囀り以外が聞きたいの

鷹見津さくら

囀り以外が聞きたいの

 大昔、虎になった男がいたという文献を読んだことがある。あれは臆病な自尊心と尊大な羞恥心からなる変身だった。

 それに対して、目の前にいるトリになりかけた女は、自由を求める心からなる病にかかっている。

 通称トリあえず。そう呼ばれている病気は、最近生まれたばかりの病気らしい。トリに変身しきることが出来ないでいることから、人間たちの間ではそう呼ばれていた。正確には、トリもどきという完全にトリの姿になってしまう病気の途中の所で止まってしまった状態なのだという。

 部屋の真ん中で囀っている彼女は、私の恋人だ。マザーコンピュータが、計算して出力した私の遺伝子と最も相性の良い人間。旧人類のようにロマンス溢れる恋人とは違い、共に過ごすパートナーとしての側面の方が強い。複数人選ばれるパートナー候補の中で一番、私の気質と合っていそうな人を選んだのだ。多分、それは彼女の方もそうなのだろう。おかげで私たちの仲は良好だった。

 それでも、彼女がトリあえずになってしまった理由――正確には、自由になりたいと強く願った理由はよく分からなかった。

 だから、今日、彼女の部屋に来たのだ。


 トリあえずには特効薬はなく、対処療法しか存在していなかった。それでさえ、進行してしまえば、二度と元の状態には戻れない。その状態を維持することしか出来ないのだ。

 初期症状は、指の痒みだ。その痒みは肘や肩に広がっていく。緩やかに肩から羽根が生えてきて、指にまで広がると次は体が小さくなり、トリに徐々に変わっていく。

 私が、彼女を完全にトリの姿にせずに済んだのは、彼女がトリもどきになる前に発見してマザーコンピュータに通報することが出来たからである。彼女はその時、窓の前で大きな羽を広げようとしていた。巨大な羽根が彼女の指から肩まで生えていた。一瞬、息を呑み込んでしまったけれど、すぐに通報出来たのはこの身に焼き付いた義務感のおかげだろう。異常があれば、マザーに報告。プライマリースクールから唱えさせられていた標語が役に立った。


 マザーの複製端末により、即座に回収された彼女には、すぐさま対処療法という名の手術が行われた。

 だから、今の彼女には空を飛ぶ為に必要な風切羽が存在していないのである。

 その代わり彼女に残されたのは、人の体と囀る為の喉だけだった。


 私は部屋の真ん中で囀る彼女を見つめる。


「ねえ、なんで自由になろうとしちゃったの」


 声をかけると彼女はこちらを見て、にこりと笑う。けれども、すぐに囀り出した。


「今の生活に不満なんてないでしょ。必要なものは全て、マザーコンピュータが用意してくれるんだから。そりゃあ、義務も色々と付随しているけれど、それだって我々の心身の成長を促す為のものなのだし。マザーコンピュータの言う通りにするのが、一番効率が良い」


 私たちのいる管理地区五〇一七は、平和そのもので、旧人類の言葉で言うところの理想郷だった。

 変わらず囀る彼女から目を離す。

 何度も来たことのある部屋は、取り立てて変わっているところはない。テーブル、チェア、ソファにベッド。シンプルな部屋は、私とあまり変わりのないつくりだ。

 彼女のテーブルの引き出しを開ける。一番上には文房具が入っている。二段目も特殊なものはなし。最後の段には、ファイルが入っていた。

 取り出して、チェアに座る。ファイルの中身をテーブルに出して広げた。


「これは……映画の半券? それに遊園地のチケットも」


 彼女は、デートによく行きたがっていた。マザーコンピュータによって定められたパートナーである私たちにとって、一定以上の関係構築直は必要だったけれど、それ以上の仲の良さは義務ではない。

 最初にデートに誘われた時、私は義務にはデートは含まれていないと告げた。彼女は苦笑いを浮かべながら、そうかもしれないけど、仲が良くなっても悪いことにはならないでしょうと返してきた。確かに彼女の言う通り、

楽しくない訳ではなかったので、その後も継続して私たちはデートを行ったのである。

 ファイルの中に入っていたのは、その時に取得した物理媒体だった。本来なら、デバイス内だけで完結するのに彼女は物理媒体にこだわっていた。少し、変わり者だったのである。

 こうした方が楽しい、というのは彼女の口癖だった。


 遊園地のチケットを手に乗せて、私は思い出す。




 ある程度の乗り物を楽しんだ後、ドリンクを選び、席に着いた時のことだ。

 彼女は確か、選択についての話をしていたような気がする。指の間を軽く爪で引っ掻きながら、彼女は笑顔を浮かべていた。


「私は私の意思によって選択を行いたいと心がけているんだ。マザーコンピュータに従うだけなのは嫌でね」


 ちょっと危険思想が入ってるなぁと思いつつ、私はそうなんだと返した。彼女は特に思想検診に引っ掛かっていないので、危険思想に見えるだけの平和的な人物なのである。人を傷付けようという意思を持って、このようなことを言っている訳じゃない。

