教室戻ろうと適当にはぐらかされた。何がわかったのか何もわからない。湊人が大変になるようなことなんて何もしていないけれど。と何か思い当たる節がないか考える。そうしてうーんと唸る私を唯華が教室まで引っ張っていった。

 相変わらず午後の授業は眠たくて仕方ない。チョークが黒板の上を滑る音と、ノートに字を書く音が心地よい。窓の外を見ながら眠気に耐える。

『デートに行きたいとかないわけ?』

 ぼんやりと昼に唯華に言われたことを思い出した。

 でーと、デートかぁ。行きたいかと言われれば、どちらかというといいえ、かもしれない。出かける事が嫌いというわけではないが、わざわざ学校ではない日に会って何処か行くのは億劫だ。でも5ヶ月付き合ってデートに行った事がない、は流石にまずいかもな。

 机の下でスマホをつけ、湊人とのLINEのトーク画面を開いてみる。最後のやり取りは約3ヶ月前。私がYouTubeの猫の動画のリンクを共有した時のものだ。かわいいね。と一言返されて終わっている。メッセージ入力をタップしてキーボードをだしてみるけれど、一文字も入力できない。最近何してる?は何か構ってちゃんにみたいでキモイし。

 5分ほど画面を見つめて考えてみたが何も思いつかない。諦めて電源を切って机に伏せる。デートってどこに行けばいいんだろ。


「どこに行けばいいと思う?」

 学校が終わって唯華と一緒に歩きながら質問した。

「ごめんまって、なんの話?」

「今日唯華が、デートしたいとかないの?って聞くから……」

「え〜〜かわいい〜!」

 唯華が目をキラキラさせている。唯華に見つめられて何だか居心地が悪くなった。子供扱いされている気がする。こんなことなら言わなきゃよかったかも。楽しそうにスマホを触る唯華を横目にそう思った。

 「え〜〜そっかそっか!そうだな〜……ここはどう?」

 唯華はそう言いながらスマホの画面を見せてくる。画面には水族館のホームページが開かれていて、イルカが跳ねている写真が大きく映っていた。

 水族館。私はかなり好きな方だ。水生生物に詳しい訳では無いが青く光る水槽の中で悠々自適に泳ぐ生き物を見るのは好きだ。時間を忘れずっと見ていられるほどに。だからこそデートで一緒に行くのは躊躇ってしまう。はしゃぎすぎて相手を放ったらかしにするかもしれないし、というか、そうする自信がある。相手を楽しませることは100無理だと断言できる。

  唯華に水族館じゃない場所をとお願いしようとした時、唯華がスマホの画面をずいと前に出す。

 「これ!今スノードーム作れるの!思い出作りにぴったりじゃん?」

 唯華が画面を指さしながらそう言った。『君だけのオリジナルアクアリウムを作ろう!』と書かれているページだ。水族館のイベントらしく、水色のラメの中に魚が数匹置いてあるスノードームが2、3個ほど並べられている画像が貼ってある。

 これは、ちょっと欲しいかも。行きたい気持ちと行きたくない気持ちでぐらぐら揺れる。これが湊人とじゃなくて唯華となら考える間もなく行くという選択肢を選べるんだけど。と考えてハッとする。唯華と行けばいいじゃん!と。そう思って唯華を水族館に誘おうと声をかけようとした時、唯華がストップと言うように手のひらを私の顔の前に出す。思わず口をつぐんだ。

「私と行こうって言うのはなしね。今は湊人くんと蛍のデート先決めでしょ。」

「えっ……でも……」

「ダメなものはだめ!水族館行きたいなら湊人くんと行ってね」

「唯華ぁ〜〜……!!」

 これ以上意見は聞きませんと、そっぽを向いた唯華の腕にぺしょぺしょになりながら縋るが無視される。

「じゃ、頑張ってね、報告楽しみにしてる!」

 そう言って唯華は手を振ってバス停に向かっていった。話して歩いているうちにいつの間にか駅に着いていたらしい。駅に隣接しているバス停に唯華が到着するのを確認して私は改札を通ってホームに入る。

 電車が到着するのを待ちながらスマホでLINEを開いた。湊人とのトーク画面を開いて文字入力欄をタップしキーボードを出す。

 なんて言えばいいんだろ。デートしない?とか?なんか微妙。どっか暇な日ある?はずっと連絡してない人から来るとちょっと怖いかも。10分ほど悩んでいると、電車が到着した。乗り込みながら勢いで適当に文字を入力して送信した。

 スノードームの画像が写っている水族館のホームページのスクリーンショットと一言。『行かない?』と。


×××


 肌寒くそろそろマフラーでもつけようかと悩み始める季節のとある休日に私は駅で1人、人を待っていた。……ただ冬になってきたことをかっこよく言いたかったけれど今のは微妙だったな。

 待ち合わせの時間に早く来すぎてかれこれ10分ほどこうして自分でボケてはツッコんでいる。今日は湊人と一緒に水族館に行くのだ。

 あの後『行かない?』と短く送ったメッセージに3分と経たず『行きたい』と帰ってきた。いつ行けるかと聞けば『蛍がいいなら来週にでも』と言われた。そんなに水族館に行きたかったのかなと思いつつ『じゃあ来週の日曜日』と返した。ともかく水族館が嫌いじゃなくて良かったと思った。

 スマホの画面をつけ時間を確認する。時刻は10時45分。待ち合わせ時間は11時だからまだ少し時間がある。YouTubeでも見ようかとイヤホンを取り出そうとした時、ポコンとLINEの通知が鳴る。開けば唯華から『今日のデート頑張ってね!』というメッセージとかわいいうさぎのスタンプが一緒に送られていた。返信の代わりにグッドマークのスタンプを送る。LINEを見ていると嬉しくて胸がぽかぽかする。それだけで今日はいい日になるような気もする。

「蛍!」

 自分の名前が呼ばれ声に方向に視線をやる。少し遠くに湊人が手を振ってこっちに駆け寄ってきていた。私も軽く手を振りかえす。

「ごめん待った?」

「待ってないよ、私もさっき来た」

「良かった、中入ろっか」

 今日ちょっと寒いねなんて言いながら、2人で水族館の入り口に向かう。受付でチケットを買おうと財布を取り出してお金を払おうとした時、湊人がストップというように手のひらを私の前に出す。何かと思って湊人の方を見ると、2人分のチケットを取り出して受付の人に手渡していた。驚いて固まっていると、本館へいくように手を引かれる。数歩歩いて、はっとする。

「……っお金、返すよ!」

 いくらだった?と聞きながら財布を開けると、湊人が私の名前を呼ぶ。湊人の顔を見ると湊人は困ったように微笑んだ。

「こういう時ぐらいカッコつけさせて」

「……ありがとう」

「うん」

 湊人はお礼を聞いて満足したのか、また私の腕を引いて歩き出した。私は何も言えずに後をついて行く。この日の為にわざわざ2人分のチケットを買ってくれたのだろうか。デートを楽しみにしてくれてたのだと思うと、嬉しい、とはまた別の気持ちになる。それが自分の中で咀嚼できずに上手く言語化出来ない。皆はこういう時どうしてるんだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか展示ブースについていたみたいだった。近海の水生生物が泳いでいる水槽が等間隔で設置されている。ゆっくりと小さめの歩幅でたまに立ち止まりながら見て歩いていく。この魚見たことあるとか、鱗が綺麗とか、そんなことを話ながら近海の展示ブースを抜ける。熱帯やクラゲの展示を抜けて、大きな水槽のエリアに出た。天井まで続く大きな水槽に沢山の魚が優雅に泳いでいた。

「……!」

 大水槽に思わず足が止まる。目を奪われるというのはこの事を言うのだと思う。大水槽らどんな水族館でも大抵あるけれど、見飽きるなんてことはなく、毎度新鮮でその美しさに見蕩れる。毎秒色を変える光景から目を離せず、瞬きすらも億劫だと感じる。ずっとこの時間が続いて欲しいと願ってしまう。