 彼女との付き合いにもすっかり慣れきっていた私は、少し考えてから口を開いた。多少、議論に付き合った方が彼女は喜ぶのだ。彼女と付き合う前の私だったら、こんなことは考えもしなかっただろう。そう思えば、やはり私と彼女はマザーコンピュータの言う通り、理想的なパートナーなのだろう。お互いに良い影響を及ぼしあえるような。


「でも、その選択肢だって、マザーコンピュータから貴女に与えられたものじゃない。それなら、貴女の意思だと言い切れないんじゃない? 貴女が選んだそのドリンクだって、マザーコンピュータが選んだ貴女の味蕾に合ったドリンクメニューから選んでるでしょ」


 彼女は頷いた。そうだね、と言ってから言葉を続ける。


「例え、用意された選択肢だとしても、私はその中から私が選んだということが重要だと思うんだ。私はこのドリンクが好きだから、これじゃないと嫌だから、選んだんだ。私は選んだという私の意思を大事にしたい」


 だって、それを旧人類は愛と呼んだんじゃないかな? と笑った彼女の言いたいことはよく分からなかった。はてなマークを浮かべる私に彼女は、目を細める。


「私は、常に私の意思で選んできたんだ。それこそが、選んだものに対する愛だと思いながらね」

「ふうん、そうなんだ?」

「全然伝わっていないようだけれど、まあ良いよ。本当は、ちゃんと伝えたいのだが、君にはそう簡単に伝えられそうにないからね」

「何それ。私に理解力が無いって話してる? 確かにスクールでの成績は貴女の方が上かもしれないけど」

「そうじゃないよ。そんな話じゃない。ただ、私の諦めが悪いって話だ。こんな世界じゃなかったら、私の意思で選んだ、ということを証明出来て、君も私の言いたい意味を理解してくれただろうにってね」

「……わざと分かりにくく言ってない?」

「あはは、バレてしまったか。私にも羞恥心というものがあるからね。もしも、世界の全ての人間が本当に自由に己の人生を選択することが出来るようになったら――その時、ちゃんと隣にいてくれるであろう君に話そう。私の言葉でね。その方がきっと楽しい」


 彼女との会話の大半はそんな感じだったけれど、私は楽しかったのだ。多分。だから、時々ではあったけど、私からデートに誘ったこともあった。そんな時の彼女は、とても嬉しそうにしていたので、こちらとしても気分は良かったのだ。彼女も楽しいと思っていてくれたと思う。私たちは相談もしあえる良い関係だと信じていたし、ちょっとした議論も出来ていたと、思っていた。


 それなのに遊園地でのデートから程なくして、彼女はトリあえずになった。

 指を引っ掻いていたのが初期症状の痒みだったのかもしれない。あの時に私が気付けていたら、彼女は今でも私に話しかけてくれていたのだろうか。


 彼女がトリあえずになってしまってからというもの、私はずっと考えていることがある。

 大きな不満があるようには見えなかった。それでも、トリになり、外へ行きたかったのだろうか。自分の意思で、私を置いて?

 ちりりと胸が痛んで私は首を傾げる。定期検診では心臓に異常は見つからなかったはずだ。後で病院に行った方が良いのだろうか。


 思考の海に沈み込んでいた私を楽しげな囀りが現実へと引き戻す。


 はっと前を向くと彼女がテーブル越しに座っていた。するりと伸ばされた指が、私の頬を滑る。その指には、僅かに青い羽根が残っていた。私が通報したから、彼女はトリにはなりきれなかった。今もこの部屋で囀り、彼女が求めた自由には二度と手が届かないだろう。彼女の体にしっかりとした羽根が生えることはもうない。


 彼女は何処にも行けない体になってしまったけれど、頭の中では自由に羽ばたいているのだろうか。求めていた自由を謳歌しているから、楽しいの?

 そう思ってしまうぐらいに彼女の囀りは楽しそうだった。こちらを見つめている目が、細まっている姿は、トリあえずになってしまう彼女と同じなのに、何もかもがあの時とは違う。

 彼女のようになれば、彼女の考えが分かるようになるのだろうか。自由になった彼女が、私に伝えたかったことも理解出来るのだろうか。


 トリあえずになってしまったから、彼女とのパートナー関係を解除しても良いのだけれど、とてもじゃないが、そんな気分にはなれなかった。マザーコンピュータも許してくれている。だから、毎日は無理だけれども、今日みたいに彼女に会いに来ているのだ。


「なんか喋ってよ」


 彼女に影響されて、義務以外のこともしたいと我儘を言うことを覚えた私はそう強請る。けれども、いつもなら甘やかすように笑って願いを叶えてくれた彼女はただ囀るだけだった。

 私は奥歯を噛み締めて、指の間に爪を立てた。彼女のことを考えていると最近、そこが、ひどく疼いて痒みを覚えてしまうのだ。

 部屋には、変わらず彼女の囀りだけが響いている。

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