 ふと横に人影が並び、目を向ける。湊人が横に並んで大水槽を見ていた。大水槽に視線を戻し2人で暫く眺める。隣に居て何も言わずにただ大水槽を見ている時間がとても心地よいと思った。

「あ、蛍」

 何時までそうしていたか、突然湊人が私の名前を呼んだ。湊人の方を見ると携帯のロック画面を表示してこちらに見せてくる。

「そろそろスノードームの体験時間だよ」

 画面に表示されている時間を見ると、たしかに体験の15分前だった。そんなに時間が経ってたんだと少し驚く。大水槽に留まっていたせいで残りの展示見れてない。少し残念に思いながら体験のある部屋まで移動する。

「残りの展示は体験終わった後にまた見に来よう」

 と湊人がいう。その言葉に精一杯頷く。まだ水族館回ってくれるんだと少し嬉しくなった。

 スノードーム作りの体験は子供が多くて、ちょっと照れるね、なんて言いながら一緒に作る。スノードームの作り方は案外簡単で、海藻ぽい置物や小さい貝、クマノミを3匹ほど泳いでいるように設置して液体を注ぐ。青のパウダーやビーズを入れて完成だ。湊人は鯨をドームの中に設置していた。置物の配置に苦戦していたようだけれど、なんとか気に入る場所を見つけたようだった。外装をリボン等で装飾して持って帰る用の紙袋をもらって体験は終了した。

「これ、蛍にあげるよ」

 見てなかった残りの展示ブースを見て歩き、そろそろ水族館を出ようかと出口に向かって歩いている途中で、湊人が先程作成したスノードームの入った紙袋を渡してきた。

「え……ありがと……」

 まさかくれるとは思わずうまく反応できなかった。もっとわかりやすく喜びを表現できたら良いのだけれど、私には向いていないのかもしれない。渡された紙袋を受け取って中身を見る。最低限で無駄な装飾がなく中央に堂々と漂う鯨。先ほど見ていた大水槽のような壮大さが感じられる。これは、ちょっとというかすごく嬉しいかもしれない。本当に貰っていいのか不安になるくらいだ。そう考えてふと思いつく。

「じゃあ、湊人には私のあげる。……嫌だったら、別にいいけど。」

「嫌じゃない!嫌なわけないよ、……本当にいいの?」

 私の提案に湊人は恐る恐るといった表現が似合う様子で私に聞き返した。湊人の珍しい表情に笑ってしまう。

「うん、貰ってほしい。」

「ありがと……!」

 湊人は私から紙袋を受け取ると嬉しそうに中身をみていた。そんなに喜んでくれるならもっと丁寧に作れば良かったなと思う。交換も済んで、駅に向かう。今日一日いい日だったなと思いながら、少し赤くなり始めた空を眺めてゆっくりと歩いていると、隣を歩いていた湊人の足がピタリと止まる。何かあったのかと後ろを振り返って湊人の方を見る。

 湊人が静かに泣いていた。声をあげる事はなく、ただ瞳から小さな雫を溢している。

「ど、うしたの……」

 湊人が泣いていることが衝撃的で、言葉が出てこない。どうすればいいのかわからない。どうしようという言葉ばかり頭の中でぐるぐる回っている。私が挙動不審になっている間も湊人は少し下を向いたまま涙を流して、何かを話そうと口を開いてまた閉じるという動作を繰り返していた。

「とりあえず、移動しよ、?」

 鞄からハンカチを取り出して湊人の頬に当てて涙を受け止める。何処か落ち着けそうな場所をとスマホで検索していると、ハンカチを持っていた手に手が重ねられる。湊人の方を見る。

「……ごめん」

 小さく掠れた声でポツリと呟く。眉を垂らして、伏せた目尻は赤くなっている。何に謝っているのか、何が悲しいのか見当もつかず、何と声をかけるべきかもわからない。こんな時に考える事ではないけれど、顔の良い人は泣いても顔が良いんだなと思った。


×××


「……大丈夫?」

 近くにあった喫茶店に入り、とりあえず席に着き話を聞く。注文したホットココアを湊人の前に置く。湊人は小さい声でお礼を言うと飲み物に口をつける。さっきよりは落ち着いているように見える。私は私用に注文したアイスカフェラテを1口飲む。

「なんで泣いたの?」

 私なにかしちゃった?と聞くと、湊人は首を横に振る。

「今日、嬉しかったんだ」

 嬉しかったし楽しかった、と言う。思っていたのと違う返答で驚く。嬉しかったと言う割には悲しそうな表情で泣いていたけれど。

「嬉しくて泣くの?」

 私がそう聞くと、湊人は目線を逸らして黙ってしまった。話すのを躊躇うかのように、何かを悩んでいる様子でじっと自分の飲み物の水面を凝視する。

「……今日で終わっちゃうかもって思った。」

 数分間の沈黙の後、湊人がそう言った。終わるって何がだろうか。今日が終わって欲しくなかった、という事ではないのは反応からして明らかだ。首を傾げていると湊人が口を開く。

「蛍はさ、なんで俺と一緒にいるの?」

 湊人は何を考えているか分からない瞳でじっと私を見つめる。なんだか嫌な予感がした。ひたりと背中に汗が伝う。やけに店の暖房が暑く感じた。

「何でって、決まってるじゃん、」

 好きだからだよ、とお決まりの言葉を言って話を逸らそうと思った。湊人にこれ以上話して欲しくなかった。

「だって、蛍は俺のこと好きじゃないでしょ。」

 カランとコップの中で氷が転がる音が響いた。湊人は悲しそうな表情をしていた。私は何も返せずただ俯くことしかできない。ただ心臓だけが忙しく動いている。ああ、こんな顔させるつもりじゃなかったのに。罪悪感と焦燥感に襲われる感覚がする。

「でも俺はそれでも良かった。俺だけが好きでも。嬉しかったから。」

 なんて返せばいいか分からない。湊人からの好きという言葉が重しのように私の心に乗ってくる。

「ごめん。」

 私はそう言うことしか出来なかった。

 そうだ。湊人の言う通り、私は湊人のことを好いていない。嫌いになったとか、冷めたとか、そういうのじゃなくて、最初からだ。最初から好きじゃなかった。私はただ自分を許したくて告白した。湊人を利用したんだ。

「だから、だから今日で終わりなのかとおもった。蛍にとって俺はもう必要ないんじゃないかって。」

 蛍が何かのために俺と付き合ってるのは分かってたから。と言ってまた泣きそうな表情になる。

「私のためだよ。私のために湊人に告白した。」

 湊人は黙ったまま私の話を聞いている。ここまで付き合わせたんだ。最後まで話してしまおう。それで許されるとは思ってはいないけれど、それが私が湊人に唯一出来ることだ。

「昔から変な奴に絡まれることが多かったの。」

 年齢差関係なく昔から変質者に何かされそうになることがあった。その度に唯華が助けてくれて、小学校から中学に上がる頃には唯華が常に隣にいることが当たり前になっていた。高校も唯華には行きたい所があったはずなのに、私がいるからと志望校を変更した。その時、私が、私のせいで唯華の時間を奪ってるんだって気づいた。唯華を束縛してたんだって。だから、他の人がそばに居るから唯華は心配しなくていいよって、私に縛られなくていいよって思わせたかった。そのための告白。湊人にしたのは、駅でよく見かける人だと思ったから。勘違いかもしれないけれどよく目が合う気がしたから。告白すれば応えてくれるのではという少しの期待で、声をかけた。そう伝える。

 たとえ今まで出会った様な変な人だったとしても、唯華が自由になるなら何でもいいと思った。結局その時は返事貰えなかったけれど。けれど、湊人が付き合ってくれたおかげで、段々唯華と一緒に行動する時間は減っていっている。

「騙すようなことして本当にごめんなさい。湊人には凄く感謝してる。」

 本音を言えば、もう少しだけこの関係を続けたかったな。と思う。

「蛍、は、ちょっと自分勝手だね。」

 湊人がぽつりと呟いた。私はそれに対して何も返す言葉が思いつかない。自分勝手。湊人の言う通り、私は自分勝手なのかもしれない。湊人と付き合ったにも関わらず、今の今まで一緒に遊びに行く事もしないで放置した。告白した理由だって唯華の為なんて言っておきながら、本当はただ唯華と距離を取って自分が楽になりたかっただけだ。少しでも自分の中にある罪悪感を減らしたかっただけ。

 もう終わりだ。何もかも。相手を泣かせて、自分の嫌なとこ知られて。これできっとお別れだ。最期に今までの事をちゃんと謝ろう。

「本当にごめんなさい。今まで付き合ってくれてありがとう。」

 湊人からの返事はなくて暫く沈黙が続く。本当は今すぐにでも逃げ出したかった。

「……まだ、俺に利用価値があるなら、蛍の為になるなら……まだ彼氏でいさせて欲しい。」

 震えた声で湊人がそう言った。

「俺を好きじゃなくていいから、デートもLINEもなくてもいい。ただ蛍の彼氏の枠に俺を入れてて欲しい。」

 私には湊人が何を言っているのか分からなかった。好きじゃなくてもいいから?彼氏でいさせてほしい?確かに、まだこの関係が続いてくれればとは思っていたけれど、こんな形でいいのだろうか?

 お別れのはずが予想外の提案に思考が停止する。

 湊人は少し赤くなったままの目尻を細めて私をじっと見つめている。

「なんで?……なんで、そんなこというの」

 湊人に質問する。どうして私が騙していたことを知りながら私の彼氏でいようとするのか。

 私は湊人の方を見ながら返事を待つ。湊人がゆっくりと微笑みながら口を開いた。


「ずっと前から好きだから」


×××


 外は雪が降り始め、完全に冬が来たことを知らせる。ホットコーヒーを片手に唯華と湊人が2人ベンチに座って話している。

「まだ彼氏やってたんだ」

「もちろん、別れる気ないよ」

「そう」

 2人の携帯に同時に通知が届く。蛍と唯華と湊人で作られたLINEグループに蛍から『ごめん><もうちょっと遅れる』とメッセージが届く。唯華が『了解』と送り、スマホを閉じ話を続けた。

「湊人くん、なんで蛍のこと好きなの」

 蛍の話を聞く限り段々好きになったなんて線はないよね。と唯華は疑うような視線を湊人に向けた。湊人は疑うような視線を受けているにも関わらず、何だか嬉しそうに話し始めた。

「俺と蛍、昔会ったことあるんだよね」

 昔に比べてだいぶ変わったから気づかないだろうし、蛍のことだから覚えてないかもしれないけれど、俺たちがまだ小学生だった頃に会ったことあるんだ。体格が大きい事で虐められがちで輪に入れない俺に声をかけてくれた。ただそれだけの事だけど、その時死ぬほど嬉しかった。それから蛍と話しても恥ずかしくないように変わる為の努力をしたし、ずっと蛍を追いかけてた。蛍が変な人に絡まれているのを目撃してから撃退できるように力も付けたし。

 そこまで湊人が話すと、唯華が湊人の前にストップというように手を出した。

「あーわかったわかった。拗らせストーカーってことね」

 本当に蛍の周りには変な人しかいないな、と呟きながら唯華は大きなため息を吐いた。湊人の方を向きジトっと睨みつける。

「蛍は湊人くんのこと好きじゃないよ」

 唯華から発せられた言葉に、湊人はびっくりしたように目を開いたあと、にっこりと笑って、知ってる、と返事をした。


「俺だけがすきなだけ」

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